第五章 思案

第28話

 それから瑠衣は寮の門限が過ぎた頃に戻ると言うので駅で一度別れ、音羽だけ先に帰寮した。

 まだ外出している生徒が多いのか、寮の中は静かだった。廊下を自室に向かって歩いていると、ちょうど涼の部屋のドアが開くのが見えた。そこから出てきたのは手に大きなビニール袋を下げた涼だ。

 彼女は音羽に気づくと「あ、崎山さん。おかえりなさい」と微笑んだ。


「ただいま」

「けっこう遅くまで遊んでたんだね。楽しかった?」

「え……?」


 思わず音羽が聞き返すと、涼は不思議そうに首を傾げた。


「昔の友達と会ってきたんでしょ?」

「あ、ああ。うん」


 そういえば今朝、涼にはそう言って出てきたのだと思い出す。


「楽しかったよ」

「そう。よかった」

「えっと、下村さんは誰かの部屋に遊びに行くところ?」


 音羽は彼女が手に提げているビニール袋に視線を向けながら言った。その中には食料品やジュースのペットボトルが大量に詰め込まれている。涼は袋を軽く上げると「ちょっとお裾分けに」と恥ずかしそうに笑った。


「祖母から差し入れが届いたんだけどね、お菓子とかカップ麺とかいっぱい入ってて。あと缶詰も。食事はちゃんと出るから大丈夫って言ってるんだけど、やっぱり送りたいみたいで」


 涼はそう言って笑うと両手で袋を開くようにして音羽に見せた。


「よかったら、どれかもらってくれない?」

「え、でも」

「まだ部屋にもたくさんあるんだ。だから遠慮しないで?」

「そうなんだ。じゃあ」


 音羽は言いながら袋の中からカップ麺を一つ取り出した。


「これ、もらうね」


 しかし涼は「一つだけじゃなくて、もっともらってよ」とさらにカップ麺とお菓子、ジュースのペットボトルを次々取り出しては音羽に押しつけるように手渡した。あやうく落としてしまいそうになりながら音羽はそれを受け取る。


「いや、ちょっと、こんなには――」

「いいからいいから」


 涼は笑って言いながら、ふと思い出したように「そういえば、ちょっと聞いてもいいかな」と笑みを消した。


「どうしたの?」

「あの、実はネットで見たんだけどね」

「うん。なに?」

「香澄美琴」

「……え?」

「もう少し何かわからないかと思って調べてたの。そうしたら中学生のとき海外で一度だけコンクールに出てたみたいでね、そのときの写真が載ってた」

「え、そうなんだ?」

「うん。それを見てね、似てるなって思ったんだ。宮守さんに」


 涼は真剣な表情を音羽に向けていた。その目がまっすぐに音羽を捉えている。


「似てるっていうか、そっくりだった。崎山さんもあの写真を見たから気にしてたの? 宮守さんと関係があるんじゃないかって」


 ドクドクと自分の心臓が鳴っているのがわかる。涼の瞳は揺るがない。その瞳は音羽に答えを求めていた。


「……ううん。ただ、そういう噂を聞いたことがあって」


 気づけば音羽はそんな言葉を口にしていた。涼が眉を寄せる。


「噂?」

「うん。その子が理亜に似てるって。だから、どんな子なんだろうなって思っただけ。ただそれだけだよ」


 微笑みながらそう続ける。それ以上の意味はない。そう涼に理解してもらわなければならない。


「ふうん。そうなんだ……」


 涼が頷いたとき、廊下に涼の名を呼ぶ声が響いた。


「あ、ごめん! 今、行くから」


 涼は慌てた様子で返事をすると音羽に「じゃあね。あ、それ食べてね」と言い残して友人の元へ向かっていく。その後ろ姿を音羽は安堵しながら見送った。

 しかし、あの様子ではきっと彼女は納得していない。放っておけばさらに香澄美琴について調べてしまうに違いない。


「――どうしよう」


 一人呟きながら両手に抱えた食料品へ視線を向ける。音羽は深くため息を吐いて自室へと戻った。


 瑠衣が戻るまでに時間があるだろうと普段通りに食堂で食事を終えた音羽は部屋で彼女の帰りをぼんやりと待っていた。すると微かに窓をノックする音が響いた。カーテンを開いた先では瑠衣が寒そうにパーカーのポケットに両手を入れて立っている。


「おかえり」


 窓を開けて小声でそう声をかけると、彼女はどこか照れたような表情で「おう」と答えた。そして窓枠に手をかけて器用に部屋へ入ってくる。窓の桟に腰かけるように体勢を変えると、その状態のまま靴を脱いで部屋に足をついた。


「おー、すごい身軽。瑠衣ちゃん、いつもそうやって入ってたの?」

「そうだけど。別に普通だろ」

「いや、たぶんわたしなら靴でそのまま部屋に足ついちゃいそう」


 音羽が言うと彼女は「あー」と納得したように頷いた。


「お前、ちょっとトロそうだもんな」

「まあ、否定はしないけど」

「しろよ。バカにされてんだから」


 瑠衣はつまらなさそうに言いながら、ポケットから取り出したビニール袋に靴を入れて窓の近くに置いた。そして疲れたように息を吐くとテーブルの前に足を投げ出すようにして座る。


「ご飯、食べてきた?」

「いや、風呂は入ってきたけど。お前はもう食べたの?」

「うん。さっき食堂で」

「へえ」


 彼女は言いながら少しだけ眉を寄せて腹に手をあてた。音羽は机の上に置いていた涼からもらった食料を手にすると瑠衣の前に置いてやる。


「なんだよ」

「あげる。カップ麺とかパンとかお菓子だから、夕飯としてはちょっと足りないかもしれないけど」

「お前のじゃないの?」

「もらいもの。なんか、いっぱいくれたから」

「ふうん」


 彼女は言いながら、どこか嬉しそうにカップ麺とパン、それにジュースを手にした。音羽は笑みを浮かべながらケトルで湯を沸かす。


「んで? どうするつもり?」


 瑠衣がカップ麺の蓋を開けながら言う。


「何か作戦は思いついたか?」

「作戦……。ううん、何も」


 音羽は答えながらケトルを見つめた。

 理亜を助ける。それはつまり、殺人を隠蔽するということだ。それはきっと自分たちもまた罪を犯すということ。それを瑠衣は理解しているのだろうか。いや、きっと理解はしているはずだ。しかしおそらく実感がないのだ。自分の行動が罪であるということの。それは音羽も同じだった。

 ボコボコと音をたてはじめたケトルを見つめながら、音羽はひそかに息を吐く。


「とりあえず、俺たちがやるべきことはわかってんだよな」


 その声に振り向くと瑠衣はベッドに背をもたれて天井を見上げていた。


「なに?」

「なにって、そりゃ警察だろ」


 眉を寄せながら彼女は顔を音羽に向けた。カチッとケトルのスイッチが切れる。音羽はケトルを持って瑠衣が開けたカップ麺に湯を注いでやる。


「警察……。捜査を打ち切りにさせるってこと?」


 ケトルを戻し、瑠衣の向かいに腰を下ろしながら問う。彼女は「んー」と唸った。


「そうなんだけど、その手段がなぁ。うちの親にもう捜査は止めてくれって言ってもらうか……」

「それでもあの人は止めないと思うな」

「あの人?」


 瑠衣は怪訝そうに眉を寄せた。音羽は頷く。


「昨日、ここに来た刑事さん。たしか、坂口さんって言ったかな」

「ああ、あいつか」


 瑠衣は納得したように頷いた。


「知ってるの?」

「まあ、何度も家に来てたから。で、そいつは何の用で今頃ここに来たわけ?」

「理亜のことで思い出したことはないかって」

「何か言ってないだろうな?」


 瑠衣が疑わしそうに目を細めた。音羽は「言うわけないでしょ」と軽く彼女を睨む、そしてため息を吐いた。


「でも、そのときにあの人言ってたよ。理亜が消えた日の足取りがつかめないのが気になるから調べてるって。たしか瑠衣ちゃんの両親は理亜のことは自殺として処理してくれって言ってるんだよね?」

「ああ。もうずっと、そう言ってる」

「それでも、あの人は調べることを止めない。気になることがあるから、調べ続けてる」


 きっと、真面目で良い刑事なのだろう。些細なことでも気になることがあれば調べる。それが刑事として当たり前の仕事なのだろうから。


「……遺書、とかは?」


 呟くように瑠衣は言った。


「理亜にさ、遺書書いてもらったらどうかな。それ見せたら警察だって自殺として処理するんじゃねえの?」

「半年以上も経って見つかった遺書?」

「……ダメか」

「不自然だね」


 音羽と瑠衣は顔を見合わせ、そしてため息を吐いた。瑠衣はしばらく考えていたが何も思いつかなかったのか、おもむろにラーメンを食べ始めた。

 ズルズルと麺を啜る瑠衣を見つめながら、音羽は答えの出ない問題をひたすら考え続けていた。

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