第34話

 

 昼休み、私は教室で一人弁当のおかずを口にしていた。いつもより味気なく感じる。

 周囲の雑音が耳障りだった。

 こんな精神状態になるのは、美沙と初デートをして以来かもしれない。

 放課後、今日も階段踊り場で美沙と会うことになっている。どんな顔をして行けばいいか、皆目見当もつかなかった。何か適当な理由をでっちあげてサボろうかと考えてしまう。

 杏子に相談しようとしたが、忙しいと断られてしまった。どうやら課題に追われているらしい。明日なら聞くよ、と言われてしまった。


 空になった弁当を仕舞い、窓の外に目を向ける。抜けるような青空だった。

 はあ、と溜息をついたところで、「渋谷先輩」と声を掛けられた。そちらを向き、目を見開く。意外な人物が立っていた。


「もみじさん?」


 なぜここにいるのか。

 秋葉もみじは、相変わらずの無表情だった。今日も眼帯をつけている。


「美沙が大変です」

「え」

「沢村という生徒が暴れています」


 その台詞だけで、だいたいの事情は察せられた。


「美沙のところに行ってあげてください」


 もみじが珍しく、少しだけ感情をあらわにしながら言う。


「あなたに言われなくてもそうするわ」


 腰を持ち上げながらそう返すと、もみじは目を見開いた。それから、ふっと頬を緩め、私を見つめ返した。視線が交差する。


「……そうですね。わたしが言うことではありませんでした。美沙をお願いします」

「教えてくれてありがとう」


 感謝の言葉を残してから教室を出る。一年の階に足を運んだ。三組の前に人だかりができている。私は人混みをかきわけ、中を覗き込んだ。


「だからそれ、沢村さんには関係ないよね?」


 美沙が硬い表情で立っている。周囲の机と椅子が倒れていた。

 どういうことがあったのか、聞かなくても想像できてしまう。

 美沙の前には、長い黒髪の少女が立っていた。


「関係なくない。わたしは姫子さまと関わるのをやめろと言っている。ずっと言っている」

「それを決めるのはわたしだよ。沢村さんにとやかく言われることじゃない」

「あなたに選択権はないの。なぜなら、姫子さまはみんなの姫子さまだから。あなた、何か勘違いしているでしょ。姫子さまがあなたに目を掛けているのは、単に珍しい存在だからってだけ。あなたは暇つぶし要員なの。その自覚を持って。姫子さまと釣り合いが取れていないって、皆、思ってるから」


 勝手なことをつらつらと言っている。


「美沙さん、本当はあなたも自覚してるんでしょ? 自分が姫子さまと釣り合いが取れていないって。だから強く反発している。お見通しなのよ」

「いい加減にした方がいい」


 千代田が割って入った。聞くに堪えなかったのだろう。

 沢村は、間髪入れず近くの椅子を蹴り上げた。

 がしゃん、と激しい音が鳴る。


「きゃっ!」


 さくらが目を閉じて体を震わせる。蹴られたのは彼女の目先にある椅子だった。千代田が動く。さくらの体の前に自分の体を滑り込ませ、沢村を睨みつけた。

 沢村はそんな二人を無視して、再び美沙の方に向き直った。


「友達も皆、うすうすは気づいてるんじゃないかしら。美沙さん、あなたって人は浅ましいのよ。強引に姫子さまに近づき、皆の姫子さまを独占しようとしている。釣り合いが取れていないのに……。浅ましい女だ、って皆気づいているわ。言わないだけでね」


 せせら笑う。

 美沙は何も言い返さなかった。黙って顔を伏せてしまう。

 体が小刻みに震えていた。

 美沙、と千代田が呟く。さくらも心配そうに友達を見つめている。

 次の瞬間、あはは、と笑い声が響いた。

 え、と誰かが囁いた。

 その場にいた全員が呆気にとられる。

 美沙が笑っていたのだ。

 美沙は笑うのをやめると、倒れている机を蹴った。

 沢村がびくりと体を震わせる。

 美沙は真っ直ぐな瞳を沢村に向けた。


「わたしが浅ましいって?」

「えっ……。ええ、そうよ。わたしはそう言ってる」


 知ってた、と美沙は微笑んで言った。


「わたしは浅ましいよ。気づいてくれてありがとね。でも、それが何? あなたに言われなくてもそんなことはわかってた。姫子せんぱいが、いずれわたしから離れていくこともわかってる。受け入れている。でも、それを、あなたから言われる筋合いはないよ」


 沢村は目を泳がせた。思わぬ反撃を喰らい、動揺しているのだ。


「わ、わかってるのならいいのよ」

「うん。納得したなら、もう二度とわたしに話し掛けてこないでね。お願いだから」


 にこりと笑って言う。

 沢村はばつの悪そうな顔を浮かべた。救いを求めるように、扉の方に顔を向ける。そこで初めて、私の存在に気づいたらしい。動きを止めた。


「あ、姫子さま……」


 掠れた声を出した。

 教室にいたほぼ全員が私の方を向く。

 美沙だけは、こちらを向こうとしなかった。

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