恋以前、以後愛。

秋月流弥

第1話:再婚

「ここの問題を、小森さん……あ、いけない、卯月うづきさんだった。お願いします」


担任教師が小さく間違いを訂正したことから始まった。


黒板に書かれた問題を解く彼女を見て担任は申し訳なさそうに謝る。


「卯月さんごめんなさいね。名簿まだ直してなくて。他の先生にも伝えておくから、卯月さんからもどんどん遠慮なく言ってね」


「はい」



一言、卯月うづきももはそう言った。


澄んでいるのに冷たい声。


それは美しいのにどこか温度を感じない彼女の容姿とも一致していた。

チョークを置き、自分の席に戻る彼女を見て、クラスメイトの誰かが呟いた。



「また“ナナシ”の親離婚したんだ」


「また卯月の姓に戻ってる。小森になってからまだ一年だぞ。今回も短い結婚だったな」

「ばか。それじゃナナシが結婚してたみたいじゃん」

「どっちにしろ親が結婚離婚繰り返してたらナナシも近い未来そうなるだろ。同じだよ」


クラスの中から小声で不躾な意見が飛び交った。



“ナナシ”


卯月桃につけられたあだ名。



彼女の母親が再婚離婚を繰り返すことで、たびたび変わる名字が安定しないことからつけられた彼女の呼び名である。


「俺ナナシと小学校同じでさ。ナナシって小学時代六年間で名字が三回も変わってんだよ。二年の時が初瀬ハセで五年が佐藤サトウ、そんで六年の時が今別れたての小森コモリ

「うそ。そんなに?」

「中学入ってからも伝説つくれそうだよな。最短記録でも目指すか。なーナナシ」


ったく。

中学生にもなってガキな連中だな。


赤の他人である俺が心ないクラスメイトの言葉に苛立ちを覚えるも、とうの本人である卯月は表情筋一つ動かすことなく完全無視で教科書に目をおとしていた。


「……」


「……!」


ずっと後ろから見つめていた俺の視線に気づいたのか彼女は一瞬振り返り俺と視線を交えるも、何事もなかったように再び教科書へ視線を戻す。


“ナナシ”と呼ばれる彼女。


ナナシと呼ばれようが小学生の頃から離婚再婚を繰り返してようが俺には関係ない。

中学で出会ったただのクラスメイトのうちの一人。

俺にとって卯月桃はそれだけで終わる関係だった。


「ナナシの次の名字はなんだろうなー」

「よし次の名字当てた奴に給食のプリン!」

「プリンって来週だろ!」



でも俺は知っている。


彼女の名字が明日から片瀬かたせももになることを。


片瀬かたせ悠樹ゆうき


俺と同じ名字になることを。


俺の父親と彼女の母親は今日役所に結婚届けを提出する。片親同士の再婚だ。


そう。

明日から俺たちは義理の兄妹になる。




転機が起きたのは一ヶ月前。

父が紹介したい人がいると言った。

(再婚かな)


なんとなくそう思った。

でもそれで良いと思えた。


俺の母親が病死したのは俺が小学四年生の頃。

その時から俺と父は男二人暮らしで毎日を過ごしていた。

再婚は考えなかったらしい。

父はずっと母のことを愛していた。


しかし、時折部屋の片隅で母の遺影を胸に肩を震わす父を見て、子供ながら胸が苦しくなった。


父が悲しそうに過ごすより楽しそうでいてくれた方が嬉しい。


だから再婚したいと言うのなら、俺は笑顔で承諾しようと考えていた。



高級そうなレストランに辿り着くと、先に着いてしまったらしい父と俺は予約の四人席に二人で先に座り、後から来る客人を待った。

(ていうか四人席なんだ)


そうか。

四人席ってことは再婚相手もこちらと同じく子持ち、か。

いろいろと考えを巡らせていると、


「ごめんなさいお待たせしちゃって」


こちらの席に向かって来る人物が父の紹介したい人だろう。

穏やかで優しそうな、可愛らしい女性だった。

(……え?)

俺はその女性の後ろについてくる人物を見て驚愕した。

そこで目にしたのは見たことのあるクラスメイトの顔。


卯月桃の顔だった。


「悠樹紹介するな。この人は卯月うづき清香さやかさん。隣がその娘の桃ちゃん。父さんな、清香さんと再婚したいと考えてるんだ。今日はお互いのことを知ってもらおうと思って挨拶の場を設けたんだ」


「よろしくね悠樹くん。大きいわねぇ、中学生? 桃と同い年くらいかしら」


父も清香さんも俺たちが同じ中学に通うクラスメイトと知らなかったらしい。


ニコニコ笑う親たちと反対に、俺と卯月は凍りついた。


いや、卯月は元の真顔から微動だに動かさないでいたが、とにかく俺は困惑でいっぱいだった。



あの“ナナシ”と呼ばれる彼女の親が父さんの再婚相手?



「悠樹くんのお父さんは本当に素敵な人ね。私もあなたの素敵なお母さんになれるよう頑張るからね」


「あはは……どうも」


一見朗らかで優しそうに見える女性だが俺は彼女の前科を知っている。


クラスではナナシと呼ばれている彼女の親がどういう性格なのかは彼女につけられたあだ名で察する。


なぜだ、親父。なぜこの人なんだ。

頼む考え直してくれ!


……などとは言えず俺は自分と同じく並ぶ料理を黙って見つめるばかりのクラスメイトに目をやった。



「……」


何も感じてないような空っぽな瞳で卯月は皿の料理を見ていた。

話によると卯月の誕生日は俺より二ヶ月後らしく、俺の妹にあたるらしい。


卯月と義理の兄妹になる。


毎日見るクラスメイトと突然親族関係になってしまった俺は、これから彼女とどう接していいか分からなかった。


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