第38話 【巨人と彼2】

 最上階の多目的ホールである。

 そこで上杉の配下に押し留められていた林。

 彼は平次が戻ってくるなり、平次へと掴みかかった。

 

 もっとも、平次の身に触れる前に彼は取り押さえられたのだが。

 

 林は血走った目で、狂人にしか思えない平次を睨んだ。

 上杉配下によって拘束されながらも、彼は吠える。


「貴方様は! 何を考えておられる!?」


 彼の怒りは相当なものであった。

 柳井を呼び出したと宣ったくせに、実際はカチコミ。

 上杉が小僧を手引きしたとしか思えない状況である。


「五月蝿い」


 平次は、床で這いつくばるように押さえつけられた林を見た。

 その視線は冷たく、林に興味がないことは一目で分かった。


 ただの気まぐれか?

 それとも見世物の公平性の為か?


 平次は口を開いた。

 その口調もまた、突き放すようなものである。


「我が楽しみの為だが?」


 林は絶句した。

 彼の頭は平次の言葉を受け付けなかった。


………楽しみ、だと?


 林が絶句したからか? 平次は茅を見た。

 突然視線を向けられた茅は驚く。


「いい主を持ったな」


 悪意のない表情に、茅は面食らった。

 毒気のない視線だった。彼女は混乱する。


「お前への一方通行の恋慕だとしても、ああも凄まじいと胸がすく思いだ」


 平次はニッコリとほほ笑む。

 林に向けた表情との格差に茅が凍り付いていると、林が再び問う。

 血が滲む、絞り出すような声であった。


「上杉様、私に語られたことは嘘だったのですか?」


 平次は面倒そうに林へと向き直る。


「嘘ではない。事実協力してやってるだろう?」


 平次の言葉に嘘はない。

 協力してやった。そうだとも、契約は果たしている。

 無意識に侮ったお前の器量が悪いのだ。

 その思いを込めて、彼は林へ問いかける。


「アレコレ玩具も渡したが、まだ不足か?」


 平次は、林の企みを早期で掴んでいた。

 その上で林を泳がせ、踊らさせていた。


 別に幕府で麻薬が蔓延しようと、上杉には関係ない。

 目の前の奸臣の最終目標も、彼には無価値なのだから。


 怪物が作った【世界】の外に生きる彼は続ける。


「アレを呼び出した。そして殺す準備を整えてやっている」


 平次は林へ協力してやった事を挙げる。

 どんどん顔色が悪くなる林へと彼は問う。


「何の不足があって、お前は不満を口にする?」


 林は黙らざるを得なかった。

 茅の誘拐等、諸々の手配も平次の協力あっての事だった。

 唯一上杉が林の願いを断ったのが、今平次が連れ歩いている小娘の始末だけ。

 それ以外の林の要望全てを平次は叶えてやっていた。


「それにだ、これは決闘や戦争ではなくテロぞ」


 平次は薄ら笑いを浮かべる。

 賭けられない男だと、彼は林を見透かしていた。


……そうよな、お前は待てぬし、絶対を期待する。


 愚かなことだ。

 この世の絶対は人が手に出来ぬものなのに。

 嘲笑を浮かべて平次は言い聞かせてやる。


「幕府の官吏のお前を、旗本が逆恨みで襲い掛かった」


 平次は林から視線を外して言う。


「それも上杉嫡男との会食の際にだ。どちらに大義名分があろうか?」


 林は黙り込みつつも、この男を理解出来ず心底恐怖した。

 悪魔は美貌を持つと言う。

 林には、平次が悪魔の化身に思えてならなかった。


……だが林も圧倒されているばかりではなかった。


 押さえつけられてようとも、頭を回転させる。

 この会話は、我が人生で最大の屈辱だろう。


 そも五閥を利用した己の軽挙妄動を恥じなければならぬ。


 己は誤った、そして屈辱を味わった。

 だが、どうした?

 まだ己は生きており、夢は折れておらぬ!


「分かりかねますが、貴方様の中では決まったことでしょう」


 平次は林を見る。

 ゴミから小物へ転じたか? そう思ったが否定した。

 よくある男だ、本当に。


「この林、夢がございます」

「覚めぬと良いな」

「ええ、冷める筈がありませぬ。我が夢は燃えているのです」


 林は言う。


「声を上げねば、ならぬのです」


 誰でも良い訳ではない。

 然るべき家の選ばれた人間が言わねば。


「幕府を変えねば、と」


 林は主張する、己の役目だと。


「幕府を、変えねばならぬのです。

 在るべき形に、正しき形へ。

 硬直した今では無い、より建設的な未来の為に!

 この林は一心不乱に殉ずるのだ、天下を正すために!」


 言わねばならぬ。

 火星の凡夫どもでは話にならぬ。

 幕府を憂う者の手でやらねばならぬのだ!

 真に幕府を考える者が、成すのだ。

 そして号令をかけるのは私だ!


「良き夢を見られておる」


 平次は、そう言う。ほぼ聞き流していたことを隠して。

 

「夢では終わらせませぬ。私が叶えるのです」


 そうか、そうだろうな。

 平次は投げやりに言うと、彼へと伝える。


「ならば、動きたまえ。アレは上がって来るだろう」

「……それは有り得ません、私が殺します」

「自信があるようで、嬉しいぞ」


 平次は口角を上げる。

 とても楽しい、いいぞ、いいぞ、素晴らしい。

 惚れられた女、野心家、一途な馬鹿。

 即興の見せ物として、最上ではあるまいか?

 

 誰一人としてマトモなモノがいない。


 野心家が馬鹿を殺せたら、女の嘆きはどうだろう?

 馬鹿が勝ったら痛快だろうか? 安いドラマのように。

 ちょっかい掛けて双方台無しにするのはどうだ?


……いやいや、手を下すのはダメだ。


 盤上の狂いっぷりを酒を片手に見るのが良いのだ。

 どう転んでも、どんな結果も、面白いのだから。

 この瞬間を楽しみながら、平次は茅を見た。


「どうかな? 結構な地獄だと思うがね」


 茅は平次を見た。

 悪辣です、その言葉が何時迄も言えなかった。

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