第30話豊臣儲

 妊娠中に妻の機嫌を損ねたり、産後の対応を間違えたせいで離婚に陥るのは現代ではよくある話だ。

 秀繁は他山の石とはせず、自分にやれることはなんでもやろうと思っていた。


 だが、侍女たちから


「男に出産は御不浄です」


 と言われ結局何もできないのであった。


 せめて、機嫌をとることを考えもしたが、そもそも妊娠中に側室を娶っているのだ。

 言い逃れのできないことを既にやってのけているのである。

 それでも、出産に関して一番甲斐甲斐しく働いたのが琴であることが、まだ秀繁にとって救いであった。


 小春は男子を産んだ。

 順調にいくなら、豊臣家の3代目である。


「秀繁さま、男の子おのこ誕生おめでとうござりまする!」


 家臣たちは泣いて喜んだ。

 特に旧明智家の者の喜びようが激しい。


――この子は世が世なら、明智家の3代目でもあるのだから、と秀繁はすぐに察した。


 しかし、男であることが特にめでたいことが秀繁には理解がそこまで及ばない。

 子は、男でも、女でも、尊重されるべきではないのか。


「そこは、価値観がまだ、現代に染まっています」

 

 と半右衛門は言う。


「男子であればこそ家を継ぎ、絶やすことがないようにできるのです。そもそも男子がいなければ、江戸時代ではお家は断絶です」


「つまりは、男系系統がとてつもなく価値があるということか」


「そうです。昭和まで男だけが戦争に行き、家を一切合切から守ることにより、男尊女卑を貫いてきました。現代というのは、日本では戦争がないものですから、あなたがそう思うのもやはり無理がないのかもしれません」


「わかったような、わからない話だな……」


「そういうものです。さあはやくご対面なさってください」


 周りのものが皆、早く親子対面するようにせかす。

 その対象の秀繁は、追われるように廊下を走った。


「小春、がんばったな!」


 秀繁を満面の笑みで小春は出迎えた。


「あっはっは」


「そんなに可笑おかしいか?」


「自分で産んどいてなんやけど猿やわ、猿! やっぱり猿と言われる人を祖父にもつと、生まれる孫も猿やね」


 子供の顔を確認すると『猿のような人のような』と、後年秀吉が伝記に書かれたような顔を確かにしていた。

 たしかに、豊臣家の3代目のようだ。


「小春。この子は豊臣家の3代目だ」


「そうですけど、何か?」


「もし……もし、もうひとりそなたが男子を産むことがあれば、その子には明智家を再興させてやっても良い」


「それを……それを今言いますか……」


 瞬間、小春の笑みが崩れ、涙腺が緩む。

 目頭が熱くなり、嗚咽が漏れそうになる口を思わず手でふさぐ。


「そうだ、今言う。感謝の言葉がほかに見当たらないからな」


 まだ価値観が戦国時代に染まりきっていなかった秀繁だったが、伴侶の反応を見て言って良かったと本心で思う。

 伴侶の反応だけではない。

 周囲の明智家にかかわりがあるものすべてが涙汲んでいる。

 むろん小春が男子をこの後も産んで、秀繁の世になったら、だ。

 さらに秀吉が存命の間は望むべくもない。

 可能性を示しただけであったが、旧明智勢は秀繁の思いやりに忠誠心が厚くなる。


「ほかに欲しいものはないか?」


 妻自身が赤子のように優しく尋ねる。

 小春は目を手で拭い、それに応じる。


「では、この子に名前を付けさせてください」


「どんな名前だい?」


「もうけ、です!」


「なんだそれは……」


「以前言いました、生きてるだけで儲けもんやって。だからもうけです。ふふ、『おまけ』とどっちにしようか迷いましたわ、生きとるのは『儲けもん』か、子供ができるのは『おまけ』か」


 豊臣鶴松の幼名はすて

 豊臣秀頼はひろいである。

 孫が『儲けもの』なのは、豊臣家の伝統としておかしくはないのかもしれない。


「まあいいだろう。母としてその方が愛情が持てるなら名前はそなたが決めればよい」


「次にまた子供ができたら『おまけ』にしますから、ね」


「『負け』みたいだから武家の子にそれはないだろう……」


 さすがにウンウンと周りの者も一斉に秀繁に同意して頷いた。

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