第2話 3月10日 父の話


 あの日は若杉支店長が休暇のため、私が支店長の権限を代理していた。私が自席で大量の稟議書と格闘していると安里がやってきた。安里は私と同じ副支店長だが、年齢は私よりも9歳年上。それに、私の方が階級的には上だから扱いが難しい。


「宍戸副支店長、芝浦興産の20億の継続融資の稟議です。支店長決裁の稟議ですが、若杉支店長が不在なので代わりにお願いします。あ、明日実行なので、今日中に決裁してもらえると有難いです」安里はそう言うと書類を置いて自席に戻っていった。


「こんなギリギリに持ってくるなよな」と思ったが、私もたまにやってしまうから安里に偉そうなことは言えない。

 急ぎの案件らしいから、私は安里の稟議書を先に見ることにした。電子稟議だから決算書などの紙資料以外はパソコンで確認していく。芝浦興産は私の担当部署の取引先ではないから、初めてラインシート(融資調査票)を見る。

 財務内容の良い会社だ。毎期利益を計上しているし、有利子負債(借入金など)はキャッシュ・フローの5倍。債務償還能力も問題なさそうだ。

 私は念のために安里が持ってきた紙ベースの決算書を確認する。財務データは稟議システムに登録されているから本来は元資料までする必要はないのだが、過去に改竄(かいざん)していた会社があったから念のためだ。

 芝浦興産の決算書を見ていたのだが、何か違和感がある。よく見てみると、貸借対照表に記載されている数値のフォントが微妙に違う気がする。


――数値をいじっているのか?


 私はそう考えて、他の決算書も見てみた。すると、幾つかフォントが違う数値が入っている部分を発見した。会社が作った決算書の数値を銀行の担当者が改竄したのだろうか。


 私は過去の稟議書を確認してみた。安里が副支店長になったのは去年だがその5年前から芝浦興産の担当をしている。融資残高は5億円から増加していき、現在は20億円だ。全て支店長決裁で過去6年間融資が実行されており、その間に問題は発生していない。

 丸の内銀行との付き合いは長いし、返済実績も問題ない。さらに、兜町支店が大きい支店だと言っても20億円の融資残高は重要だ。支店の収益に与えるインパクトは小さくない。状況から判断するに、不正の証拠が無いのにこの稟議を否決することはできない。承認する必要がある稟議であることを、私は理解している。

 それに今回の融資対象期間は1年だ。今まで延滞したことがない芝浦興産が1年で倒産しないだろう。


 最終的に、私は「コピーで数字が潰れているのか、決算書の数値が変な箇所があるようです。会社から正式な決算書を入手して下さい」と安里に伝えて稟議を承認した。

 安里は私に怪訝な顔を見せたものの、「明日の融資実行までには入手しておきます」と私に言った。


 翌日の3月11日の朝、私は安里が持ってきた芝浦興産の決算書に違和感がないことを確認した。会社が決算書のフォントを修正したのかもしれないが、稟議書としては問題なくなった。

 その後、芝浦興産への20億円の融資が実行された。

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