第54話 オワリの歌

 あまりの光景に呆然とし、動くことが出来ないアマーリエを他所に四人の近衛騎士とロベルトは、祭壇に横たえられていたユスティーナを抱え上げた。

 しかし、全員が空の一点を見つめたまま、動かない。

 否。

 動けなくなっていた。

 誰もが言葉を失い、視線が宙を彷徨うほどに狼狽していた。


 ついに空に描かれた金色の魔法陣が完成してしまったのだ。

 そこから、巨大な何かがゆっくりと姿を現し始める。

 同時に魔法陣から、耳をつんざく音とともに稲妻が発生し、地面にたくさん降り注いだ。

 その様子はさながら、この世の終末とでも言わんばかりに壮絶で黄金の雨が大地に過酷な洗礼を授けているかのようだった。

 そのうちの一つが神殿の瓦礫や木々に落ち、轟音と地響きをもたらす。

 恐怖。

 これまでに人類が体験したことのない恐怖そのものを具現化したのだと言われても否定する者は多くはないだろう。


 アマーリエはロベルトと手を繋いでなければうずくまり、ただ頭を抱え弱音を吐いていたに違いないと感じた。

 彼女は人の温もりが与える不思議な力が確かにあるのだと初めて、知った。


(だから、守らなきゃ……もう終わらせないといけないんだから!)


 密かに心の中で誓いを立て、アマーリエは暗闇の中で一際輝く、偽りの光を見据えた。




 まさに悠然と言う言葉がふさわしい。

 魔法陣から、徐々にその姿を現したモノは暗鬱とした闇色の空を照らすように黄金色に輝いていた。

 まるで太陽の如き、輝きを見せていた。

 夜が明けていく様子に似ているが、似て非なるものに過ぎない。

 金色の光の正体は魔法陣から、出てきたモノが発しているのだから。


 そのモノは稲妻が集合し、太陽に似た光を放っていた。

 寄り集まった稲妻は生き物のように自在に動き、次第に姿が克明なものになっていく。

 山をも砕きそうな巨大なあぎとを備えたそれは、まるで長い首と胴を有するドラゴンのようだった。


 稲妻の一つが離れ、地表に落ちる光景は見ている者の肝を冷やし、その心に恐怖を与えるに十分だだった。

 かつて世界が終わりを迎える日を予言した者がいた。

 彼の者はその一部始終を黙示録と題した書に書き残した。

 誰もが狂人の戯言とばかりに見向きもしなかった黙示録。

 まさに描かれていた想像に過ぎない光景が現実になったのだ。


 アマーリエは手から、伝わるロベルトの温もりに勇気を貰い、迷う心を奮い立たせていた。

 目を逸らさず、終末を伝えるモノを見据えているが彼女の中から、恐怖が消え去った訳ではない。

 恐怖のあまり、逃げ出したくなる己の弱さに迷いながらも答えを出そうとしていた。


「でも、行かなきゃ……あたしが終わらせないといけないんだもん」


 絞り出すようにアマーリエの口からようやく出た言葉は小さく、聞き取りにくいものだった。


「僕も一緒に行くよ」

「どうして?」


 それでもロベルトはすぐに迷うことなく、返事をした。

 彼の目に迷いはなく、どこまでも澄んだ瞳にアマーリエが映し出されている。


エミーアマーリエが困っている姿を見ても何もしない。何も出来ない。そんな自分には戻りたくないんだ。僕はもう迷ったりしない。君を守る為に一緒に行くよ。だから、一緒に戦おう」


 ロベルトは微笑みながら、そう言ったが心無し、その体が震えていた。

 アマーリエの体もまた、震えている。

 恐怖を消し去れた訳ではないが互いに乗り越えようとする勇気が、それに勝ったのだ。


 アマーリエは返事の代わりとでも言うように握っていた手に力を込める。

 一人では無理でも二人なら、どうにかなるかもしれない。

 握った手から、伝わる思いがアマーリエとロベルトに確かな力を与えていた。


「行こう」

「ええ」


 恐怖に屈しかける己の心を奮い立たせ、二人はゆっくりと歩みを進める。

 黄金色に輝く終末を与えるモノからは稲妻が絶えず、放たれており凄まじい衝撃に足が竦む。

 それでもゆっくりと確実に祭壇に近づいた。


「世界を守る為……あたしの命を!」

「僕の命を!」


 二人が声を合わせ、叫んだ瞬間だった。

 一筋の黄金の稲妻が放たれた。

 その行先は他ならない。

 アマーリエとロベルトである。


 思わず目を瞑ったアマーリエは思った。

 最期にロビーと一緒にいれたから、これでいいのだと……。


 でも、不思議なことに痛みが襲ってこない。

 世界を終わらせる轟音も鳴り止んでいた。


「その必要はないよ」


 落ち着いた優しい声だった。

 アマーリエがゆっくりと瞼を開くと真っ黒なマントを風にはためかせた男が、自分達を庇うように立っていた。

 抜き身の奇妙な形をした剣を天に向け、掲げていた。


 男は抜き打ちざまに放った一太刀で黄金の稲妻を難なく、切り払っていた。

 淡い蒼の燐光を放つ抜き身の剣は、刃こぼれ一つ生じさせず、健在だった。


「大丈夫。彼女が来たから」


 男は何のこともないといった調子でそう言った。

 アマーリエは「どういうこと? 何の話なの?」と聞き返そうとして、己の体が言うことを聞かないことに気付いた。


「夢見るままに」


 どこからか、きれいな歌声が聞こえてくる。

 鈴を転がすような声だった。

 澄んだ歌声は聞いた者の心を打つ繊細できれいなものだ。


 アマーリエはこの声をどこかで聞いたものだと思い出した。


(夢の中で聞いた女神様の声と同じだ! エヴァエヴェリーナの歌もきれいだけど、それよりもずっと……。あれ? おかしい)


 そして、彼女は違和感を覚えた。

 眠気など決してなかった。

 世界が終わりを迎えようとしており、それどころではないと頭では考えているのに全てが言うことを聞かなかった。

 アマーリエはやがて、何もかも忘れ、再び瞼を閉じた。


「世は動く」


 滅びの歌を謳う歌姫の声は止まらない。

 アマーリエが意識を失う前に辛うじて、見ることが出来た光景は己の目を疑うほどに信じ難いものだ。

 空に映し出された魔法陣から出てきた金色のドラゴンに対するが如く、大地の裂け目から出現した白銀の大きな蛇の姿だった。

 鎌首をもたげ、巨大なあぎとを開く、大蛇の頭頂部には歌を謳う歌姫の姿が確かにあったのだ。

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