真昼のメリーゴーランドで君と

yuzu

奇妙な遊園で

これは、奇妙な遊園で僕が彼女と過ごしたひと夏の思い出。




 僕にはどこにも居場所は無かった。


 家と呼べる場所はなく、学校という場所にもなじめず、同世代の集まりにも興味はもてなかった。

 ただ僕には一人で静かに時間を過ごせる場所が必要だった。


 あちこちと歩き回った挙句にふらりと彷徨まよいこんだのは、三方を山に囲まれた広い場所だった。

 その広大な場所には大型の人工物がいくつか配置されている。入口から後ろを振り向くと少し遠くに海が見えた。

 『~~遊園』と入口の看板に書いてあるが、掠れて読めない。




 改札の様なゲートを潜り抜け遊園に一歩入ると、楕円の開けた広場があった。左右にはシャッターの閉まった建物が並ぶ。お店だろうか。

 僕の入園を咎める者は誰もいない。 人間は一人も見当たらない。今は遊園の営業時間外なのだろう。


 自由気ままに成長した街路樹を横目に広場の中央を通って奥へと進む。動くものは何もない。

 風や蝉の声、さんさんと降り注ぐ太陽と、少しだけ緑が混じった初夏の匂いしか感じられない。


 広場を抜けると巨大な建造物が近づいてくる。

 夏の入道雲まで届きそうな程の巨大な車輪。 

 車輪の端にはカラフルな箱が等間隔にいくつもぶら下がっている。ドアと窓がついていて中に入れそうだ。車輪が回転して頂上まで上がればこの辺りの景色を一望できそう。


 巨大車輪の足元を通り抜けて奥に進む。美しい稜線の里山が遊園を囲んでいる。


山々を見上げながら、巨大車輪の後方から続く大通りをゆっくりと進む。左右のお店は作りもののカラフルな風船で彩られている。

 お店通りはおろか、店やカウンターの中にも人はいない。遊園が開園すればここは中心地として賑わうのだろう。


 大通りのさらに奥には小さな湖が遠目に見える。そこが遊園の最奥の様だ。


 大通りから左を向くと巨大な白木のやぐらがあった。

 ビル10階分程の高さまで組まれた木の骨組みの上には鉄のレールが敷かれている。

 レールは遊園の西側を一筆描きで一周して始点と終点が繋がる。その経路は複雑に入り組んでいて、高低差も激しい。


 今度はお店通りを挟んだ反対側を向く。こちらには円形の施設があった。

 天井から鎖に繋がれたブランコがたくさん吊るされ、湿った風にゆるく漕がれている。


 ブランコの施設から奥へ進むと、また別の円形の施設が見えてくる。

 人が入れそうな大きさの取っ手がついたカップが、いくつか配置されている。


 今のところ、風が街路樹やブランコをゆるく揺らす以外には何かが動いている気配は無く、人や猫一匹さえも見当たらない。


──この遊園はもぬけのからだ。


 初夏にしては湿りすぎた風が僕をなで、むせ返るような空気に顔をしかめる。




 ブランコとカップの施設の間に小道を見つける。小道を進むと、また円形の施設があった。


 円盤のような大きな台座があり、その中心に巨木の幹のような太い軸がある。その軸を中心に、上から棒状のもので串刺しにされた作り物の馬たちが、いくつも配置されている。馬たちは全て同じ方向を向いている。


 馬の合間には向かい合わせに四人ほど座れそうな乗り物が配置されている。乗り物には二頭の馬が繋がれている。繋がれた馬たちは他の馬と違って、棒で貫かれてはいない。


──一体、何をするものだろうか。


 乗り物の座面は深紅のソファーで柔らかそうだ。中に入り腰を降ろしてみる。

 腰が柔らかく沈み込む。とてもふかふかだ。


 今は昼下がり。


──少しぐらい昼寝をしても、窘める人は誰もいない。


 ふかふかソファーに身を沈めると、緩やかに眠気が降りてきた。


 初夏の風はいつの間にか凪いでいた。



 ◇



 どれくらい眠っていただろうか。


 顔にふっと影がかかるのを感じて、意識が浮上する。瞼をあけると、目の前には濡れた宝石が瞬いていた。


 ここはどこだろうか。

 まだはっきりしない意識で記憶を探る。


「おはよう。起こしちゃったかな?」


 宝石が僕に話しかけてきた。かろやかな女の子の声だ。

 その宝石は琥珀色で、2つ並んでいた。


 たしか、僕は……。

 意識と記憶が、緩やかに、戻ってくる。

 

「気持ちよく眠っていたのに、ごめんね」


 目の前にあった琥珀が後ろにひいた。宝石だと思っていたのは、キラキラ煌めいてつやつやしい琥珀色の瞳だった。愛らしい唇と一緒に、薄茶の柔らかそうな髪に包まれている。


 遊園には誰もいなかったはずだ。少なくとも、僕が眠る前までは。


──君は……?


「私は整備と掃除があるけど、君はゆっくりしていってね」


 彼女は乗り物から降りて離れていく。僕は身体を起こして、その様子を眺めた。

 女の子というには成長しているが、女性というにはまだ幼い。少女と形容すべきだろうか。大分はっきりとしてきた頭で、そう思う。

 少女は白いTシャツを着て、青いつなぎを着崩して袖を腰のあたりで結んでいる。


 彼女が向かう先には、小さな小屋があった。僕が眠っていた円形施設のすぐ傍にある。小屋の上半分はガラス張りの窓で、中の様子が窺える。


 少女が小屋の中に入り、ガタ、ガサガサと軽く何かをあさる音がして、外に出た。僕の方へ戻ってくる。

 腰には工具類の頭が飛び出したバッグを下げていた。手には四角く黒い機械を持っている。赤と黒のコードがのびて、先端がスティックになり、さらにその先端は金属だ。

 

 彼女は僕が座っている乗り物まで歩む。


「その馬車のソファー、ふかふかで気持ちいいでしょ。二度寝してもいいよ」


 そうか。この馬が繋がった乗り物は馬車というのか。


──もう目は冴えたけど、お言葉に甘えてくつろがせてもらうよ。


「整備と掃除でガサガサするけど、それは勘弁してね」


──気にしないよ。僕こそ勝手に潜り込んで悪かったね。


 彼女は工具を持って僕の座る馬車の脇を通り過ぎ、施設中央の巨木の幹のようにふとい中心軸の裏側へ回る。


 馬車のソファーからは彼女が何をやっているか見えない。代わりに耳をすませる。

 ガチャ……、ガタン、ガタ、ギギギ……と、金属的な扉が開くような音がした。

 少し間があった後、ガチャ、ギギ……と、また別の金属系の扉が開く音がした。

 またしばらく間があって、バタン、と扉が閉まる。

 それらが何回か繰り返されて、ギギギ……、ガタン、ガチャン。と、重めの扉が閉まる音がした。


 軽い足音が近づいてくる。


 気配が僕の近くまでくると、僕が座る馬車を覗き込まれた。僕を見やると彼女は「にっ」と笑う。いなくなったと思われたのだろうか。

 僕の顔を見たら、今度は声もかけずに離れ、再び小屋へ向かった。


 彼女が再び小屋から出てくると、手にしていた機械と腰のバッグに入っていた工具類は消えていた。

 代わりに腰バッグには何枚もの雑巾がかけられ、手には水の入ったバケツと箒が握られている。器用に箒とモップも小脇に抱えている。

 バケツを円形施設の台座の端に置くと、慣れた手つきで掃き掃除を始めた。

 掃除は毎日されているのか、塵や埃はそんなにはない。わずかばかりの塵がかき集められていく。


 彼女は手際よく円形施設の掃き掃除を終えて、バケツのところへ戻る。

 箒を円形施設の段に立てかけて、水の入ったバケツを手に取る。僕が座る馬車に繋がれている馬のところへ来て、雑巾を濡らし、水を固く絞り、そいつを拭いていく。

 それが終わるとその隣のを。そうして僕とは離れていく方へ、一体ずつ、丁寧に磨いていく。馬車自体も拭いていく。


 最初は何をするのかと見物していたが、同じ動きの繰り返しに見飽きてくる。

 僕はゆっくりと目を閉じ、風のわずかな囁き声に感覚をかたむける。たっぷり昼寝をしたせいか眠気はやってこない。


 街路樹の匂いが混じった、少しだけ湿った初夏の風。その風に鼻歌が混じる。陽気で、覚えやすく単調なメロディー。どこかのお店で流れていそうだ。


 鼻歌と雑巾の水を絞る音が真後ろから聞こえる。僕がぼーっとしているうちに掃除は円形施設を一周したらしい。


──ここも拭くのだろう?


「悪いね。助かるよ」


 僕は座っていた馬車をおりて、その場を譲る。

 丹念に馬車の中を拭いていく様子をすぐ脇で眺める。水拭きした後に、乾いた雑巾で拭きあげている。


──ずいぶんと丁寧に拭くんだね。


 感心の視線を送る。


「水拭きの後の乾拭きは基本だよ。こうしないと水跡が残っちゃうからね」


 水で満たされたバケツには何枚か雑巾が浮かんでいた。空拭きして水分を吸った雑巾を突っ込んでいるのだろう。彼女の腰バッグには乾いた予備の雑巾がまだ2,3枚かけられている。


「それに、このお馬さんたちは木で出来てるから、水気を残しておくと可愛そうだしね」


──こいつら、木製だったのか。色が塗られているから気づかなかったな。


 ちょっと色褪せてて、ところどころハゲちゃってるけど。


「お客さんを迎えるんだ。綺麗にしておかないとね」


 彼女は円形施設中央の巨木な軸も、同じように雑巾で水拭きと乾拭きをしていく。

 最後に、濡らして固く絞ったモップで円形施設の床を磨いた。

 モップがけも終わると掃除用具を小屋へしまう。バケツの水は小屋の隣にあった排水路に流していた。


「さて、整備と掃除はおしまい」


 彼女はまた僕に近づいてきた。


──ご苦労様。もうすぐ開園かな?


「最後にメリーゴーラウンドの試運転するけど、乗る?」

 

 彼女が馬車を覗き込んできた。

 なるほど。この円形施設は「メリーゴーラウンド」というらしい。「乗る」と言うからには、これは動く乗り物なのだろう。


──せっかくだし、乗せてもらおうかな。


 僕はうなずく。


「そうこなくちゃ! そのまま座っててね」


 彼女は小屋に再び入り、ガラス窓越しに僕の様子を伺う。視線に視線で返した。よく分からないけど、準備はできている。


 小屋の中の彼女が視線を下げると、メリーゴーランドとやらはゆっくり動き出した。

 馬たちが向いてる方向へ、ゆっくりと。円状に、回り始めた。棒で貫かれた木製の馬たちが動きに合わせて、とてもゆっくりと上下に動き始める。

 愉快な音楽も流れ出す。耳馴染みが良い。さっき聞いた曲に似ている。


「少しずつ早くなるよ。危ないから、止まるまではそのまま座っててね」


 いつの間にか彼女が馬車の横に立っていた。

 動き出したときはたしかに小屋にいた。あそこにメリーゴーランドを操作する機械があるのだろう。ということは……、回り始めたメリーゴーランドに飛び乗ったのか。


──そういう君は? 座ってないと危ないのだろう?


「私は何千回も乗り慣れてるから……。良い子は真似しちゃダメだよ」


 「にぃっ」と笑いながら、両手の人差し指で顔の前にバッテンをつくる。悪い子ならいいのか。

 彼女は馬たちの間を歩く。歩きながら、馬や馬車の様子を確認しているようだ。きっと、これも整備点検のうちなのだろう。

 僕は専門的なことは全く分からないが、仕事とはいえ、彼女は随分と丁寧に手入れをしているように思える。自分の仕事に誇りをもっているのか、よほどこのメリーゴーランドが好きなのか。


 メリーゴーランドの回転は始めより速くなっていた。今は一定の速度で回っている。大人の人間の小走りぐらいの速さだ。


 初夏の湿り始めた風を感じる。ほんのりと街路樹の緑の匂いが混じる。


──暇つぶしには悪く無い。


 どのくらいそうしていたのか。




 代わり映えのしない景色を飽きずに何十週も楽しんでいたら、だんだんと落ち着かなくなってきた。……少しだけ、気持ちが悪い。軽く目が回ってきた。

 俯き眉をひそめてやり過ごそうとする。徐々にメリーゴーラウンドの速度が緩やかになり、止まった。


「ごめんごめん。自分以外を乗せて動かすことなんてないからさ、君を乗せてることをすっかり忘れてたよ」


 彼女がメリーゴーラウンドの台座の下から声をかけてくる。回っているメリーゴーラウンドから飛び降りて装置を止めたのだろう。慣れているとはいえ、危ない。


──軽く酔ってしまったみたいだ。水をもらえるだろうか。


「ちょっと、待っててね」


 彼女は小屋に戻り、手に木の食器を持って戻ってきた。


「こんなものしかなくて、悪いけど。良かったら飲んでいって」


 牛乳だ。


──ありがとう。助かるよ。


 冷たくてのど越しが良い。


 座り心地のよい馬車のソファーに腰掛けながら、ゆっくりと味わう。風がほほをなぜるままにさせる。しばらくすると、徐々に気持ちが落ち着いてきた。

 彼女は僕の様子を確認すると、台座の端に腰掛けて空を眺めた。ずっと働いていたんだ。少し休憩も必要だろう。




 飲み干すと、もう夕暮れだった。


 昼は少女以外誰もおらず閑散としているこの遊園は、日が暮れたら開園するのだろう。そうしたら、人間がわんさかと訪れる。人が多いのは嫌いだ。その前にここからお暇しよう。


「あれ? もういくの?」


 僕が立ち上がり馬車から降りると、彼女が台座の端に座ったまま振り向いて声をかけてきた。


「良かったら、明日も遊びにおいで。営業してない間はチケットとかはいらないからさ」


── ……気が向いたらね。


 最初に入ってきた遊園の入口、いや、今はもう出口か。ともかくそちらへ歩く。


──色々とありがとう。いい暇つぶしになったよ。


 振り返って礼を告げ、返答を待たずにすぐ向き直る。彼女が僕へ片手を振っていたのが振り返った一瞬に見えた。

 「にぃ」と笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る