1-2【佐伯 良太、享年二十一歳】
ある日の日本。曇天の町並み。
家族葬向けの小さな斎場の入り口に、葬儀が行わる人物の名前が書かれた電子看板が置かれていた。
【故
享年二十一歳。
佐伯 良太は、あまりにも短い生涯を終えてしまった。
生まれは都会。幼少の頃より両親は不仲で、小学生の頃に二人は離婚した。
親権を有する母親には虐待癖があり、母子家庭ということを加味すれば、家庭環境は最悪と言わざるを得ない。
朝食の用意は自分で行い、母が朝帰りする前に学校へと向かう。
恵まれない環境は自らの人間関係にも影響し、友人と呼べる相手はあまりにも少なかった。
学校側は彼の置かれた状況を把握しつつも、有効な手段を取ることは出来ずに実質放置状態である。
朝早く家を出て、できるだけ遅く帰宅するという日々を送っていた良太。
このような生活は、得てして人格形成に悪影響を及ぼす。
小学校高学年の頃には不登校も目立ち、周りからは悪童として
中学生になってからの良太は、一部の集団からいじめの標的とされていた。
良太の粗暴な外見が幸いしたと言えるのか、暴力行為は周りが
代わりに、表に出ない陰湿ないじめを数多く受けてきた。
だが、他人に期待も信頼も抱いていなかった良太にとって、そのような行為に呆れ以外の感情を抱くことはなかった。
結局いじめも二年ほどで終わり、周囲が受験を意識する頃になると、良太のことを意識する者は誰もいなくなっていた。
それは文字通り、孤独な学生生活だった。
転機が訪れたのは、高校二年の春だった。
地元の底辺高に通っていたある日の事、夜中に外出した母親がその日を境に蒸発したのだ。
前日、父が病死したという報告があったため、それが原因だったのかも知れない。
最初は事件性を疑われるも、手掛かりもなく表立った捜索は打ち切り。
父の葬式に顔を出すことはなく、天涯孤独となった良太は、変わらず一人の生活を続けていくはずだった。
保護者を失った良太は、疎遠になっていた父方の祖父母の家へ預けられることとなった。
良太にとって予想外だったのは、久しぶりに会った祖父母が、自分に対し謝罪してきたことだ。
今まで手を差し伸べて上げられなかったこと。真剣に所在を探すべきだったこと。
それは荒みきった良太に向けられた、初めての思いやりだったのだろう。
しかし良太にとってそれはあまりにも遅すぎた言葉であり、結局は彼らと距離を取る生活を送っていた。
――夏休みのある日。
二日ほど前から、父の弟にあたる叔父が、家族と共に祖父母宅に帰省していた。
その日は朝から大人たちは外出中。
良太は叔父の子供である兄妹と共に、畳の敷かれた居間で留守番をしていた。
「良太にーちゃん、これ見ていい?」
人懐っこい笑顔で語り掛けて来た少年の手には、初めて見る変身ヒーローが主役の特撮番組のDVDケースがあった。
このような児童向け番組に触れたことがない良太にとって、特撮の知識は有名な作品の名前くらいだ。
少年が持っていた作品については、名前すらも知らなかった。
「貸してみ」
無下に断ることもないと思った良太は、少年からケースを受け取り、ディスクをテレビ台の棚に置かれた型落ちのプレイヤーにセットする。
トレイをプレイヤーに戻し、再生ボタンを押す。
テレビには、制作会社のロゴやテレビを見るときの注意が映された後、オープニングなどを挟まずに本編が開始される。
(これ見ている間は、チビ達も静かにしてるだろ)
兄妹が画面にくぎ付けになっていることを確認し、良太は席を立とうとする。
その間も番組本編は進み、昆虫か何かをモチーフにした怪人の前に、主人公の青年が対峙するシーンが映る。
何のことなしに、子供たちが見るテレビ画面を眺める。
しかしこれが、良太にとって初めて目にする特撮番組だった。
画面の向こうで、自らの信念、決意を胸に戦うキャラクター達。
ヒーローと怪人の戦闘という視覚的娯楽と、人々とのふれあい。自分のあり方に対する葛藤。
綺麗事。子供だまし。
高校生ならば、それくらいの感想を抱き、興味を持たずにいただろう。
だが、こういった経験をしてこなかった良太だからこそ、素直に響くものがあったのかも知れない。
子供向けの番組だと……ただの作り物だと思っていた良太にとって、そこにあったドラマには少なからず衝撃を受けていた。
その後は、子供たちと共にじっくり番組を見続けていた。
一巻分を見終わる頃には祖父母と叔父夫婦が帰宅し、付きっきりで子供たちの面倒を見てくれていたことに礼を言われた。
良太にとって、初めて特撮に触れた時の出来事は、数少ない良い思い出として胸の中に残り続けていた。
だからこそ、卒業後の進路を考えたとき、この夏の思い出が真っ先に頭を
動画配信であの夏に見た番組を最後まで見て、画面の向こうで戦う主人公たちに、強い共感の念を抱いていた。
フィクションの中で、自らの信念を貫こうとする彼らに憧れていたのだ。
いつしかその願いはアクション俳優という夢に変化し、高校卒業後は養成所のオーディションを受けつつ、学業とトレーニング、バイトの日々。
もちろん多くの特撮番組を見てきた。時間の許す限り、あらゆるものをだ。
やがてその努力が実り、有名な芸能事務所が運営する養成所のオーディションに合格することが叶った。
良太にとっては初めて真剣に努力し、そして結果を掴み取った。
それが二十一歳。春の事だった。
養成所への入所を間近に控えた、ある日の夕方。
上京前最後のバイトを終えた良太は、通い慣れた道を一人歩いていた。
いつにも増して赤く染まる夕焼け空は美しく、駅前商店街は帰路に就く人々で賑わう。
バイト先でもらった
紙袋は四つ。二つずつを両の手に分けて持っている。
(これ、ばーちゃんの好きな菓子だな)
こんな感じで、時折紙袋の中身を確認しながら祖父母の待つ家に向けて歩く。
駅前から徒歩十分ほどの位置にある祖父母の家は、外出の際便利で助かっている。
過去の自分を思えば、こんな人間関係が築けることが信じられなかった。
それも、明確な目標……なりたい自分がはっきりしたおかげで、ここまで変わることが出来たのだ。
そのきっかけを与えてくれた祖父母に、良太は強い感謝の念を抱いていた。
しかし、もちろんそれは通過点の一つだ。
キャリアを積み、いずれは自分がフィクションの中に生きる登場人物を活躍させたい。
一人前の俳優になって、自分の面倒を見てくれた祖父母に恩返しがしたい。
ギリギリのところで踏ん張ることが出来た自分を、褒めてやりたかった。
――再び前を向いたその時、歩道の先から響く悲鳴が耳に入った。
すぐさま声の方に顔を向けると、歩道の向こうで倒れている男女が一人ずつ。
そして二人の前に、両手で包丁を構えた不気味な男が立っていた。
手にする包丁には赤いものがべったりと付着している。
男のうつろな目は、近くでへたり込んでいる制服姿の少女に向けられていた。
通り魔だ。
荒れた過去を持つ良太にとって、暴力沙汰は珍しくなかった。
しかし、傷害事件に直面したのはこれが初めてだった。
こういう場合の対応は分かっている。真っ先に逃げ、警察を呼ぶのだ。
一般人が凶器を持つ相手に、素手で対抗できるはずがないのだから。
だが、この時の良太は少しだけ強気になっていたのだろう。
これまでの荒れた生活の経験と、ヒーローへの憧れ。夢に近付けたという高揚感。
今駆け出せば、倒れている少女を助けられるように見えたのだ。
良太はヒーローに憧れていた。
だから、手を伸ばせば助けられると考えてしまっていた。
気付けばその場から駆け出しており、今にも少女に襲い掛かろうとする男に飛び掛かる。
――この痛みは、フィクションなどではなかった。
多分、刺されてはいけない場所を刺された。
包丁を押さえ、
(刺されたトコ違うだけで、こんなにも血が失われていくものなんだなぁ)
なぜか冷静に、そんなことを考えてしまう。
眼前に広がる路面は、いつの間にか自分の血で真っ赤に染まっていた。
だがすぐに目の前が霞み、暗くなる。
(包丁、奪ったのは、手柄かな)
体が熱を失うと共に、意識も遠のく。
(……寒)
これが、最期だ。
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