不死者ノ王は百合の花束を彼女に贈る

まろーの

#約束

 幼い少女は小さな骸を拾い上げた。野生で見ることはない鮮やかな色の羽を持つ小鳥だ。


「まあ、可哀想に……」


 小さな手のなかに収まるその小鳥は、汚れや怪我が目立ち、羽も抜け落ちてボサボサになっていた。まともに食事も摂れていないのだろう、ひどく貧相な有り様だ。


「あなたは、結局かごの中でしか生きられないのね……」


 高貴な出で立ちの少女は悲しげにつぶやくと、背後に立っていたもう一人の少女を振り返る。整った身なりをした彼女が動作をするたびに、亜麻色の豊かな髪が揺れる。そして、彼女はもう一人の少女に言って聞かせた。それは、死んだ小鳥にまつわる話だった。


 高貴な少女は、かつてこの小鳥を飼育していた。だがある時、狭いかごの中で飼い慣らすことに罪悪感を覚えた彼女は、善意から小鳥を外の世界へと放った。ところが、それまで人の手によって生かされ続けてきた小鳥にとって、外の世界はかくも厳しく、残酷な場所であった。小鳥は餌を得る手段も、外敵から身を守る術も知らない。他の鳥の縄張りからも追い出された小鳥はとうとう力尽きたのだ。


 そのとき少女は、“自由”の意味をはき違えていたことを思い知った。ごう慢なやさしさが招いた悲劇だった。彼女は自虐的に苦笑した。


「まったく、私はどれほど愚かなのかしら……。世間知らずもいいところ……あなたもそう思わない?」


 もう一人の少女はなにも答えない。彼女は寡黙で、つねに凛とした態度を崩さない。声を上げて笑っているところなど、少女はまず見たことがなかった。


「せめて、お墓を作ってあげようよ」


 凛とした少女が提案した。


「そうね……じゃあ、あなたはお花を摘んできてもらえる? 私は──」


 少女は周囲を見回すと、丘の上に立つ木に目を向けた。


「あの木の下に、この子を埋めておくわ」


 それから二人は、村を一望する木の根本に穴を掘り、小鳥を埋葬してあげた。


 太い木の幹に背中を預けながら彼女たちは、しばらくの間、流れ行く雲をぼんやりと眺めていた。

 緑の栄える草原を、爽やかな初夏の風が吹き抜け、二人の頭上の木の枝をさわさわと揺らした。


「ねえ、ユリア?」


 名を呼ばれた凛とした少女は、小首を傾げる。


「この村での暮らしは楽しい?」


「まあまあ……」


 凛とした少女の返事は淡白なものだ。


「そよぐ風の音に耳を傾け、草木の青い匂いを嗅ぎ、行きたい場所に、行きたいときに行ける……あぁ、なんて幸せなことなの」


「リリィの家ってどこ?」


 凛とした少女が問うた。高貴な少女はやわらかな細い指を一本立て、フェンネ村を挟んで正面の山、その中腹に佇む古城──ゲーティ城を指さした。


 その城のことは、まだ無知で幼い少女でもよく知っている。


「じゃあリリィは、レガシィ教団の人?」


「こう見えても私、巫女なのよ」


「偉いんだ……ちょっと羨ましいな……」


「まあ! あなたはあそこでの暮らしを知らないからそんなことが言えるのよ! 朝から晩まで勉強させられて、行儀よくしなさい、あれはダメこれはダメって、いっつもソフィアはうるさいんだから!」


 高貴な少女の溜まった日頃の鬱憤が、せきを切ったようにあふれだす。それはしばらくの間止まることはなかった。だが、凛とした少女は静かに耳を傾け、口を挟むことはしない。好きなように彼女に喋らせた。


「けど結局、私はかごの中の鳥……。

 連綿と連なる山脈を越えた先にある景色も、世界を創造したキノアの巨人たちですら飲み干すことも敵わない大海も、そしてその向こう側に存在する国や多くの人々の顔も、私はこの眼に収めることができないまま一生を終えるんだわ……」


 教団の巫女という肩書きが、彼女の自由を奪う。この地に縛りつけるかせとなる。

 高貴な少女は広い世界に焦がれていた。狭い城に閉じ込められる毎日にはもう飽き飽きだった。

 この背中に翼が生えてくれたらと、どれだけ祈っただろうか。そしたら今すぐにでも、鳥かごの中から抜け出し、広い世界へと羽ばたいていけるというのに。

 まだ見ぬもの見たいと、まだ知らぬもの知りたいと、そしてそれを誰かと共有したいと思うことに、どこにも不思議はないはずだ。


「世界はこんなにも広いというのに、ほんの一部すらも知らない。私の好奇心はそれが我慢ならないのよ」


 やがて、麦畑を横切る小道に、一人の人物が立ってこちらを見ていることに気づく。その人物を見た高貴な少女はハッとして、落胆の表情を浮かべた。


「ごめんなさい。私、帰らなきゃ……」


 立ち上がった高貴な少女は、一瞬躊躇いながら凛とした少女のほうを向き直る。


「私たち、友達……よね? これからもずっと友達でいてくれる?」


「もちろん」


「またいつか、村に行くことが許されたら、真っ先にあなたのお家に行くわ。そしたら、今日みたいに遊んでくれる?」


「“いつか”っていつ?」


 凛とした少女が訊くと、高貴な少女は困ったような顔をした。


「それは……まだ、わからないけど……」


「なら、私が城まで迎えに行くよ」


 凛とした少女も立ち上がった。彼女の身長は同年代と比べても高い。並んだ二人の背丈は頭一つ分ほどの差があった。


「それはダメよ! お城には許可がある人以外は入れないの。それに、護衛の騎士に見つかったら、きっと問答無用で殺されてしまうわ」


「きみに会いたくなったら、どうすればいい?」


「わからない……。少なくとも、お城であなたと会うのは無理だと思う……」


 少しの沈黙のあと、凛とした少女はなにか決めたように話した。


「じゃあ、私が騎士になるよ!」


 彼女の想定外の言葉に、高貴な少女は清らかな緑眼を丸くさせた。


「私が、リリィを守る騎士になる!」


「本気で言ってるの?」


「騎士なら、城のなかにいても問題ないんでしょ? なら、私が騎士になったら、いつでもきみと一緒にいられるはずさ。そしたら、毎日遊び放題だ!」


 たとえそれが、高貴な少女を励ますために吐いた嘘であったとしても、彼女はとても嬉しかった。


「本当に?  約束よ」


「うん、約束!」


 向かいあった二人は、両手の指をからめながら、互いに互いの顔をじっくりと目に焼きつける。


 友情とも愛情とも異なる強い感情が、ふたりを包み込んでいた。ふたりの関係を断ち切り、他者が介入できる余地など、この世には存在しないと思わせるほどの強い繋がりと濃密な空気だ。


 高貴な少女が、これほどの高揚を感じたのははじめての経験だった。生まれてはじめてできた友人と離れたくない未練と、交わした約束が果たされる未来が待ち遠しい気持ちとがない交ぜになっているのだ。


 であればこそ、しばしの別れは甘んじて受け入れよう。高貴な少女は未来に一縷いちるの希望を託し、からめた指を名残惜しそうに解いた。


「ユリア……もう行くわ……」


「そんな顔しないで、リリィ。また会える、絶対!」


「絶対よ!」


「絶対に……!」


 凛とした少女は、互いの顔が認識できないほど少女が遠ざかってもなお、彼女を見送り続けた。


 一生涯忘れることのできない、少女たちのある日の記憶である。



──それから時は経ち、ふたりが約束を交わしてから早十年……。かつての凛とした少女は、血のにじむような努力の末、国の秩序と安寧を守るレガシィ教団の気高き騎士へと成り上がった。

 やがて彼女は、教団が匿う巫女──リリィの近衛騎士となり、約束は現実のものとなる。


 かくして少女たちは再会を果たし、物語は動き出したのだった。

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