第43話 


 放課後、美沙を部屋に呼び、二人で話し合うことになった。今後の方針を固めるためだ。

 美沙はクッションに腰掛け、ふう、と息をついた。当然ながらまだ調子は回復していないらしい。疲労の色が見えた。

 教師から早退を勧められていたという。しかし美沙は、放課後まで教室に残ることを選んだ。ここで逃げたら二度と教室に入れないかもしれない。そんな不安があったからだという。

 教室にいた時、腫物に触れるような雰囲気があったそうだ。しかし、さくらが「美沙っち~」と抱き着いてきて、「怖かったよ~」と泣き始めてから、流れが変わったという。


「……いやいや、さくらが泣くのはおかしいでしょ」

「だって~、あんなの酷いじゃんか! あんな嘘っぱち誰も信じてないからね!」


 ぐすんと鼻を鳴らす。その背後には、千代田が立っていた。いつもの大真面目な表情で、


「私達は何があろうと美沙の味方だから」


 そう言った。


「さくらだって味方だからね! いつでもさくらの胸の中で泣いていいんだよ!」

「……ありがとう」


 一連のやり取りを見ていたクラスメイト達からも励ましの言葉をもらった。美沙は、そこで初めて自分がこれまで積み重ねてきたものの厚みに気づかされたという。


「せんぱいは知っているでしょうけど、わたしは本当はずる賢くて暗い人間です。この高校に進学してからは陽気に振舞って、友達をたくさん作ってきました。でもいつかは、暗くてどうしようもない自分の本性がバレてしまうんじゃないかって不安に駆られていたんです」


 でも、と続ける。


「演じていたと思っていた陽気な上野美沙も、まぎれもなくわたしの人格だって気づくことができたんです。暗いわたしも、陽気なわたしも、すべて丸ごと上野美沙で、どちらが欠けてもわたしではなくなってしまう。もし陽気な自分が完全な偽物だとしたら、友達も偽物ってことになりますよね。わたしには、そんなふうには思えませんでした」


 美沙が感情を吐露して、すみません、と謝る。


「抽象的な話でしたね」

「謝る必要なんてないわ。あなたの言いたいことはよくわかった。それに、私もそう思っていたから」

「え?」

「あなたは暗くてウジウジしている一方で、たくさんの人間と関りを持って皆を笑顔にできている。そのどちらも上野美沙の人格で、簡単に分離できるものではない。私はそんなあなたのことを……その、尊敬していたわ。だから自分を卑下しないで」


 美沙が目を丸くする。それから柔らかく微笑んで言った。


「びっくりするくらいストレートな褒めですね。バットを振ることすらできませんでしたよ」

「なんで打ち返そうとするのよ。キャッチなさい」


 頬が熱くなる。返しにいまいち切れがないな、と我ながら思った。墓穴を掘りそうだったので、話を本題に進めることにした。


「中原のSNSを調べたわ。鍵が掛けられていて投稿を見ることはできなかった。本当に仲の良い数人としかやり取りを交わしていないみたいね。学校もわからなかったわ」

「用心深いですね」

「中学時代の中原はどういう人間だったの?」

「人気者でした。ストイックな運動部員で親しみやすさもありました。あと、読書好きっていう意外な一面もありましたね。あとは納豆が好きだったかな?」

「ふーん……」

「え、なんですかその目は」

「別に。詳しいと思って」

「短い期間とはいえ、恋人だったんだから当然でしょ……。一応言っておきますけど、今わたしは中原のこと嫌いですからね?」


 こんなことをされたんだから当たり前ですけど、と付け加える。

 私も大人げなかったか。反省する。


「ビラを貼った犯人は見つかってないのよね?」

「みたいですね。先生たちが、もう二度とこんなことはないようにする、って約束してくれました。教室の施錠と巡回の徹底はしてくれるみたいです」


 同じことが起きるかもしれない、という不安はこれで減った。しかし、いまだにセクシャルな写真は握られたままだ。しかも握られているのは、もっと過激な裸の写真だった。

 美沙をじっと見つめる。

 着やせするタイプで、そこまで豊満には見えなかった。だが、何度も抱き着かれているから、意外と胸があることはわかっている。小柄で童顔なのに胸があるというギャップが、なんとなくエロく感じられた。


「あのー……」


 美沙が胸元を隠した。


「じろじろ見過ぎでは? 同性同士でもセクハラは成り立ちますからね?」

「あなたも私の胸を見ていいわよ」

「えっ、いいんですか? ……じゃなくて!」


 美沙は顔を赤くして首を振った。


「……正直、せんぱいにだったら裸の写真を見られてもいいんですよ。あ、変な勘違いはしないでくださいね」

「変な勘違い?」

「……いいです。忘れてください。何でもありませんから」


 吐息をついてから真剣な顔を浮かべる。


「せんぱい以外の人には、絶対見られたくないので、なんとか中原からその写真のデータを奪うか消去したいところです。でも流石に、スパイ映画みたいに中原の家に侵入して、そういうことをするのは現実的ではありません」

「交渉するしかないわね」

「はい。……でもその材料がない」


 そうだ。そこが一番の問題だった。

 客観的に見たら、こちらが圧倒的に不利な立場だった。

 私は思い付きを口にした。


「ビラの件が中原の仕業だと証明できれば、こちらも相手の首根っこを掴むことができるわ」

「犯人捜しをするんですか? ミステリみたいに」

「時間が許すならそうしたいところね。でも、相手がどう出てくるかわからない以上、悠長に犯人捜しをしている暇はない」

「八方塞がりですね~」


 美沙はベッドの上に後頭部を乗っけた。天井を見上げながら溜息をついている。 


「一度、ゆさぶりをかけてみるのはありかもしれない」


 私が言うと、美沙は体を起こした。こちらを凝視する。


「もらった連絡先がある。そこに掛けて、あなたのやったことはすべてお見通しで告発する準備もできているわ、と告げるの。それで自白を引き出す。録音して、逆に脅し返すのよ。彼女には前科があるから、二度目の露見は避けたいはずよ」

「……確かに現状、それしかないかもしれないですね」


 けれど、と私は続けた。


「リスクのある行為なのは間違いない。こちらの思惑がバレたら、相手が破壊的な行動を取るかもしれない。予想がつかなくなるわ」


 沈黙が降る。

 難しい選択だった。


「掛けてみましょう」


 美沙が口を開いた。


「攻撃されてばかりなのは性に合いません。こちらからもアタックを仕掛けたいです」

「奇遇ね。私もそう思っていたところよ」


 私は中原から受け取ったメモを取り出して、スマホに番号を打ち込んでいった。

 美沙が録音の準備を始める。

 勝負の時だ。

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