第14話最初の目標

「おまえさま、おまえさま。朝餉の支度が整いましたよ」


 着物をたすき掛けした小春が、秀繁を呼ぶ。

 おまえさまとは秀繁のことだ。

 秀繁は早朝の鍛錬として、素振り300回を半右衛門に命じられている。

 木刀などない。真剣で、である。


 上半身裸となった秀繁は井戸から水を汲み、思いっきり被る。

 この時代は風呂はあっても高級品である。

 むろん、羽柴家の嫡男である秀繁は使おうと思えばいつでも使えるのだが、沸かすにも人を使わなければならない。

 ただ水をかぶるのは、他人に気を遣わせずに済む最良の入浴方法であった。

 おかげで、愛する妻にも汗臭い匂いを嗅がせずに済む。


「夫婦で別々に食べるのは私は好かん。おまえも一緒に食べなさい」


 はい、と小春は返事をし、自分の膳も用意をして食べ始めた。

 彼女は痩せぎすなのになかなかの健啖家だ。

 思わずそれにつられて、秀繁の食欲も増すというものだ。


 この時期は一般的に、朝夕一日二食でコメは普段は黒米を食べる。

 味噌汁も大豆ではなく、糠味噌でそれに梅干しなどを付ける。

 魚や鶏肉がたまの贅沢で、ときどき野性のイノシシを獲って食べたりもする。

 食事は質素ではあるが量は半端ない。

 朝夕それぞれ二合半コメを食べる。一人がである。

 しかしながら栄養素が不足しているために、一般的に皆身長は現代に比べて低い。

 秀繁は170cmそこそこであるが、この世界では大男とまでは言えぬまでも身長はかなり高い部類に入る。

身長が高すぎるのが嫁入りの障害になっていた小春でさえ、現代でいうと160cmはない。


「舅どのはどんなお方か」


 秀繁は丁寧に箸をおいて尋ねた。

 大名の子息である気品を、必死に身に着けようとした結果である。


「どんな方とはどういう意味です?」


 そんなことはお構いないかのように、小春は咀嚼しながら答えた。

 初夜のこともあり、もはや自分の素性を家中にまったく隠すこともなく、リラックスして羽柴家に馴染んでいる。

 母の寧々も飾らない方・・・・・の小春を気に入っているようだ。


「お人柄とかだ。何が好みだとか、どんなまつりごとを行っているとか。どんな人物が好みであるか、とかだ」


「ウチも過ごした時間が長いとはいえんから、詳しいことはよう知らんけど、合理性に富んだ方でいらっしゃるみたいです。無駄なことが嫌いで、そこらへんは信長さまや義父上さまに似てらっしゃいます。違うんは、歌やら香やらを嗜んで教養があることです。あっ義父上さまが教養がないと言ってるんちゃいますよ。政は、丹波では父の悪口をいうものはいない、と言われるほどだそうです」


 小春は遠慮することなく、頬張りながら、余計なことまで言った。


「いろいろ考えることが多いのか、自分とは違う生一本な方が好みやとおっしゃられておりました。これは直に聞きましたから、間違いありません」


「私は、舅どのの好みに入るかな?」


 その言葉に、うーん、と小春は小首を傾げる。

 ジロジロと、自分の旦那はどうだろうと、値踏みをするかのような目つき。

 

 そして言葉を濁さず、思い付いたかのように


「おまえさまが生一本かどうかはともかく、嫌いな男に娘を嫁がせようとまでする親はいないんとちゃいますか」


 と言った。


「舅どのが死んだら悲しいか」


 重要なポイントである。

 まさか、新婚の妻に『実はおまえの父の命を狙っている』とは言えない。

 しかしここで選択を間違えると、新妻がいきなり刺客となるやもしれない。


「そりゃ親が死んだら悲しいのは当たりまえです。よほど仲が悪いか、親に子と思われてないかだったら……あれ、ウチちゃんと子供って思われてるんやろか……」


 実際に、政略結婚のときに情が湧くのを防ぐため、子供に関心を持たない戦国武将は数多い。

 もし情が湧いてしまったら、それは人質としての価値を上げてしまうからだ。

 

 歴史としては『小春』という女は、羽柴秀繁がいなければ、町娘で生涯を終えるところであった。

 だが、もはや『明智小春』は逆賊の娘という汚名を背負って生きていかなければならないことは明確である。


――自分が守ってやらねばならない


 運命の悪戯で夫婦になったにせよ、もう他人事ではない。

『羽柴小春』は、秀繁にとって愛する正室なのであるから。


 泣きそうになる小春を、ドウドウと秀繁はあやし、

「もし羽柴家と明智家が敵同士になるようだったらお前はどうする」

 とするどく尋ねた。


「そんな『もし』嫌やわあ……」


「もしも、だ」


 と返答をごまかさないように強く求めた。


「ウチはもう羽柴の女です。明智が敵になってももう明智家に帰るところはないかもしれません。一生、おまえさまと添い遂げていくだけです」


「そうか」


 濁りのない、まっすぐな黒い瞳が秀繁を捉えていた。


「秀繁さま、軍学の講義の時間がそろそろだと官兵衛さまからお言伝です」


 夫婦二人の間に大吾郎が駆け込んでくる。


「うむ」


 もう少し感情を表に出してくださいね、と小春のお小言を後目に、秀繁は食事をかっ込んで立ちあがる。


 差し当たっては、戦国武将としての教養を身に着け、大将らしくあらねばならない。

 あとは虚無と言われ続けた感情表現を豊かにし、妻の不満を拭い去ってやること。


 それは最初の目標が、妻の父を殺すことに他ならないからだ。

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