第34話 本山からの使者
「向卯山道場に通ってるの?」
ウィッチ・ガーデンで、仕事前に着替えているとき、私から道場の話を聞いた千秋さんはそう尋ねてきた。
向卯山道場というのは、ジュン先生の道場の名前だ。
「はい。学校から歩いて行ける距離なんで、ちょうどいいな、って」
「そう。あそこに」
なぜか千秋さんは険しい表情をしている。
「何か、まずかったですか?」
「なっちゃん。いやなこと言うようで悪いんだけど、あそことは関わらないほうがいい」
「え? なんでですか?」
「あの道場は、正式な、竜虎道拳法の道場ではないの」
私は、にわかにはその話を受け入れられなかった。
同じ竜虎道拳法の使い手である千秋さんの言葉だから、信憑性はあるけれど、それでも向卯山道場が正規の道場ではない、なんてことは認めたくなかった。
「でも、ジュン先生はすごく強いし、門下生だっていっぱいいるんですよ。あんなに立派な道場が、認可を受けていないところなわけがないです」
「立派だからって、正しいとは限らない。お願い。二度と通わないで」
いつもなら千秋さんの言葉には素直に従う私が、このときばかりは、頑固のスイッチが入っていた。それは、千秋さんと並ぶくらいに、ジュン先生のことが好きになっていたからだと思う。
「認可を受けてるかどうかなんて、関係ないです。私は、あの道場が好きなんです。そんな簡単に、はいわかりました、なんて言えないです」
「なっちゃん……」
ちょっと寂しそうな目で、千秋さんは私を見つめてきた。こんな千秋さんの顔、いままでに見たことがない。胸の奥がズキンと痛んだ。
何も言わずに、着替え終わった千秋さんは、ロッカールームから出ていった。
それから、千秋さんとは気まずい関係が続いた。教育係はエリカさんだから、接点は、着替えか休憩の時間か、休みの日に公園で技の手ほどきを受けるときくらいだったけど、顔を合わせても会話しないし、公園での練習もなんとなく中止になっていた。
(千秋さんが悪いんだもん。いきなり、ジュン先生の道場へ行くな、なんて言うから)
そう思って、自分の気持ちをごまかしていたけれど、かすかな罪の意識は拭えずにいた。
やがて、九月も半ばになり、週四回の道場通いにも慣れてきたころ。
あの事件が起こった。
※ ※ ※
ジュン先生は道場に住んでいる。
不思議だった。大きなバイクが置いてあるから、たまにそれで町へと下りて、買い物をしているのだろう。生活するのに、それほど不便ではないのかもしれない。
でも、なにも住みこまなくてもいいのに、どうして。
「約束だからさ。ここはオレが留守を預かってるんだ」
あるとき、尋ねてみれば、そういう答えが返ってきた。
何度もジュン先生の口から出てくる「道場を守る」という言葉。
奇妙なものを感じた。こんな山の中にある道場を、いったい、何から守るというのだろう。道場破り? 自然災害? どちらもこの山では起こりえそうにないものだ。
山、とはいっても、ちょっと下りれば金沢市内だ。規模としては小山程度。標高はたしか一四〇メートルくらいだったか。外界からの干渉がまったくないとは言えないけど、わざわざ山登りするくらいなら、町中の道場を襲うほうがよほど意味がある。
なのに、ジュン先生の口ぶりからは、まるで今日にでも何者かが襲ってくるかのような雰囲気が漂っていた。
そして、私が知らなかっただけで、たしかに「敵」は間近まで迫っていた。
その日、道場の中に入ると、濃紺のスーツを着た、眼鏡の小柄な女性が、正座して、ジュン先生と向かい合っていた。
他の門下生たちは、左右に分かれて見守っている。ただならぬ様子だ。
私は制服のまま、列に加わった。
チラッ、とスーツの女性は私たちを見た。そして、またジュン先生へと目を向けた。
「これで全員ですか」
「まだ他にもいるけど、もうすぐ一八時だ。たぶん来ない。いいから始めろよ」
「では」
と、スーツの女性は眼鏡を指でかけ直し、居住まいをただした。それから、私たちに対して一度だけ、グルリを首を回して顔を向けてから、正面をしっかりと見据えて、強い口調で言い放った。
「私は本山の法務部で主任をやっております、篠原円と申します。本日は、この道場の閉鎖を勧告しにやってまいりました」
「あん?」
ジュン先生はガンを飛ばした。真っ向からあんな据わった目を向けられたら、私だったら怯んでしまう。だけど、篠原さんは臆することなく受け流した。
「すでに破門となっているあなたが、竜虎道の名を借りて道場を運営する資格はありません。我々としては法的に訴える準備も整えております。裁判となれば、あなたに勝ち目はない。おとなしく勧告に従ったほうが身のためです」
私はショックを受けた。
千秋さんの言っていたことは本当だった。
この道場は認可を受けていない、非正規の道場。しかも、いま初めて知った。ジュン先生は竜虎道拳法から破門にされていた。
「破門にしてるんなら、オレが何やろうと、別に自由だろうが」
「『竜虎道』の名はすでに登録商標となっております。許可もなく使用することは許されません。あなたはこの道場の表に、看板を掲げていますね。『竜虎道拳法 向卯山道場』と。仮に看板だけ外しても、今後も道場を続けるようであれば、私たちは訴訟を起こさせてもらいます」
「いつから、うちの拳法は、そんなゲスな真似をするようになったんだよ」
ジュン先生の声は怒りで震えている。
「文句があんなら、技で勝負してこいよ。本山にいる連中の何人が、本物の技を教えられる? 本当に強いやつはどれだけいる? オレは正しい竜虎道を教えている。お前らみたいな金儲けに走った組織とは違う、純粋に、拳法の技を――」
「門下生から集めたお金は、何に使っているんですか?」
「道場の運営費と、生活費に決まってるだろ」
「生活費。ということは、私的な用途に当てている、ということですね」
「悪いかよ! これがオレの仕事だ!」
「あくまでも無償奉仕であるべき。それが我々の拳法の教えです」
「開祖はそんなこと言ってねえだろうが!」
「大事なのは、いま、です。時代が変わればルールも変わる。あなたが主張していることは、とっくの昔に死滅した考え方。いまも適用できるものではありません。私だって、法務部に所属しておりますが、生業は弁護士です。本山からは正統に弁護士としての報酬をもらっているだけで、そのほかに報酬は一切受け取っていません」
「御託はいい。うちの道場の仲間たちが、どう考えてるか、だ」
そこでジュン先生は、私に目を向けた。
「ナナ。いつか話そうと思って、黙ってて悪かった。ここは正式に登録されてない道場だ。ただ、それは本山から見ての話だ。オレとしては、正しい竜虎道を教えている。文句を言われる筋合いはない。」
「先生は……でも、破門されたんですよね……?」
気になるのはそこだ。さっき、篠原さんが言ってた。ジュン先生は破門の身だと。
「私が代わりに教えてあげます」
篠原さんもこちらへ顔を向けてきた。
「竜虎道では、門下生から集めたお金は、道場の運営にのみ使えるものとなっています。道場長の生活費に回していいものではない。それは規約で定められているものです。違反すれば破門になることも明記されている。にもかかわらず、この人は――長洲音道場長は、拳法を自分の生業としました」
筋は通っている。篠原さんが話す内容におかしな点はない。どう考えても、悪いのは、ジュン先生になるのではないか。
「しかも、この道場では、過去にも――」
「それ以上喋ったら殺すぞ」
低く、力のこもった声で、ジュン先生は脅しをかけた。
「昔のことはどうでもいいだろ。お前が相手しているのは、オレだ」
「立場をわかってもらおうと思っているだけです。破門になった道場長が運営している道場を、本山はこれ以上野放しにできません」
「言っておくけど、裁判なんかには応じない。たとえ機動隊が来ようと、最後まで抵抗させてもらう。なあみんな!」
ジュン先生の呼びかけに、門下生一同、全員力強く「はい!」と返事した。わけもわからず混じっている子どももいた。私は、まだ混乱しているから、同調できずにいる。
「力で臨むのは、我々としては本意ではありませんが……その方法を選ぶのでしたら、仕方がありませんね」
篠原さんはスーツのポケットから、スマホを抜き出し、どこかへ電話をかけた。
「ええ。あなたの予想どおりの展開となりました。すぐ来てください」
短く、それだけ言って、電話を切る。
「誰だ?」
ジュン先生が問えば、
「本件に関するアドバイザーです」
と篠原さんは澄まし顔で答えた。
道場の中に、ブラウスと黒いチノパン姿の、見覚えのある女性が入ってきた。何者かと門下生たちがヒソヒソ囁き合っている中、私は驚きの声を上げた。
「千秋さん!?」
一瞬だけ、千秋さんは私のほうを見たけど、すぐに目線はジュン先生へと向けた。
「久しぶりね。ジュン」
「千夏か」
それが千秋さんの本名かと思っている間に、ジュン先生は立ち上がり、千秋さんの眼前まで接近した。
「引き受けたのか、こいつらの依頼を」
「仕事だから」
「お前も同じ竜虎道の人間なら、どっちが正しいか、わかるだろ」
「残念だけど、理は、本山のほうにあると思う」
空気が張り詰める。睨みつけるジュン先生に、穏やかな表情の千秋さん。それぞれ態度は異なるものの、どっちも触れただけで切り裂かれそうな気迫を発している。
「他人に汚れ仕事を頼むような連中だぞ」
「そのことだけど、厳密には、本山は関与していないわ」
「あ? どういうことだ?」
「本山からの依頼は、『破門された道場長が無断で道場を運営している。どうしたらいいかアドバイスが欲しい』というもの。それ以上のことは要求されてない。だから、ここから先の行動は、あくまでも私の独断」
「なるほどな……本山としては、『暴力で解決した』なんて結果は残したくないわけだ。だからてめーらのところの人間ではなくて、お前に頼んだんだな」
「ジュン。退く気はないのね」
「当たり前だろ。この道場に害を加えようとするやつは、誰であろうと叩き潰す」
「わかった。なら、ひとつ決め事をしましょう」
「決め事?」
「一週間後、私と勝負をしてもらう。それであなたが勝ったら、この道場を好きなようにしていい。本山には私からかけ合うようにする。でも、もし私が勝ったら、そのときは道場は私のものとさせてもらう。閉鎖しようと、何をしようと、文句は言わせない」
「乗ると思ってんのか、そんな話に」
「負けるのが怖いの? ジュンらしくない」
「逆だろ。一度もオレに勝ったことのないやつが、ほざいてんじゃねえよ。こっちはどうせ動けなくなるまで戦い抜くつもりなんだ。仮にお前に負けたとしても、言うことを聞く義理はどこにもない」
「子どもたちが巻きこまれてもいいの?」
その言葉は、脅しの意味で言ったのではなかった。
中学生の門下生二人が、立ち上がって、千秋さんを睨みつけている。自分たちもまた道場を守るために戦う、という意思を見せて。つられて、小学生たちも立った。未就学児の子も勢いで立った。
初めて、ジュン先生の顔に動揺が走った。
この道場を守るために力で抵抗すれば、子どもたちまで加わってきてしまう。たぶん止められない。ろくに実戦経験を積んでない彼らが戦いに参加するのは、非常に危険だ。
「泥沼にならないよう、一回の勝負で全てを決してあげる、と提案してるの。あなたにとって、悪い話ではないと思う」
「ちっ。相変わらず、本物の魔女みたいなやつだな」
忌々しげにジュン先生は毒づいた。
「わかったよ。受けてやる。なんなら、いまこの場でもかまわないぜ」
「いいえ、一週間後よ。こっちにも用意があるもの」
「その程度の期間じゃ、付け焼き刃にすらならないぞ」
「昔の私と思わないで。勝ってみせるわ」
とんでもないことになってきた。
ジュン先生と、千秋さんが、一週間後に決闘する。この道場の存亡をかけて。双方とも信じられないほど強い人だ。どっちが勝つのか、まるで想像できない。
ふと篠原さんを見ると、彼女は口元を歪めて、声も出さずに笑っていた。
思惑どおりに事が進んでいるのを楽しんでいるような、実に、不気味な笑顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます