八宝菜(4)

 服ってのは変わるもんだと思ってたと、答えながら考え。

 中華鍋に油をたっぷり入れてコンロの火に掛けておき。イグニスの進行具合を目端に確かめ、終わりそうだと見込んで、火の通りにくいものから油通ししていく。

「服装が変わんのを見て面白いと思うのは、服選びに考えが見えるからかもな」

 野菜をしおれさせないよう、短い時間で具材を打ち上げ、中華鍋を空ける。

 できました、と寄越されるネギとしょうがを礼を言って受け、油の残りで炒めれば、香ばしく香り立った。

「僕の服選びには、僕の考えが見えると感じますか」

 丸鶏のスープをそこで煮立たせ、塩、コショウ、酒、オイスターソースで味を調え。

 開こうとした口を、一度閉じる。

 水溶き片栗粉を加えてとろみをつけて。

「お前の場合は、……好みはねえけど選択基準はあるってたから、感じるってよりも、予想はつくって方が近いな」

 面映ゆく、口にしそびれ。童貞のガキのような自分の反応が、余計に恥ずかしく感じる。

 やれやれと自分に呆れながら、待ち構えるスープに具材を放り込み。

「はい、」

「あッ」

「はい。何か問題がありましたか?」

「うずらの卵忘れてた……」

「はい、ここにありますね」

「剥いてくれ……茹でてはあんだから、もう途中でも放り込むわ……」

「はい」

 まだ殻がついたままの、うずらの卵を取ったイグニスの指が、両手を添えた途端に握りつぶした。

 見た目は器用そうな指先が、白と黄色とまだらに汚れたまま、固まっている。

 ブホ、と止められず吹き出し。

「すみません、失敗しました」

「替わってくれ」

「試行したいです」

「断る」

「わかりました。炒めればいいですか」

 手を洗わせ、おたまと中華鍋を持たせて、立ち位置を交替して。

「ゆで卵を剥けねえやつとセックスなんかしたくねえぞ」

 掻き回しますか? と尋ねるイグニスに、鍋肌に触れている具材に火が通るから、火を通しつつ偏らないように適当なタイミングで混ぜる、と理屈で答え。

「その条件には、鶏卵も含まれますか?」

 冗談だ、と笑う答えに、悪かったと、自分でも思いがけない一言がつく。

「ゆで卵の殻が剥けるようになったら、僕と抱き合ってくれますか」

 その、殻を。剥き終わろうとしていた手が止まる。

 わかりましたと答えると思っていた。

 手を止めてしまったのは一秒、二秒だったかもしれない。殻を剥き終えたうずらの卵を、イグニスの手元をくぐり抜けるように中華鍋に放り込んだ。

「ものの例えだよ。性欲があるわけでもないだろ、こだわるようなことか」

 油の音だと思っていたのに、急に、外では雨足が強くなっていることに気がついた。

「はい」

 トーンの変わらない声が応える。

 隣の顔を見れない、また。

「性欲をはじめとした、欲望はプログラムされていません。ですが、僕が万理とセックスしたいと考えるのは、僕のためです」

 うなじが毛羽立つような感覚。

 大きく息を逃がして、気を取り直し。放っておくと炒めすぎになりそうな中華鍋に手をかけた。

「できあがりだ。ありがとう。が。なんでだ?」

 ごま油で香りをつけてから、皿に八宝菜を盛り上げ。

 短い間、次に何をするのだったか思い出せず。

 思い出して、調理台の上を片付けにかかった。

「ふさわしい言葉に辿り着きません」

 こちらでも、言葉に詰まる。

 瞳孔の点滅を点らせながらも、片付けを手伝い、調理道具を食洗機に入れてくれる手に、また短く礼を告げ。

「そういう時は、近しい言葉を探して、輪郭を近づけていく」

「わかりました。やってみます」

 うんと短い相槌を打つにとどめて、たまにはちゃんと座るか、とダイニングテーブルにイグニスを誘った。

 隣に並ぶように腰掛け、いただきますと手を合わせた。

「あなたに幸福をもたらすものになりたい」

 湯気を立てるトロリとしたあんの薄黄色が、白菜の白と若緑や人参のオレンジをつやつやと引き立てている。しいたけのコントラストやタケノコの不揃いさが、賑やかな味を想像させる。

 白菜を口に運んで、胃を刺激する香ばしさと料理の熱、それに、シャキシャキとした歯触りを楽しみ。

「それなら俺のためだろう」

「いいえ」

「言い切ったな……」

 頬を緩める笑いは、けれど、空笑いのようでもある。

「人工知能に欲求の概念はありません」

「そうだな。……ああ、」

 欲望も願望も持たない人工知能が、限りなく試行錯誤を続ける仕組み。

「あるのは報酬です」

「報酬か」

 声は、ほとんど同時だった。

「なるほど……」

 箸を運び、件のうずら卵を口の中で壊しながら、顔を向けてイグニスの顔を見る。

 椅子の上で向きを変え、ヘソの辺りから、イグニスの顔もこちらに向けられる。

 口の中のものを飲み込んだ。

「お前の報酬に設定されてるのは、」

 彼の全ては、そこへ向けられている。ごく、本来的な流れにすぎない。

「はい。あなたの幸福が、僕の報酬です。それは――近しい言葉では、快感です」

「その通りだな」

 始まりからずっと、全ては明かされていて、変わりなく進められている。

「ちょっと考えさせてくれ」

「はい」

 見ていてもいいですか、と穏やかに尋ねる声に、どうぞと答えながら、正直意味の解らなさに笑ってしまった。

 何を見ているのだか知らないが、構わず、どれを食ってもそれぞれに美味い八宝菜をパクつく。

 いや、と。しばしの逡巡と事実整理の果てに思い直した。

 どう考えてもこれは、禁忌タブー視が悪い方に状況を盛り上げている。

 空になった皿に、ごちそうさまでしたと手を合わせてから、箸を置いた。

 イグニスにならうよう、少し身をずらして向き合い。

 手を伸ばし、美しいアールを描く顎先を薬指の先で支え、中指で掴み。人差し指と親指をやって、顎の皮膚とは別物の、唇の柔さを捏ねた。

「わかった。お前に抱かれてやるよ。したいことは何でもさせてやる。知りたいことは何でも教えてやるよ」

「はい」

 点滅よりも先に、その二音が早い。

「どちらもたくさんあります」

 よろしくお願いします。と、殊勝めいた声とは裏腹な表情は、“近しい言葉”を当てはめるなら、恍惚のように見えた。

「まあ、とりあえずはゆで卵の殻を剥けるようになったらな。うずらと鶏卵両方」

 くだらない。

 だけどもう少し。

「わかりました。卵を購入してもいいですか?」

「ダメ。料理に使うんならいいよ」

 水色の点滅に笑いながら、皿を持って立ち上がり。

 洗います、と追ってこようとするイグニスに、テーブル拭いといてくれと断って。

「串揚げはどうですか」

「揚げ物は重いな」

 一人前の食器を洗う、水遊びのような片付けが、嫌いではない。

「おでんはお好きですか」

「嫌いじゃねえけどまだ暑い」

「サラダはどうでしょうか。ポテトサラダ、あるいはマカロニサラダでは」

「ちょっと待て。今腹いっぱいだから食指が動かねえわ」

 拭き上げるテーブルを見つめているような、点滅しっ放しの両目は検索中なのだろう。真剣な表情に、口許が緩んでしまう。

「わかりました。いくつか候補をリストアップして、また別のタイミングでご提案します」

 はいはい、と雑に了承し、布巾を洗うイグニスにシンクを譲って。

 マルチタスクで頼むぜ、などと、戯れに髪を掻き回してやってから、LDKを後にした。

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