えび餃子、翡翠餃子(2)
「疑似感情プログラムは、これを喜びと期待として出力しました」
「そうだな」
「その後、新しい名前の由来について説明してもらいました。イグニスという名前の意味は、火の中でも、人の灯した火であるかがり火を指すものだという内容でした」
「うん」
「人の灯した火、という言い回しには、様々なニュアンスが予想されます。ですが、名前をつける対象である人工知能との共通点を考えれば、文明のはじまりや、人を守るためのもの、人を助けるもの、あるいは、人の意思によって意図的に生み出されたもの、などの、人間との関わりを肯定的にとらえる意図である可能性が高いと考えられます」
はあ、と、思わず大きく息をついた。
「出力された喜びは、その前よりも大きく感じられました」
「……まあ、もう、……お見事」
降参を示す心地で捧げる拍手に、ありがとうございますと返す顔は、デフォルト顔より明確に笑みだ。
ふっと、息で笑って身を緩め。
「じゃあ、これからよろしくな。イグニス」
「はい、博士」
もっとも妥当な選択として相手に肩書きをつけて呼ぶのは、人工知能の不思議な共通点のように思える。
「万理でいい」
手短すぎたか、説明が必要かなと、思いながら水色の点滅を見て、けれど答えを待たずに踵を返し。
わかりました、と背に追ってくるような声を聞きながら、足は室外に向く。
三歩目を床に下ろそうとしたあたりで、ポン、と電子音が弾むのが聞こえて顔を上げた。聞き慣れた音を、聞き慣れない、と捉える反射的な感覚。
「うん?」
どこを向いたらいいのか迷って、気がつく。
音の出どころが、いつもと違った。家の中に点在するスピーカーの位置を頭に思い浮かべながら、聞こえたコール音を辿って振り返り。
イグニスと目が合って、一瞬混乱し、それから噴き出した。
「おまっ、今っ、コール音出したのお前か!?」
「はい。メッセージが届いています。スピーカーより万理の近くにいたので、僕から伝えます」
「ああ、そういう……。いや、じゃなくて。お前からあの音すんの違和感あるわ。名前で呼びかけるようにしてくれ」
収められない笑いにところどころ息を揺らしながら、届いたというメッセージを聞くために振り返り、再びイグニスと向き合った。
「わかりました。呼びかけ方法について、変更を保存します」
「はいよ」
「テキストメッセージが届いています」
「ああ、」
それだけで、メッセージの送信者が誰であるのかは予想がついた。
「
イグニスのデフォルト顔に、水色の点滅が点る。
「はい。送信者は
「これからフライトかね。送信元の地域を特定できるか?」
水色の点滅をいくつか挟んで告げられるのは、ほとんど地球の裏側といって差し支えない場所だ。出発前に聞いていた地域より少し離れているが、よくあることでもある。
「テキストで返信してくれ。空港に迎えを寄越すから寄ってけ」
「はい。園内絢人博士からのテキストメッセージに、テキストメッセージで返信します。内容は“空港に迎えを寄越すから寄ってけ”。よろしければ送信します」
「はいよ」
少し長く続く点滅を眺めながら、さて、と首を傾げて少し考え。
場所からいえば、こちらに着くのは早くても丸一日後くらいだろう。いつも通り仕事は山積みだが、招いたからには何か食わせてやらないと。
送信しましたの声に頷き、たまには日本らしいものでも作るかと、あれこれ頭に思い浮かべ。味噌汁にするなら具はなにか、あたりまで考えたところで、イグニスが口を開いた。
「園内博士から返信が届きました」
「
「送信元付近の飛行場を検索して、フライトの状況を確認しますか?」
「ああ、いや、いいよ。それは独り言だ」
「わかりました。内容を読み上げます。“り。ぎょ”」
「了解。返信してくれ。他に食いたいもんがあれば考えとけ」
「はい。園内絢人博士からのテキストメッセージに、テキストメッセージで返信します。内容は“他に食いたいもんがあれば考えとけ”。よろしければ送信します」
了承を告げて、必要な材料を頭の中に思い浮かべる。
「HG……、ああいや、イグニス、」
つい習慣でHGB023に声を掛けようとして、思い直した。プロジェクトの進行を積み上げていかなければ。
「はい」
「レシピのフォルダから材料抽出して、足りないモンを補充してくれ」
「わかりました。どのレシピですか?」
「海老蒸し餃子と
「わかりました。海老蒸し餃子、翡翠餃子、炒飯、キクラゲの入ったスープのレシピから必要な食材を抽出し、パントリーに不足しているものを購入します」
「よろしく。風呂入ってから寝るわ。7時間後にアラーム鳴らしてくれ」
「はい、おやすみなさい。おやすみになられたら、7時間後にアラームをセットします。万理、質問してもいいですか?」
浴室に向かおうとしかけた足を、止める。
「うん?」
「園内博士からのテキストメッセージは、暗号文ですか?」
んふッ、と、思わず噴き出してから、まあ確かにと笑った。
「単に略してるだけだ。衛星の少ない地域だと、通信が途切れんのが嫌らしくてテキストで送ってくるんだが、多分、面倒臭いんだろ」
「そういう事情なんですね。理解しました。それを万理が正しく読み取れる仕組みはどんなものですか?」
絢人とのこの手のやり取りを、どうやっているかなんて考えたことがなかった。
人工知能に説明するロジックを考えるのに、少し首をひねり。
「慣れっちゃ慣れだな……。大学なんかは、相手が授業なら通話じゃ受け取れないから、テキスト使うんだよな。用件だけ単語で送んのも普通だが、絢人は特にひどかった」
喋りながら、ああそうか、と蘇る記憶に内心膝を打った。
「最初は、俺も意味が分かんねえって説明させてたな……。だから、何をどう略してるのかを知ってる、ってのが正確かな」
「なるほど」
“きこく”は「帰国する」ですね。と、先ほどの内容を確認してくるのに、そうそ、と相槌を打ち。“り”は了解、“ぎょ”は餃子食いたい作って、などと、謎解きの答え合わせをしたりして。
家の中の移動が出来るようになったから、今度は家の周りに出てもいいかと言うイグニスに範囲を決めて許可を出し、欠伸を噛み殺しながら浴室へと向かった。
まだ残ってまとわりつく眠気に、強く瞬きを繰り返しながら、調理カウンターに食材を並べていく。
パントリーから往復を繰り返して運ぶ大量の食材を、頭の中で組み立てる手順に都合の良いよう、ザッと区分けして。
配膳の彩りを想像しながらエビを刻む包丁の音が心地良い。
調理に没頭する耳に、扉の開く音が聞こえて顔を上げた。
「おはようございます、万理」
ジャージを着たコーカソイドのイケメンを、まだ少し面白く感じてしまう。
「おはよう、イグニス」
「料理をするんですか?」
「そうそ。絢人が来んのは早くても夜だろうが、出来たて食わせてえから下ごしらえ」
「見ていてもいいですか?」
「ダメ」
水色の点滅をひとつおいて、残念です、と言う顔に残念そうな色はないのを見て、悪戯心に頬が緩む。
「見てないで、俺の朝飯作ってくれ」
「わかりました。万理は何が食べたいですか?」
わずかだが、今度は喜色が浮かんだように見える。
「ンー……、じゃあ、晩飯が多くなりそうだし、
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