第一幕 遭遇――醒ヶ井奨

 青年——醒ヶ井奨は熱帯夜に咽ぶ人のような素振りを隠しもせず、繁華街の路地を歩いていた。

 向かう先は最近のたまり場になっている会員制のバー。もちろんハリボテの「会員制」だ。男でも女でもそれ以外も入れる、居場所のない奴らしかいない気楽な場所。

 右頬は未だ微かに熱を持ち、苛立ちに拍車をかけていく。何が『浮気者』だ。誰とでも寝るし遊ぶ、そう言っておいたはずだ。恋人にすれば変わるとでも思っているのか? とんだ誤算で悪うござんしたね。心中で散々に悪態を吐き、靴音をガツガツと鳴らしながら青年は歩を進める。

 控えめな照明に照らされた重いドアが近づいてきた。真鍮のドアベルが冷たく鳴る。心中の飢餓も首をもたげる。今日は男がいいな。上物が居るといいけど──。



 「いらっしゃいませ」を遠い心地に聞きつつ、身をわずかに乗り出したマスターに、俺は「タランチュラください」と伝える。席は……カウンターは一つしか空いてないな。俺とは違う緩いくせ毛の、ロン毛の男の隣。——ま、いいや。

 席について、いい子に酒を待つ。が、店内にくまなく視線を滑らせるのは忘れない。今日は男が多いが…どこもかしこもいい雰囲気になっているらしい。

 「……はい、顔冷やしたら」

 急に声をかけられた。隣のロン毛だ。振り返って見ると、彼女(だった女)に叩かれた頬を指して、目を細める男の顔。

 小さな保冷剤をハンカチで包んだものがその手に握られていた。差し出されたそれを受け取る。

「……そんな目立ちます?」

 問いかければ、また紫の瞳が細められる。

「腫れてるよ」

 個人的に、タチのロン毛はあんまり好まないので気にしてなかったが。この人案外いいかもな……? お人好しそうだし、気弱で後から難癖付けてくるタイプでもなさそう。ネコっぽくも見えるけど、誘ったら食いついてこないかな。心の中で吟味する。

「ついさっきまでカノジョだった奴にやられて」

 そう言うと相手の男は少し大げさに痛そうなジェスチャーをして見せた。

「じゃあ、代わりの女の子を探しに来たのかな?」

「いや……今日は男の気分で」

 そう言ってのけると、相手の紫眼にジッポーの炎が揺らめく。奥がキラリと光ったような気がした。

「今日は、ってことは……遊ぶの抵抗ない人かい?」

 もちろんだ。即答した。

「俺、相手固定するの嫌いなんすよ。それでもいいから付き合ってて言われたから付き合ったのに」

 つい愚痴っぽくもなる。それでも相手は嫌な顔一つせず、それどころか大きく首を縦に振った。

「ぼくもそうだよ。毎日のように違う相手と楽しむ人生さ」

 心底楽しそうに言う。神様!?

「おじさんは女ばっか? ……男も?」

 スパートをかける。逃がしてやるものか、ネコでもいいよこの際。相手は朗らかに笑う。紫煙をゆったりと吐きながら。

「両方いけるよ。難点は、タチしかできないって事かなぁ」

 信じてなくてごめんな、神様。この瞬間だけはあんたを賛美するよ!

 身を乗り出して、耳打ちする。

「俺は、男はネコだけなんです」

 相手の声も耳元にて、囁く。

「……遊んでみようか、ぼくと」


「タランチュラです。」

 マスターの言葉で我に返る。決まってしまったら、ヤリたくてもうたまらない。そんな俺を諌めるように、相手は言った。

「ゆっくり飲んでから出ようね。それ、結構強いから……ぼくは寝ちゃうくらいの度数だよぉ」

 ……はい? 可愛いかよ。

「酒、弱い方すか?」

 問えば苦笑が返ってくる。

「もともと弱い方で」


 ちびちびと飲みつつ話をしていれば、本当に性への考え方がバッチリ合うことが分かった。運命的な出会いだ……一晩だけ遊ぶのは流石にもったいない。身体の相性が悪くなければセフレに欲しい。何が何でもだ。

「おじさんは、セフレっているんすか?」

 相手は相変わらずにこやかだ。

「数人だけどいるよ。まぁ身体の相性によるねぇ」

 ……やっぱりな。

「そっか、合うといいなぁ……」

 零せば、「そうだねぇ」なんて返ってくるものだからテンションが上がってしまう。


 飲み干して、小休止。相手はマスター、そしてホール担当のシュウ君と軽く言葉を交わして立ち上がった。やっとだ。

 またしてもにこやかに、不釣り合いなほど爽やかに。「行こうか」とだけ言った姿が、めちゃくちゃに手慣れているのに興奮が抑えきれない。


 再びの裏路地、されど気分は正反対だ。保冷剤で冷やされた頬はすっかり痛みもなく、これからへの期待で膨らむ胸の邪魔にはならない。

 同じくらいの身長。俺よりはガタイのいい身体。とてもいい、そこは最高に好みだ。

「お気に入りのホテルとかあるかい?」

 と問われたが、首を振って答えた。場所の拘りなんてない。

「部屋がキレイだったらどこでもいいっす」

 相手が笑う。

「僕もそう」


 ほど近いホテルに滑り込む。こんなところにもホテルあったんだな。相手は馴染みなのか、よどみなく鍵を受け取ってエレベーターに向かっていく。

「シャワーは?」

 問われて答える。

「浴びます、中も一応洗いたい」

「オーケー」

 会話が苦手な俺にとってはありがたい。こんな短いやり取りで怒らない相手……。


「ぼくも軽く浴びたいかな、先に行ってどうぞ」

 部屋に着いて早々、促されるまま服を脱ぐ。ポイポイ脱ぎ捨てていると、視線がまとわりついてくるのが分かった。不快ではない。今の状況では興奮材料にしかならない!

「そんなに見ないでくださいよー」

 とおどけたが、相手は穏やかに笑うばかりだ。でも目だけが違う。バーにいる時にはなかった温度がそこにあった。ギラギラと燃えている新星のような眼。


 食われる、そんな確信が胸に満ちて、シャワー室へ小走りで向かった。

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