シジミ先生の夏休み・求

 住宅地の中の細い道を五分ほど歩き、やけに待ち時間の長い信号機がある横断歩道を渡ると、そこに火穂地蔵堂がある。境内は背の高い木々が生い茂って薄暗い。御堂の前に小学生が五、六人集まり、はしゃいだ声で何かを話し合っていた。漏れ聞こえてくるところによると、どうやらそのうちのひとりが祭の日に御堂の裏の林で若い女の幽霊を見たと言い張っているらしく、これから全員でそれを確かめに行こうとしているようだ。

「昼間に肝試しなんかやったって面白くないだろ」

「でも結構暗いですし、雰囲気ありそうですよ」

 北門と純は声をひそめてそう言い合う。小学生たちは、焼死した人数が三人であったことと祭の開催が中止になった回数が三回であったこととを結びつけ、火穂地蔵の祟りだなんだとわいわい騒いで楽しげだ。彼らがぞろぞろと御堂の裏手へ向かっていくのを横目に境内をぶらついていると、火穂地蔵堂と祭の由来を説明する看板が立っているのを見つけた。読んでみれば、ずいぶんと悲惨な内容の昔話が書かれている。

「——なんか変な話ですね。いくら家に帰してもらえないからって、火までつけますか? 名主が娘を帰さなかった理由だって不明ですし」

「確かにな。まあ、でも、言い伝えなんてそんなもんなんじゃないのか」

 端折られすぎだと思うんですよ、と純は首をかしげるが、北門はその点に関してはさほど気にならないようで「そんなことより」と看板を眺める。

「火穂地蔵の祟りってそういうことか。面白いな、子供の噂にしちゃなかなか筋が通ってる」

「あんまり面白がることじゃないでしょう、人が死んでるんですよ」

 純がそう言ったときだった。突然、先ほどの小学生たちのものらしき甲高い叫び声が境内に響いた。ふたりは思わず顔を見合わせ、あわてて声のした方角へ足を向ける。御堂の裏から飛び出してきた小学生たちは、いた、いた、と口々に言いながら散り散りに走っていった。

 足早に石畳を辿り、林へ踏み入る。空気は冷たい。真昼の明るい日差しも枝葉に遮られ、地面まではかすかにしか届かない。

 ふと、純の数歩先を進んでいた北門が「おい、あれ」と言って前方を指差した。無数の木々に紛れてその姿を隠すように建つ小さな一軒家、それを背にして、白い服を着た女がひとり佇んでいる。しかしそれは明らかに生きた人間であった。仄暗い林の中で遠くからわずかに見ただけであれば幽霊と間違えるのもおかしくはないが、なかなかに失礼なことだ。

 近づいていくと、女は北門と純に気づき、おずおずと頭を下げてみせた。歳は二十代半ばくらいだろうか、髪が長く、もの静かな雰囲気だ。長袖のブラウスに丈の長いスカートを纏っている。事情を話すと彼女は少し笑い、自分は堂守の娘であること、この家が堂守の住居だということ、普段は離れて暮らしているが遺品の整理をするためにここを訪れたことなどを簡単に説明してくれたのだった。

 軽く挨拶を交わして彼女と別れ、林を出て御堂の前まで戻ると、そこには逃げ去っていったはずの小学生がふたりだけ残っていた。彼らは純たちを待ち構えていたらしく、勢い込んで「いましたよね、幽霊、見たでしょ?」などと尋ねてくる。純は頭を掻きながらちらりと北門のほうを見たものの、他人の子供があまり得意でない北門はあさっての方向に視線をやってごまかした。

「あの、まあ、いましたけど、幽霊じゃなかったですよ。こないだの火事で亡くなった堂守さんの娘さんなんですって」

 純の話を聞いたふたりの小学生はあからさまに拍子抜けした顔になったが、それでも礼儀正しくお辞儀をして帰っていくのだった。そんな彼らの背中に向かって、幽霊じゃないってお友達にもちゃんと説明してあげてくださいね、と純は声をかける。小学生たちは振り返り、元気よく「はーい」と返事をした。

 彼らを見送り、純と北門も帰路につく。駅への道を歩きながら「こうやって怪談って生まれるんですね」と純が言うと、北門は笑ってうなずいた。

「幽霊話の九割は見間違いだっていうよな」

「残りの一割はなんなんですか、その場合って」

 まあまあ、と純の言葉を適当にいなし、北門は「でもよかったよなあ」と話題を変える。

「よかったって?」

「いいネタができて、だよ。これでおまえも面白い旅行記が書けるだろ。原稿待ってるからな」

「ああ……そういえばそのためでしたっけね、これ」

 そうやって話しつつ、駅のプラットフォームに到着したとき、ふいに小さな違和感が純の頭をかすめた。その違和感の正体を考えているうちに、東京方面へ向かう急行列車が構内に進入してくる。ドアが開き、降りる客を待って車両に乗り込む。発車メロディが鳴る。間の抜けた音を立ててドアが閉まった。

 あっ、と純は言った。北門は「どうした」と応えて純の顔を見る。

「あの子たち、祭の日に幽霊を見たって話してましたよね」

「ああ。それが?」

「いや、それっておかしくないですか。あの娘さん、事故があってからあそこに来たんでしょ」

 列車の走行音がやたらに大きくなったようだった。ふたりはしばらく黙りこくっていた。そして、次の駅に到着することを報せる車内アナウンスが鳴ったとき、北門がようやく沈黙を破って唇の端で笑い、「まさかな」とつぶやいたのだった。

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