第2話 電柱シティと牧草地

 三人を見送った後でライラたちも移動した。放り出されたところは、電柱シティのターミナルだ。カストルはでかい荷物のせいで座り込んでいる。ライラがターミナルにある地図を眺めている。


「電柱シティの管理棟で居住場所を決めて、仕事も探さなきゃ、ほら、立って! 座るのは牧草地に着いてからよ」

 管理棟は町の真ん中にある。ドームのほとんどが似たような構造になっている。


「ライラ、牧草地で暮らすなら仕事は決められているよ」

「羊の飼育と牧草の手入れだって。報酬は風車の掃除と同じくらいすごく低いんだ」

 入植の手続きをしながら、カストルが説明してくれる。ボルクは注意深くカストルの手元を見ている。

「ライラ、君が来てくれないと、ほら手を差し出して」

 入植管理機はぷぅと寂しげな音を出し、三人は無事に第三シティの住人になった。


 牧草地から見上げる空はすごく綺麗だ。緑の草に電柱が影を落としている。空は不安を煽るような赤銅色で、雲は赤い。無数の電線に空の色が反射してドーム全体が赤い光に包まれている。


「さすがに最初の入植者の夢が詰まったドームだね。希望を持って火星に来たなんて、初期の入植者だけだからな」

 カストルは木の床に寝転がっている。

「カストル、今何時なんだ?」

「もう昼だよ、食事をしないと」

 ボルクが答えた。カストルは寝転がって空に目を奪われている。

「ねえ、もしかしてこの空は自然な火星の空の色なの?」

「そうかもね。ボルク、第三ドームの情報は少ないんだよ。ライラが調べたんだ。たしか、第三者ドームは宮大工の飛田組って会社が作ったんだ」

「カストルそれ正しい情報なの? 宮大工って日本の職人じゃない? 宮大工がなぜ火星にいるんだ」

 ボルクが目を輝かせている。

「山内治五郎さんが社長兼棟梁でね、地球から丸太をたくさん運んで、日本家屋を作ったんだ。だから初期に入植した大工は日本家屋で暮らしている」

「へえ木の家か、僕たちが行くところも、ロッジだから木の家だよ、きっとそうだ」

カストルは弾みをつけて起き上がると、ボルクとライラの手を取った。三人で昼間から酔っ払たように、夢で胸を熱くしながら土の道を歩いて行く。


 ドームの端っこまでは一時間しかかからなかった。火星の住人たちは荒くれ者が増えて小競り合いが絶えない。ドームによっては殺人事件が起きるほど治安が悪くなっている。大人しいボルクには過酷な環境になったかも知れない。


 ロッジは思った以上に三人を虜にした。ボルクは暖炉に火をおこし、自在鍵に鍋をかけた。部屋の隅っこには薪の束が詰まれている。

「そうだ、羊の世話のやり方を見ないと、モニターはっと、あったよ」

「羊の世話のマニュアルはあたしが見るから、ボルクは何か食べものを見つけてきて、配給が届いている筈なんだ。カストルは生活の仕方を調べて、ほらあのチップじゃない?」みんなで分業すれば十分もかからない、あとは互いにデータ交換し合う。チップは入口の棚に無造作に置かれていた。


 すぐにボルクがかけた鍋から肉のスープのいい香りがしてきた。

「贅沢だけど合成食より千倍もうまいね」

「ほう、カストルはまな板や鍋釜まで持って来たんだ」

「そうさ、食堂のおばちゃんに卒業祝いをもらったたのさ」

「おばちゃん泣いただろう」

「うん、へえ、ライラにはわかるの? なぜわかる、泣いたんだよ大泣きさ、死ぬわけでもないのに」

「カストル、あたしたちはすごくたくさんの欠陥があるんだ。自覚した方がいいよ。これまでは、膨大なデータを取り込むことに必死だったけど、数式や化学やたくさんの公式じゃなくて、歴史書や、絵本や、漫画本のデータに触れれば感情が見つかるよ」

「ライラは子供のときから声に出して本を読んでいたね」

ボルクはライラの横に張り付いて居眠りをしていることが多かった。


「データの移動ってのが今ひとつ信じられないんだ」

 熱々のスープだ。すごく美味しい。ボルクはガイヤの中では成長が遅い。皆を心配させていた。だけど一緒に行動すると、特に不自由なところは見当たらない。

「あのさあ俺たちってずっと宇宙食ばかり食べてたよね」

「国が養育したんだから仕方がないよ」

ライラが骨付き肉をしゃぶっている。

「ライラ、それが僕たちが育てる羊の肉なんだ。冷凍庫にたくさんあるよ」

 ボルクが冷凍庫の扉を開いて二人に見せた。配給品だけじゃない。

「たまたまこんな仕事にありついて、理想的な小屋まで手に入るなんて運がいいよね」

「ボルク、前の住人が逃げ出したんだよ、覚悟しとけよ」

「そうかなあ、でも僕は好きだよ気に入った」

 ボルクは歩き回り、扉を開けたり、引き出しを開けたり落ち着きがない。


 カストルがボルクを呼び止めて、早速データを交換した。ライラとカストルには空き容量が半分以上あるが、ボルクには三十%しかない。ボルクは処理能力も少し遅いから、カストルが力を貸している。ボルクのことは生まれてからずっとカストルが守っているんだ。ボルクはデータを見ないようにしていた。


「役割を決めよう、ボルクは羊の世話と牧草を管理する仕事だ。出来そうかい」

 カストルはそんなボルクの肩を抱いている。

「うん、朝七時に施錠を解除したら、牛や羊を放すんだ。彼らは自分で餌を食べたり水を飲む。餌も水もプログラムされてるから、僕は彼らの体調を見ていればいいんだ。あとは搾乳機で乳を搾る。これも、プログラムされてる。肉の出荷量は注文次第で、順番に肉になる。冷凍庫の肉はたまに注文が少ない時があり、おこぼれを失敬する。僕たちはミルクを好きなだけ飲める。加工してもいいのさ。作れるなら、バターだってチーズだって作っていいよ」


「ボルク凄いじゃないか、もうなんでも出来るんだな」

 ライラは生き生きと目を輝かせているボルクに安心した。ボルクと一緒だと思うと、ちょっと負担を感じていたんだ。

「うん、この仕事に出会えて嬉しいんだ。ライラありがとう。動物たちのために何ができるか考えるだけで情報がすんなり頭に入るんだ。こんなこと初めてだよ」

 ボルクのまんまるの瞳がくるくるとよく動き回る。脳が開放された状態だ。


「カストルはドームの調査をしてくれないかな。基本的な知識以外に、例えば組織とか、他のドームと比較して、何が優れていて何が劣るのか」

「自給率とか、政府への依存度とか、調べることは山ほどある筈だからな、で、ライラは何をしたいんだ」

「あたしは初期の第六ドームを見てみたいんだ。それと叶うなら治五郎さんに会って、なにか役に立てることはないか聞いてみる。それよりね、センターの管理から離れたところでの暮らしを楽しみたい」


 世界がガイヤに興味を持っている。研究材料ってことは、命まで握られているんだ。必要なければ簡単に抹殺される。ボルクには言わないでおこう。すでにカストルは知っている筈だ。ライラにはいつの頃からか、抹消されるという恐怖が付き纏っていた。おそらく、ビジュも気がついている。カストルと、ライラとビジュだけが得体の知れない恐怖に付き纏われている。


 


 二日目の朝だ。

「みんなどうしてるかなあ」

ボルクがケーキを焼いてくれている。カストルなんか、こんな朝を迎えたことに感謝して何かに祈っている。

「カストル、あまり珍しいことするなよ。まさかなんかの宗教にはまったのか? 何に祈ってるんだ?」

 ライラがボルクに渡された粉を捏ねているのを見て、今度は涙ぐんでいる。

「ボルク、カストルはどうしちゃったんだ?」

「わからないよ、やたら感動するんだ。搾乳機で牛の乳を絞ったら声を出して泣いたんだよ」

「ガイヤの欠陥だって記録されたよ。まったくどうしたんだ」

「自然てすごいな」

「へ?」

「第三ドームの中を観て回ったんだよ、野菜が土の上で育ってるんだ」

「あたりまえじゃないか」

「でもさ、たいていの野菜は工場のポットで発芽して、やがて実がなるんだ」

「僕たちと同じだね。きっと思いもよらない出来そこないだったりして、新しい事より先人の知恵に学ぶほうがいいね」

「へヘヘへー」

「ライラ、なんだよ気持ち悪いよ」

「ボルクがいきなり賢くなっちゃって、雛が殻から出てきたみたいだ。よしよし男の子だな」

「よせよ、まったくライラはいつも子ども扱いするんだ。ほら、カストル焼きたてだ」

「カストル食べなって、あんたがそんなんじゃ心配になるよ。まさかリンダと離れたことが寂しいのか?」

「ライラ、リンダは色っぽくなったけど、男連中にとっては兎小屋の兎と変わらない。愛玩動物だけど、めんどくさいよ」

「そうだよライラだってすごく優しくて可愛いじゃないか」


 ボルク、あんた自身がすごく可愛いんだ、カストルが手放さない気持ちがよく分かる。ライラが見ているうちに、カストルはすぐに次のケーキに手を伸ばした。

「ボルクが焼いたんだぜ、いつもぼんやりしていたボルクが自分で搾ったミルクでさ、感情なんて怒り以外ないと思っていたんだ。ほら、自然に涙が出てくる」

「言うなれば、家族愛だな、たぶんそんな感情だよ。みんなも上手くやってるといいけど」

 ライラは立ち上がって、台所の隅を流れるベルトに食器を流した。きれいに洗浄されて棚に戻される。

「やっぱりガイヤの頭脳は特別だって思う?」

「ボルク、頭に詰め込まれ過ぎてるから、取り出すのに時間がかかる。だけどこうして皿を洗ったり、牛や羊の育て方はすぐにわかるだろ、やっぱりガイヤは特別なのかもね。少しのんびり過ごすんだ」

 いかついカストルが思っていたよりさらに大きく優しい大人の男だったなんて、ライラにはありがたい誤算だった。


「そう言えば、昨日話した治五郎さんは統括センターのペントハウスにいるらしいよ。会った方がいいかな」

「明日三人で行くかい」

 ライラが二人の様子を上目遣いで見た。

「ライラが代表で行けばいいんじゃない」

 ボルクがあっさりと拒否した。珍しいことではなく、あまり多くのことには興味を示さない。しかたがないんだ。挨拶はライラが引き受けた。治五郎さんに会いたがっているのは自分の方なんだ。


 宇宙飛行士は、このプロジェクトが始まった頃は困難な特別の任務だった。命をかけて火星に来た。初期の英雄たちはまだ皆んな健在で火星に残っている。


 地球は魅力がないのか? あの美しい惑星より火星にいる理由はなんだろう。それにガイヤを作り出した理由、ガイヤのプロジェクトは失敗したのに、何故生かしておくのだろうか。地球人が我々の運命を決めるのか。ライラはずっと不安だった、成長するにつれ疑問は大きくなり、誰に聞いても答えてくれなかった。


 ライラは電柱シティを歩いていた。空はやはり赤銅色だ。火星の大地の色に近い、大地と空が同じ色だから息苦しいのかな。電柱は丸太だったり、コンクリートだったり素材がまちまちだ。一本の電柱に何本かのメインケーブルがあり、角があれば細いケーブルに接続されていたりする。

 電線は直線じゃなく、歪んだり垂れ下がったりして、風景を分断している。規則正しい風景ばかり見てきたせいなのか、風景さえ立体的で自分もきちんと整えられたものではなく、歪んだりたわんだりしていて当たり前なんだと思える。


 ドームの壁面はたくみに森や砂漠に邪魔されて、手を触れることはできない。牧草地では壁面が見えた。木の手すりが牧草地を囲っている。その向こうに特殊ガラスのドームの壁面がある。ハイパーグラスの向こうに火星の大地があるのだ。


 入植して十八年も過ぎたのに、人間を拒み続けている大地だ。地下の調査をしても水なんかなかった。重要なレアメタルはないことになっているけど、ライラは違うと思っている。ガイヤだから推測できるのか、鉱物のリストをアップすると、火星の条件下に存在する鉱物のリストもある。しかしそれはJBAとか元素記号でも鉱物記号でもないナンバーが振られていた。


 火星は地球の所有惑星であり、国境はない。地球が国によって分断されていたことで、惑星を守る対策ができないのだ。地球崩壊の危機が囁かれたなか、火星を第二の地球にするために、開発を急いだ。地球の半分ほどの大地にどれほどの人間を移動するつもりだったのだろう。


 第三ドームは小さい、直径で十二kmしかない。一号ドームの中央管理棟までは、二千km、オリンポス平原の真ん中辺りに最初のドームが建てられた。第六ドームの後からできた集団移動用のドームは、建売り型ドームと呼ばれた。半球体で作られて火星の大地に蜂の巣状に設置している。ライラは建売型のドームも見学したいと思う。 


「うん、でも空の色なんて考えたことなんかないよ。すべて作りものの世界さ」

 ライラの一人言に、自分の中の声が唐突に反応した。これもカプセルベイビーの弊害の一つだ。気がつけば、自問自答している。


 初期の電柱シティとの違いは、第六ドームを見物するだけで十分だろう。


 電柱シティの真ん中の管理棟からエアーカーに乗ると三十分で一号ドームのステーションに落とされる。カプセル型の乗り物に乗ると、ボシュっと発射音がして、ズッポンと被膜に包まれて吐き出される。


 今日は電柱シティの管理棟まで行くだけだ。エアーシューターに乗るまでもない。管理棟はどこからでも見える。宮大工の飛田組が建設したのだ。出雲大社の本殿がモデルだ。日本の古代に建てられた高層の建造物を火星に建ててしまった。しかも一年足らずで。本殿にあたる部分が棟梁のペントハウスってことだ。


「うわー、スゲー」

カストルが見上げている。結局カストルもボルクも付いて来た。

「僕たちはここまでだからね」

ボルクが手を振っている。

カストルはボルクの手を繋ぐと「健闘を祈る」と来た道を引き返して行った。


 何しに付いて来たんだろう。ライラは二人の後ろ姿を見送った。もうこの景色だけで、電柱シティに憧れた訳がわかるだろう。


 白木の美しい佇まい、天然の木を組み合わせ、高くそびえている。数あるドームの中で、第三ドームの天井は一番高い。ミーシャやチップスが憧れたc地区の高層ビルよりも本当は高いのだ。それはそうだ。六十mの本殿をカバーしているのだから。ドーム全体が木の香に包まれている。


 管理棟の一階でガイヤのメンバーだと告げ、市長に会いたいと伝えた。

 まもなく合成音声が案内すると告げた。

すると、作業着姿の愛想のいいおじさんがロビーを横切って来た。

「ああ、来てくれたんですね。棟梁も、いや、市長も君たちが電柱シティの住人になったと知り、会いに行く予定でした」

「まだ来たばかりで挨拶が遅れてしまいました。私はライラです」

「さ、さこちらですよ」

 ロビーのドアを開けて外に出ると、神殿の下に出た。そこから木造の階段が高く続いている。

「まさか……」

「エスカレーターです」


 火星人にこれだけの階段を登る筋力はない、ただ地球人の記録を見れば、地球人の筋力は火星人の六倍はあるようだ。それでも、飛田組ならこれくらいの階段は日常的に使っているのだろう、ライラには重労働だ。すでに神殿の迫力に圧倒されてしまっていた。


「エスカレーターか」ライラは心底ほっとした。

 無機質な火星の大地に木造の建造物を建てるという思考自体が奇人変人じゃないか。しかも街じゅうが電柱だらけ、住人は昭和の日本人のような服装だ。支給品のリストから注文するのだから、こうなってしまうってことだ。服装の規定はなくても、支給品リストは電柱シティ用のものだ。選ぶんじゃなくて、選ばされている。


 火星人の服装と聞いて、地球人はどんな想像をしているだろうか、宇宙服を日常で着ているなんて想像はしていないよね。でも電柱シティは数あるドームの中でも異質だ。


 割烹着や花柄のエプロン、サンダル、酒屋の前掛け、スカジャン、ジーンズ。地球人と火星人、我々ガイヤの三種類の人種しか存在しないが、やはり電柱シティは日本であり、日常会話はほぼ日本語だ。ガイヤには一切言語の壁は存在しないが。言うなれば、外国人が作った日本人街ってあるだろう? 違うんだ。電柱シティは本物の昭和の時代が再現されている。西洋と東洋の文化がいい具合に融合されて、誰が暮らしても懐かしい感じがするはずだ。


 ライラはボルクが取り出した支給品の牛模様のツナギを着ている。栗色の髪のライラを見てボルクは『すごく可愛い』と表現した。

 カストルは「じい様の前だ、普通で大丈夫だよ」と言った。アドバイスになっていないが、できるだけ口元を引き締めた。


 ドームに保護された白木のエスカレーターはペントハウス専用だ。贅沢極まりない。市長にこれほどの資金が集まっているとは! 山内治五郎って男は、ライラが理想と崇めていた姿と違うのではないだろうか。白木の優しい肌触り、暖かく、柔らかい。初めて触れる自然の偉大さって言ったら大袈裟なのかな。ライラは感動していた。いい香りだ。


 「棟梁、ライラさんが来ましたよ」

社の引き戸を開くと、板張りの広間があり、右手のオレンジ色のソファーに背筋を真っ直ぐに正して座る中年の男性がいた。

「ライラかい、いやいや、ありがとう。まさか電柱シティに来てくれるとは、私もいささか驚いたよ、大きくなったなあ、抱き上げるわけにもいかないなあ」

 直感的にこのおじさんを二百%受け入れてしまった。ペントハウスはこのおじさんがいて完成されているのだ。


「治五郎さん、えーと、し、市長、はじめまして」

「はじめましてはないだろう。私はガイヤの親も同然だよ。そんな挨拶はやめてくれ、ライラ、待っていたよ、忘れたんじゃなかろうね」


 ライフがソファーに足を広げて座っても、嬉しそうに目を細めて笑っている。うっ、だれだ、ライラは記憶をかき回した。


「ライラ案内するからついておいで」

 紙の障子を開くと、社を囲むように板張りの回廊にでた。黒く艶やかな板張りだ。


「ここから、電柱シティが一望できる。ほら、あそこが君たちの牧草地だ。そこから東に行くと、飛田組の社員が暮らす住宅街がある。高級住宅街と言われているが、そうじゃない、宮大工の技術を継承するために腕を磨いているんだ。練習するために建てている。わしはそのために、いち早く宇宙飛行士になったんだ」

 じい様を想像していたが、そこは宇宙飛行士、俳優のように鼻が高く、渋い理知的な中年だ。


「宮大工と宇宙って、一番遠いよね」

「地球では日本の建築に必要な木は、保護されて民間人ではなかなか分けてもらえない。見てごらん木造は美しくて、千年以上昔の建物が揺るがずに建っている。ドームなんかなくても、火星の気候にも耐えられるんだ。表面に特殊な塗料を塗るだけでいい。砂嵐も耐えられる強度がある。強化ガラスだってコンクリートだって、火星の砂嵐では削られて行くんだ。平安時代の建造物が残っているだろ。だけどな、大気だけはどうにもならない。ガイヤなら火星の大気を人間が暮らせるようにできるだろ」

 はっ、ライラは顔を上げた。

「ガイヤならって言ったの? ガイヤ計画は失敗したんですよね」

「失敗なんかしておらんぞ、火星までの移動時間が短くなったからわざわざ宇宙船で出産しなくても良くなっただけだよ」


「君たちにガイヤと名づけたのは、私なんだ。名前の意味は知ってるね」

「女神の名前だよ。または地母神と説明されてる」

「ガイヤってのはね、はじまりの神だよ。宇宙は信仰がないと理解出来ない。君たちはこれから大地を創るんだ。天地創造にもあたる」


 ライラは驚いた、ガイヤたちの、いや一部のガイヤたちにとって、突然消されることへの恐怖は楽しいことすべてを足してもまるまる残る。それが飛躍するにしたって大ジャンプじゃないか。

 天地創造だって!

「ライラや、君たちはまだ学ぶ必要がある。それに失われた十八年を取り戻さなくちゃいけない。実験棟での暮らしも過ぎてしまえば楽しかっただろう?」

 ライラは頷いた。しかし、治五郎さんは、まともなんだろうか? ガイヤに神になれと言うのか?


「火星での移住計画は、無理だとわかったんだ。まだ続々と移民船は入って来る。もはや拒むことは出来ない。十万人だろうと、百万人だろうとな」

「どうなるの?」

「地球からの指示には逆らえない、いつのことやらわからんが、また新しい大地を見つけて脱出するんだ。それまでに世の中のことに目を見張れ、ライラお前たちガイヤは選ばれた世代なんだ、ガイヤなんて名前は抹消すれば禍が起る。人間は迷信深い生き物で、神にすがりたがる。だから君たちの安全を保証するのにガイヤと名前を付けたんだよ」

 ライラはすっかり感心してしまった。

「ガイヤを抹殺なんてしようものなら、とんでもないバチが当たるさ」


「治五郎さんありがとう、ずっと心配だったんだ」

「困ったことがあったらいつでもおいで、君たちは私の孫たちだからな」

「神の祖父になるつもり?」

「ライラ、それも面白いだろ」


 治五郎さんは紳士ですてきなおじ様だった。

早くガイヤたちにもこの話しを伝えたい。

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