第10話「兄弟子として」

 2060年4月8日 総廻市・紅戸区


 紅戸区のオフィス街はこの日も朝から賑わいを見せており、仕事のために歩道を歩くサラリーマンやOLたちの姿が見える。休日明けなのもあってか、彼らの顔は憂鬱げな人もいれば、今日も一日頑張ろうと意気込みやる気のある顔を見せる者もいる。そんなオフィス街の一角にある、カフェが一つ下の一階にある雑居ビルの二階にヒーロー事務所「フィルス・エンプティ社」があった。


 背中にリュックサックを背負い、真上まがみ銀司ぎんじはカフェで購入したコーヒーカップを片手に持ったまま、エレベーターに入って事務所がある2階行きのスイッチを押す。ふわりとした感覚と共にゆっくりと上がる。


「ふぅ。やっぱ朝のコーヒーは最高だぜ」


 コーヒーカップの中身を飲み切った銀司はそのまま共有のゴミ箱に放り投げ、事務所の中に入った。


「おはよーさん! ブリザーウルフ、参上だぜ!」


 声高々に銀司はいつものの挨拶をした。


「おはよーございます、真上さん」


 開口一番に淡泊な挨拶をしたのは丸眼鏡とポニーテールにまとめた茶髪の女性、沢代さわしろ幸子ゆきこ。「フィルス・エンプティ社」の事務員である。


「沢代さん、おはよう! 社長はまだ来ていないのか?」


「社長なら、会議室でヒロイック・エンタティメントの大島社長と会議やっています。社長から営業とかに関するメモ預かっています。あ、後これ、大阪出張に行った時のおみやげです」


 沢代はパソコンで事務仕事をしながら、自分の右手に置いている立派な木で作られた容器に「道頓堀名物!サチおばあちゃんのタコ焼き!」と大きく書かれた16個入りのたこ焼きだった。


「ありがとう。お、これ道頓堀で今人気と言われているたこ焼きじゃないか。お昼に食べようか」


 銀司は嬉しそうに受け取り、そのたこ焼きを冷蔵庫の中にしまった。


「お昼ご飯、持ってこなかったのですか?」


「ん? あー、その、作っていなくてな、忘れちまったんだ」


「あー……。誠君が、昨日から異能専校に行ったからですか。いつも誠君が弁当作ってくれていましたもんね」


「……ああ。しばらく、アイツの作った弁当が食えないのはちょっと寂しいな」


 銀司は寂しそうに言った。

 元々銀司は料理が苦手なこともあって、師匠である末里すえさと大和やまとが時々料理をしてくれていたこともあったが、彼が亡くなってからはまだ子供である誠のためにと自分で料理を始めた。


 しかし料理をする度にアクシデントやハプニングのオンパレード、完成にこぎつけても味見した銀司がトイレのお世話になったりして、誠も一種の好奇心で食べて体調不良を起こしてからは「銀司のヒーロー活動に支障とか出るし、こっちの命が持たないから僕が作る!」と誠に断言され、それ以降、末里家の食卓事情は誠が握ることになった。


 誠は独学で料理の勉強を始めていたのか、まだ中学生だというのに一般家庭の主婦並みに料理を作り、それですっかり銀司は胃袋を掴まれてしまった。弁当も誠が自分から進んで作ってくれたこともあり、銀司は助かっていた。


「そうですね。真上さんが料理をしたら、何が起こるかわかりませんからね。誠君から聞いた話ですと、『食べた瞬間、目の前に川とか舟を漕ぐ人が見えた』とか言っていましたし。この前のバーベキューも銀司さんが担当した肉と旬の野菜、全て大地に還りましたし」


「やめて。割と結構ダメージデカイからやめて。後、大地に還ったじゃなくて普通に焦がしてしまったって言って」


 グサグサと胸に刺さりまくる言葉の暴力に銀司は涙目になりながら言った。


「それはともかく、本当に良かったのですか。誠君の件……」


「……ああ」


 切り替えるように、沢代は銀司に言った。


「カルチャーセンター近くで起きた、メトゥスの発生現場に誠君と彩羽ちゃんが居合わせて、それを突然異能ミュトスが開花した誠君が倒し、そのまま倒れて意識不明になったと。真っ先に現場に駆け付けたのが真上さんだったからまだしも、他のヒーローとかだったら結構危なかったですね」


 昨日の昼前に発生した、カルチャーセンターの歩行者専用道路の人気の少ない場所で起きたメトゥスの発生事件。そこに偶然、銀司が「ブリザーウルフ」として出演する予定だったイベントがある「シャイン」に向かう途中の誠と彩羽が巻き込まれてしまった事件だ。


 だが、どういうわけか突然誠はそれまでないと思われていた異能ミュトスが突然開花して、現場に現れたメトゥスを倒してしまった。


 現場の最も近くにいた銀司が現場に駆けつけ、彩羽の証言ですぐに誠を現場から切り離すべく、救急車やかつて自分が通っていた異能専校に連絡を取り、誠を「メトゥスに襲われてケガをした」というていで入院させた。


「俺がもしも現場にすぐに行かなかったら、アイツは無届けで異能ミュトスを使ったと見なされて警察に逮捕されてしまう。そんなこと、俺には看過できなかったからな」


「そして、その後にあんまり良い思い出のない異能専校の彼に直接連絡を入れて、急遽推薦状を送ったりして、誠君を異能専校にと……。よく受理されましたね」


「当然だ。俺はアイツの兄弟子だからな。これぐらいの事は当然だ」


「……やっていること、褒められたものじゃないですよ。トップヒーローの一人とは到底思えませんね」


 そう言う沢代はやれやれとした表情をしつつも、どこか誇らしげだった。銀司なら、そうするだろうと考えていたからだ。


「水を差すようで悪いですが、これは事実上の隠蔽いんぺい改竄かいざんですよ。あれから門上かどかみの中央病院の院長とか、厚労省とかの伝手を使って書類の偽造とか、その他諸々……。これ、下手したらタダじゃ済まないですよ」


 沢代の表情はかなり真剣だった。丸眼鏡越しにもわかる力強い目力が銀司に刺さる。


 銀司は誠が異能ミュトスを無届けで許可なしに使用することを禁ずる法律「異能使用制限法」の違反に問われないように、彼を守るために裏で色々と手を回したのだ。

 意識不明の間に行った検査で誠の異能ミュトスである魔眼が、これまでの誠との証言と照らし合わせて、2年前に実は開花していたことを突き止めた。


 これまで検査に引っかからなかったのも、開花しきっていなかったことと、誠自身にもその魔眼がいつどのようなタイミングで開花するのかわからなかったこと、そのため魔眼が検査の時に限って開いていなかったことで調べてもないというように判断されていたこともあって、誰も気づかなかったのである。


「構わない。アイツの将来を守るためなら、俺は構わない」


 銀司は真っすぐに沢代を見て言った。微塵のブレのない、気高さすら感じる獣の如き目つきは普段の彼とは想像つかない迫力がある。


「でも今回の場合、あまりにも無茶が過ぎると思うんですよね。今回の件がもしも世間にバレるようなことになったら……」


「皆まで言わなくてもいい。そんなことは百も承知だから」


 沢代がその先を言おうとしたが、銀司に阻まれた。


 今回、銀司が異能専校などを諸々巻き込んで根回しをしたりしたことは、普通であれば十分に法に反した行為だ。

 当然であるが、それはヒーローが行っていいものではない。事実の隠蔽、行政文書の改竄、そしてその日の内に異能専校とのやり取り。短時間でそれを成し遂げ、結果的に誠を守ることに繋がったとはいえ、許されざるものだ。


「無粋な質問かもしれませんけど、一つだけ。どうしてそこまでするんですか?」


 沢代はパソコンを扱う手を止めて言った。


「単純な話だよ。俺は、誠に夢を与えてやりたかっただけさ。かつて、俺はアイツの夢を肯定することができず、アイツの疑問に答えてやれなかった。俺がもっと早く気づいてやれたら、昨日みたいなことにならなかったかもしれなかった。その償いじゃないが……。せめて、夢をもう一度選ぶという選択肢をあげたかったんだよ」


 銀司は目を背けたりせず、言いよどむことなく、ハッキリとそう答えた。


 2年前の事件で、恐らく異能ミュトスが開花してからずっと、誠は銀司にはわからない形で苦しんできた。それによって、かつては自分に何度も語ったりしていた“ヒーローになる”という夢を肯定することができなかった。

 ヒーローは最低限、異能ミュトスを持っていなければなれない。それは、誰がどう言おうとも覆すことは出来ない事実。その常識から銀司は純粋に夢を信じた誠を信じられず、目を背けた。


 恐らく本人が望まない形で異能ミュトスを開花していたとしても、何かの間違いであったとしても、銀司は誠に「せめて、もう一度。自分の夢を掴む権利だけは選ばせてやりたい」と願ったのだ。


 例えそれが、ヒーローである自分が咎めなければならない「悪」だとしても。


「はぁ。わかりました。もうこれ以上聞きません。うちの会社、設立以来最大の機密事項が出来てしまうなんて思いもしませんでしたけど、きっちり黙っておきますよ」


 参りましたと言うように溜息をつき、沢代は事務仕事を再開した。


「すまない、沢代さん。もしなにかあれば……」


「はいはい、それ以上は聞きませんよ。あなたがそういう人であることは百も承知ですから。ほら、もうすぐで社長も会議が終わりますよ。出る準備とか、持っていくものの準備とかしておいた方がいいんじゃないですか」


 壁に引っ掛けている時計を指さして言った。


「あ、やべ! そう言えば書類とか準備しておいてっと頼まれていたんだった! サンキュー!」


 銀司は慌てて書類や筆記具などを始めとした仕事道具を集めるなどして、準備を始めるのだった。


「……それにしても、本当におかしな話ですよね」


 沢代はそう言うと、いったん作業をやめてコーヒーを一口飲む。


「中途半端な覚醒でなおかつ魔眼という前例のないタイプのせいで、検査に引っかからなかったとか、なんだか胡散臭いんだけどなぁ。本当になんだろうね、誠君って」


 個人的に色々と引っかかると思いつつ、コーヒーカップを置き、再び仕事に戻るのだった。

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