第36話 【姉弟2】

 誘拐犯が指定した場所。

 そこにフード付きのコート姿の少年が向かっていた。

 馬鹿正直に誰も連れず、ただ一人でだ。

 廃棄されたままの柳井領の粗銅精錬所。

 そこの一区画に彼はたどり着くと、時計を見た。

 古めかしい古式のクオーツ時計は約束の時刻を示していた。


「約束通り来たぞ。茅を返せ」


 波瑠止の声が無人の施設に響く。

 しばらくして、ふらりと誘拐犯らしき年老いた男が現れた。


……堅気の人間ではなかろう。


 澱んだ空気と何とも言えない雰囲気。

 またその立ち姿から、男が人殺しを重ねていることを容易に想像させた。


「ブツは何処だ?」


 少年はポケットから軍艦の起動キーを取り出す。


「茅を開放しろ」


 再び波瑠止の声が響いた。


「それと交換だ。投げてよこせ」

「分かった」


 キーを彼は放り投げる。

 放物線を描いて、男の手にソレは渡った。


「確かに受け取った……女はここだ」


 男はそのまま背後の物陰を指さす。

 少年は頷き、ゆっくりと男へと近づいていく。

 そうして少年は物陰をのぞき込んだ。

 そこにあったのは―――精巧なサイボーグ用義体であった。


「一歩遅かった。知るのが不味かった。失敗したな」


 男がそう言った時だった。

 少年は声を変えて、答えた。


「だと思ってましたよ、ド外道」


 男は少年の豹変に、一瞬硬直した。


―――そして、その硬直は少年を助けた。 

 

 無呼吸、無拍子の掌底を少年は放つ。

 顎を狙ったその一撃を男は危ういながら回避する。


「貴様ッ!」


 即座に反撃に転じたのは、男が鉄火場に身を置く人間だからこそだろう。

 尤も、その反撃も少年には通じなかった。

 喧嘩殺法で繰り出された男の前蹴りを難なく防ぎ、少年はフードを外した。

 

 ファイティングポーズを取った金髪の少年、ジョージである。


 波瑠止を目的地に送り出すため、ジョージは自ら影武者役を買って出ていた。

 囲まれて銃器でズドンではなかったコトには感謝しつつ、彼は男と向き合う。

 ジョージはボイスチェンジャーを捨てつつ、相手を挑発した。


「通用しなくて残念だったな」


 拳を握りしめながら、ジョージは言う。


「悪いがボコらせてもらうぞ、オッサン」


 腰を落としたジョージへ、男はナイフを引き抜きつつ悪態をぶつけた。


「……ガキが!」


 それを聞くなり、ジョージは躍りかかった。


■■■


 中京城近くの超高級ホテルのスイートルーム。

 その一角に茅は座り込んでいた。

 拘束されて以来、軟禁されたまままの彼女。

 その精神は疲弊し悪化し続けていた。

 

「……どうなるんでしょうか」


 茅は知る由もなかったが、彼女の救出の為に波瑠止らは動いていた。

 しかし神ならぬ彼女は、それを知らずにいる。


 軟禁による間延びした時間が、彼女を思い詰めさせていた。

 

 室外には茅を監視する人間が常駐している。

 彼女の食事等の世話は、不気味な上杉の配下が行っていた。

 しかし、それがまた茅の不安を煽った。

 

 自分を生かす理由が分からない。

 

 携行していたデリンジャーさえ取り上げないのだから、より異様だ。

 流石に弾は抜かれたが、彼女の手の中にはある。


「……いっそ死んだほうが」


 口では、そう呟けども自殺が出来る環境ではないのは理解していた。

 怪しい行動を取れば、直ぐに取り押さえられる事を彼女は学習していた。


 何せ食事で用いられるカトラリーすら気を使われているのである。

 自殺に繋がる物が排除された室内で過ごすうちに、流石に茅も察した。

 

 なお彼女に配慮してか、監視役は全て女性であった。

 茅は、監視する彼女らが軍人だと推測していた。

 それも要人警護に長けた人種であろうと。

 それが、一層気味が悪い。


………生かさず殺さず、奇妙な配慮までされる状況で気が休まる筈がなかった。


 死ぬのか、殺されるのか、どうなるのか。

 思考はその三つで占められてしまい、彼女を気鬱にさせた。

 

「お父さん、お母さん、ジョージ、殿」


 申し訳なさで、彼女は苦しくなった。

 そして助けを期待してしまうことも、茅の精神を追い詰めていた。


 茅は家や主筋に迷惑をかけ続ける現状を恥ていた。

 そんな身の上なのに浅ましく助けを願う己が情けなくて仕方なかった。

 

 泣きわめきたいのだが、そうすると無表情の従者らが丁重に扱ってくる。

 

 まるで鳥かごの中の小鳥ではないか。

 それがみじめで悔しくて、茅は耐えられない。

 

 潔く死ねない自分が嫌で嫌で、許せない。


「私は―――」


 なんてダメなんだ。

 そう茅が嘆こうとした時だった。

 ノックなしにスイートルームのドアが開く。

 世話役ではない、男の声が部屋に響いた。


「おや、随分しょげたな? 流石に堪えたか」


 上杉平次である。

 彼は仕立ては良いが、派手な白のダブルのスーツに藤色のシャツを着ていた。

 少々センスが悪い格好の平次は、ずかずかとスイートルームに入る。

 彼は茅へと近づくと見下ろす。


「待たせたな?」


 力なく茅が見上げると、彼は大仰な動作で戯けた。


「ここからだ。面白くなるのに観客席に上がらぬのは不作法だぞ?」


 ぐっと平次は力を入れ、無理やり茅を立たせた。

 見た目以上の平次の膂力に、茅は体を震わせ強張らせる。

 ついに来たか、そう悲壮な覚悟を彼女はした。

 だが、平次はそんな茅へ意外な言葉をかける。


「取って食いなどせぬ。お前が賞品だから愉快になるのだ」


 何故? 茅が疑問に思うと、唐突な爆発音が響き渡った。

 ホテルそのものも大きく揺れ、照明器具が激しく揺れる。

 悲鳴を上げた茅に反して、平次は凄惨な笑みを浮かべて叫んだ。


「やはり来たか! そうだ舞台に上がってこい! お前は何なんだ? 柳井!」


■■■


 場所は精錬施設へと戻る。

 ジョージの牽制の一打を、ボクシングのスウェーじみた動きで男は回避した。

 征紋で加速した思考をフルに使いつつ、ジョージは内心で舌打ちをした。


……ババ引いたのは自分かもしれない。実戦未経験では荷が重い。


 相手は殿を殺すためにリクルートされただけあって、ソコソコの腕だ。


「殺しは童貞か? クソガキ」


 男がナイフを振るう。

 崩しはあるものの、その動きのベースは軍の格闘術である。

 殺意を乗せ、超高度セラミック製の刃がジョージへと迫る。


「それがどうした、糞中年」


 が、ジョージは踏み込んで腕を巻き上げようとすることで攻撃を防いだ。

 腕同士がぶつかり合う。それで両者は察した。

 相手が征紋持ちないし、サイボーグ化手術を受けているのだと。


……ってえなあ!! 感触からして、金属入れてやがる。無手は不味ったか?


 熱線銃こそ差しているが、ジョージはソレを抜くのを躊躇した。

 隙が無くて抜けないのではなく、先方の得体の知れなさを感じてだった。

 奇しくもソレは男も同様であったらしい。


「肉食ってんのか? 軽いぞ」


 その軽口に、ジョージは即座に返した。


「加齢臭がするから近寄りたくねえんだよ」


 じりじりと二人は動き、先んじたのは男であった。

 身体を捻っての足刀横蹴り。

 直線軌道のソレをジョージは腰を落とし左腕で防ぐ。


「ぐッ!」


 受けたことをジョージは後悔した。足も腕同様に金属入りらしい。

 男の顔が醜くゆがむ。

 ジョージは熱湯をぶっかけたように痛む左腕を意識してしまう。

 ヒビでも入ったか、上手く拳が握られなかった。


「型稽古の失敗だな」


 せせら笑う男にジョージは返さない。

 ただジョージは、動かない左手で腕時計のバンドに触れた。


「ルーチンか? 願掛けか? 泣いて許しを請うか?」


 男の罵倒は続いたが、ジョージはニッコリ微笑むと言い返した。


「下品な言葉でしか他人の関心買えないんだな」


 そしてジョージは挑発しながら言い切った。


「寂しい奴め。そのツラと歳でお袋が恋しいのか?」


 男の顔が引きつる。


「返事は一丁前だな。良いだろう、次で殺す」


 ヴンと、インバーターらしき唸りが鳴ったのをジョージは聞き逃さなかった。

 腰を落とし、足を開け、それからジョージは言い返した。


「やってみろよ、ポンコツアンドロイド」


 男の返答はなかった。

 ジョージの予想通り、機械化された男の四肢が動く。

 鍛えた足さばきと体重移動で、男は距離を詰めた。

 

―――常人ならば見失う速度で、男はジョージに肉薄した。


 機械化された腕による渾身のレバーブロー。

 ナイフはブラフかつ、二段構えのトドメである。

 まともに被弾すれば、ジョージの上体を悲惨な肉塊に変えただろう。

 だが、男は軽視していた。敵は征紋であるという事を。

 両者は交差し、片方が膝をついた。


「呼び鈴でも叩くのか?」


 その声を聴いた男は、理解が出来なかった。

 全てが終わるはずの一撃、なのに現に男は膝をついていた。


「何、をした」


 己に何が起きたのか、男は正しく理解していた。

 脳震盪だ。それも打撃を受けての。


「簡単さ、ほら」


 男の前でジョージは……文字盤の防護ガラスが割れた時計を見せる。


「……な」

「頑張って、当てたから誉めてくれよ。こっちは両腕死んだんだ」


 見ればジョージの右腕は細かく痙攣していた。 

 男はそこで、目の前のガキが何をしたか理解した。


……このガキ、腕のスナップだけで時計を己に当てたのだと。


 正気ではなかった。

 男がガキの立場だったら、まず距離を取る。そして銃を抜く。


 そうなれば男の勝ちだった。機械化された体は下手な銃器を通さない。


 だと言うのに、コイツは誘いに載らなかった。

 男の機械化が頭部のみ薄いことを見抜くと、賭けたのだ。

 博打も良いところであった。


「お前、主より……強いんじゃ?」


 男が震える視界の中、そう質問するとジョージは心外そうに言った。


「格闘だけだ。主と一緒にするな」


 男が最後に見たのは、ジョージの靴底だった。

 襲撃者を蹴りで昏倒させた彼は波瑠止が向かった方角を見る。

 それから、大きなため息をついた。


「……俺でもきついのに、あの人、大丈夫か?」


 姉が絡んでるから、より酷いことにならないといいのだけど。

 そうジョージは独り言った。

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