六歌の宴

琴吹風遠-ことぶきかざね

難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花

 今は昔。平安へいあんと呼ばるる世なり。

 京は花に溢れ、雲海は空を泳げり。


 さるほどに、このさる御殿のひとつの室に六人あり。

 その者、やまとうたの上手なり。歌を読まば、みな驚くばかり。

 かの人、その者らを呼んでいはく『在原業平ありわらのなりひら』『大友黒主おおとものくろぬし』『文屋康秀ふんやのやすひで』『宇治山の僧喜撰きせん』『僧正遍照そうじょうへんじょう』『小野小町おののこまち』。近き世にその名聞こえたる人と呼びけり。


 小野問いていはく「いかで我はここに来たりや」

 在原もまたいはく「みな同じ心地なり」


 この御殿におわしまするはただ六人なり。

 いかでかかることになりきや。


 夜も更け、天気も悪しくなりきたり。

 さすればとみに用事を済ませばや。

 されど、六人ただなづむばかりなりき。


 大友曰く「かの人によばれきと思ひき」

 僧正曰く「かの人とは誰のことなりや」

 喜撰返して曰く「紀貫之きのつらゆきかと」


 その名に、みな覚えあり。


 紀貫之きのつらゆき紀望行きのもちゆきの子にして従五位の歌人なり。また、歌を集めてなむ、古今和歌集こきんわかしゅうとなづけられたりける。この世の万葉集まんようしゅうを作らむとせり。


 在原曰く「何を考へたるなり」


 六人、紀貫之をよがりたれど、さほどよくはあらず。

 そのよしは、歌いみじくいひたるゆえなり。


 在原業平ありわらのなりひら、その心余りて、詞たらず。

 しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし。


 大友黒主おおとものくろぬし、そのさまいやし。

 いはば、薪負へる山人の花の蔭に休めるがごとし。


 文屋康秀ふんやのやすひでことばはたくみにて、そのさまは身におはず。

 いはば、商人あきびとのよききぬ着たらむがごとし。


 宇治山の僧喜撰きせんことばかすかにして、始め終りたしかならず。

 いはば、秋の月を見るに、あかつきの雲にあへるがごとし。

 ただ詠める歌おほく聞こえねば、かれこれを通はして、よく知らず。


 僧正遍照そうじょうへんじょう、歌のさまは得たれども、まことすくなし。

 たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。


 小野小町おののこまち、いにしへの衣通姫そとほりひめりうなり。あはれなるやうにて、つよからず。

 いはば、よき女のなやめるところにあるに似たり。

 つよからぬは、女の歌なればなるべし。


「……」


 みな黙りき。

 かくて御殿に何人かの声を聞く。


「やあや、よく越したまひき。天気も悪しく、厄日なれどかたじけなくさふらふ」


 かの人、うちいでき。

 紀貫之なり。


「貫之公、貴殿は何せまほしけれ」

「いらふるは易し」


 かの人、続けて曰く


「願ひあひて呼びたてまつりしついでなり」

「願ひ」

「願ひなり。そなたらの歌、いとうるわしと聞けり」

「そは貴殿の定めしためなり」

「そはあやまてり。さる定めなり」


 定めと言ひ切る。


「誰の定めしものと」

「我にもわからず。やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなりれりける。こは我が言の葉なり。それこそが我が言はまほしきことなれ。よろずのこと、すなはち、森羅万象しんらばんしょうこそ我を動かさんとす。花に鳴くうぐいす、水に住むかはづの声、そして我ら人の子のさへづりを聞けば、生きとし生けるもの、いづれの歌をよまざりける。歌は天地あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神おにがみをもあはれと思わせ、男女の仲もやはらげ、たけき武士もののふの心もなぐさむる。


 こそ歌なり。ほか歌ならんや。


 そこにおはしまするに、いにしへのことをも、歌の心をも知れる人なり。この世に、わづかに一人二人なりき。いとかなしきことなり。しかあれど、これかれ得たる所得ぬ所、たがひになむある。かの御時よりこのかた、年は百年ももとせあまり、世はつぎになむなりにける。これもまたいとかなしきことなり。いにしへのことをも歌をも知れる人よむ人おほからず。みな一様にして、その様知らぬなるべし。いはば、林にしげき木の葉のごとく。いと多きによろこばしきことと思ひて、ただ歌とのみ思ふるはほかの人々なり。


 ……さるほどに、ここに鬼神もおはしまする」


 紀貫之、うちつけに曰く「鬼神おにがみ」と言ひける。

 歌仙、往往にしておどろく。


「鬼神など、いづこにもあらざらずや」

「おはしまする。ただ見えぬばかりなり」


 紀貫之、空を見上ぐ。


「鬼神曰く、この天下はこれよりあぢきなくなる。歌も消えゆき、争ひばかりの天下になりけり。誰も天下を救はず、見たるばかり」


 歌も消えゆく。


 さるはずはあらず。


 歌こそみなのこころただしくするものなれ。また紀貫之、かの人も同じことを言へり。いかでさるわびしきことを言うや。


「鬼神曰く、されど歌はいかなるときにも麗し。なれば、歌こそこれよりの天下を守るためにやむごとなきことなれ。では、いかがすべし。すなはち、我ここにきたり」


 外の木揺れき。

 風こはし、雨もいみじくなりけり。


「我、すなはち紀貫之はこの世にかえりきたり。ああ、やがて戻ることはあらざりきべかりき」

「かえりきたり?」

「うむ、我、鬼神となりて紀貫之はかえりきたり」


 みな、心得るべからず。

 何を言へるやわからず。


 惑ひて僧正曰く「なんじ誰なり」と問う。


 紀貫之曰く「紀貫之、かはらず」と答へる。


「……心置きたまへ、小野小町。かの人、いとゆゆし」

「なにも怖がることはあらず。いはば、ただ一時の夢のごとし。おどろかば、何もかもいかがにもよくなる」

「……」

「我が命は、貴殿らに天下を救はまほしきばかりなり。ただ、そのために鬼神となりて、ここなるばかりなり。ゆえに……あー……ごほんごほん」

「?」


 紀貫之、静かに咳す。


「……んー、あー、あー、やはり久しぶりだと慣れないものだ……」

「!?」

「ん、あぁ、やっぱりこっちの言葉のほうが使いやすいな」


 口調うつろひき。

 こは京の言葉ならず。聞きしためしなし。


「悪いね六人とも。でもこれでも通じると思うから我慢してくれ。いやはや、こうもこの時代の言葉遣いで話していないとなまってしまうものだ」

「……そはいづこの言の葉なり」

「いいや、これもちゃんと大和言葉やまとことばだ。ただ、僕がいた時代では日本語と呼ばれていたけどね。君たちも言葉はいつか大成するとはよく知っているのではないか。それと同じく、これこそが大和言葉の行き着く先だよ」


 ……この男が何を言へるやはいまだわからず。

 されどなぜか何を言へるやはわかる。


「もう時間なのだ。君たちを選ぶしかなかったのだ。もっと良い歌詠みをみつけることができればよかったのだが、どうしても君たちを超える詠み人は現れなかったのだよ。とても悲しい。そのためにどれだけ旅をしてきたものか」


 紀貫之、続けて答へる。


「やることは簡単だ。歌を取り戻せ。そして世界を救え。後世じゃあ、君たちのことは六歌仙ろっかせんと呼ばれている。そんな君たちにしかできない仕事だ。たとえ、詞たらずでも、卑しくても、詞遣いが雑でも、背丈違いでも、ちぐはぐでも、強くなくとも、君たちにしか歌えない歌がある。それを証明してこい」

「いとなみとは」


 そのとき、風雨に屋根が飛びていき、夜の雲が暗き空にうちいでき。

 その姿、大蛇のごとく。いとおそろしうてうごめきけり。


「紀貫之、なんじ誰なり!」


 在原いと大いなる声にて問う。

 紀貫之、答えて曰く、


「紀貫之、歌が好きな旅人貴族だ」


 そう言ひて、地に指をさす。

 さすれば床に穴空きて、みな落ちゆきき。

 穴いと深く、底は見えず。

 かくて落ちば、みな死なむ。


 ………死なむ。そはいとわりなきことなり。


 誰か助けたたまへ………………


 誰か………………


 ………………


 …………


 ……


 ……


 ……


 ……


 ……



























 _________


「ん、ん」


 目が覚めたときにはなぜか森の中にいた。

 しかしすぐそこに光が見えるからして、あまり深い森ではなさそうだ。

 空もよく見える。天気も雨も風もない綺麗な夜の空だ。


 夜風が冷たい。


 そんなことはこの際どうでもいい。

 どうして私はこの場所で眠っていたのだ。


 たしか、あの紀貫之という上官に呼ばれたと思えば、いきなり彼は鬼神となったのだとわけのわからないことを言って、おまけに世界を救ってくれとも言ったのだ。

 そして彼の仕業なのかは定かではないが、大雨と強風で屋敷を壊してしまい、さらには床に大穴を開けたのだ。

 その穴に私は落とされて……


 なら本当になぜ私は森の中に?


「いや、身体に痛みはないな」


 あの穴の底は見えないほど暗かった。

 地獄に続いているかのようでもあった。

 ということは、ここは地獄なのだろうか。

 それにしては身体に足枷などもついていなく自由の身そのものだ。


 ………いやいや、ちょっと待て。


 それよりもおかしいことがある。


「私は、こんな喋り方だったか?」


 自分の使っている言葉遣いにどうしてか聞き覚えがない。

 大和言葉ではあるのだが、方言のような訛りがあるわけでもない。

 はじめてつかう大和言葉であるが、我ながらよく扱えている。


「……これが、?」


 あのとき、紀貫之は大和言葉であって大和言葉ではない言葉があり、それこそが日本語だと言っていた。まさか、私はそれを使っているのか?


 ……ということは、私は今、あの紀貫之がいた場所に飛ばされた?

 なら、一体ここはどこなのだ?


 森を抜けて光のある方向へと歩き始める。するとすぐに広い場所に出た。


 ……なんだこの黒い道は。


 平らな石の岩でできているのか?

 屋敷の外に四角い石を敷き詰めて道にするのは見たことがある。だがこれは巨大な一枚岩を地面に置いているなんて。一体こんなワザどうやって……


 あたりを見回して何か目ぼしいものがないかを探してみるが、地面によくわからない白い一本の線があるだけで特に何もない。

 そして、やっと暗がりに光っていたものの正体をみつけた。


 あれは、おおきな鉄のやなぎだろうか。


 その先が光っている。それもホタルが光っているような微かなものでもない。

 ただそれでも、これはすごいものだとわかるには十分だった。


「………………え」


 その横には円形の鏡も見える。そこには『この先カーブ注意』と書かれている。

 なんだあの汚い文字は。どうして「ひらがな」「カタカナ」「漢字」がまとめて使われているのだ。

 それに『カーブ』とは……


 どうしてだ?


 私は『カーブ』がだと知っている……


 ……本当にこの世界はなんなのだ。そして私は……


 ちょうどその円形の鏡に自分の姿が映った。


「……なんだ、これ。これが私だというのか」


 気にしていなかったがなんてみすぼらしい格好なのだ。束帯そくたいでもなければ直衣のうしでもない。上と下が分かれた布一枚一枚と短い髪型……これが私なわけがない。それに、私の年は50歳を超えていたのだ。なのに、若々しくなっているなんて……


「……どういうことだ」


 紀貫之、彼は一体私に何をしたのだ……


「わっ!!」

「!?」


 いきなり背後からがしゃんと音が聞こえた。

 それと同時に、誰かが驚いた声も聞こえた。


「え、こんなとこに人!?」

「……な」


 車輪が二つの荷車が転がっている。

 そして私を見て驚いた少女は慌ててそれを直している。


「あ、あの、こんな場所に一人では危ないですよ」

「それが……元の世界に帰れなくなってしまい」

「……せ、世界?」

「なぁ、あなたは何かこの世界についてご存じないか?」


 少女はさらに驚愕の表情を浮かべている。


「あ、えーっと、あなたは一体」


「私か。私は平城天皇が孫、阿保親王の五男、従四位上、蔵人頭、右近衛権中将、在五中将。またの名を『在原業平ありわらのなりひら』というものだが」

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