第四十話 光留の卒業式、そして……

 薄暗いダンジョンとは比べ物にならないほど清々しい、晴天の朝。

 ここ最近の活動で疲れ切った体を引きずるようにして三年生の卒業式に参加していた。


「今日でヒカルちゃん卒業しちゃうじゃん? カズくん的にはやっぱり寂しいってか同級生だったら良かったのになーって思ったり?」


「別に。今日の午後も予定入れてるしな」


「カズくんたち、最近マジで精力的だもんなー。そろそろ超上級者にもなれたりして。……あ、そうだ。これからはヒカルちゃんの代わりに一緒にアタシがご飯食べてあげてもいいからね」


「姫川さんは人気者なんだから俺なんかと食べる暇ないだろ」


「冗談に決まってるっしょ。だってアタシら全然、友達とかじゃないじゃん?」


 けらけらと笑う姫川に絡まれながら歩く傍ら、人混みに視線を走らせる。

 そして……すぐに光留を見つけた。


 春特有のひんやりとした風に揺れる制服のスカートと、ボブカットの黒髪。

 その可憐さは多数の卒業生の中でもダントツ。絵に描いたような儚げな美少女である。


「じゃ、俺ここら辺で」


「はいはーい。アタシはあっちの方の先輩に挨拶してくるから、またね」


 姫川と別れて光留の方へ。

 人混みの中にいながら誰とも言葉を交わさず、やはりというかぽつんと佇む彼女に声をかけた。


「光留」


「あ、加寿貴さん」


「卒業おめでとう。邪魔じゃなかったら、ちょっと話をさせてもらってもいいか?」


「全然邪魔なんかじゃないよ。特に別れを惜しむような同級生なんていないし、忘れないでねって言ったのは私だもの」


 卒業生全員に渡される花をかろうじて一本だけ抱えているくらいなもので、孤立しているのは明らか。

 俺がいなかったらきっと彼女は独りのまま、この日を迎えていたに違いない。そう考えると、ほんの数ヶ月だけでも彼女と共に高校生活を送れて良かった。


「光留に贈りたいものがあるんだ。……これ」


 俺が手渡したのは、ギフトカード。

 タネも仕掛けも何もない。今までコツコツ貯めてきた……と言ってもいくつか新作ゲームを買ったのである程度は減っているが、それでも大量に残るスパチャ代を換金したもの。

 総額、なんと100万円分である。とんでもない額だ。


 光留は信じられないとでも言いたげに静かに目を見張った。


「卒業祝い。いつもいつも光留には助けられてるし支えられてる、そのお礼の気持ちも兼ねてるかな」


「っ、こんなの!」


 受け取れない、と首を振られる。

 けれども俺は引かない。しばらく無言の時間が続いて……光留がわずかに震える声で言った。


「いいの? 本当に、いいの?」


「好きに使ってほしい。食事もしっかりしたものを食べたりスマホを買ったり、なんなら高校で足りなかった勉強時間を補うためでも。現金にしなかったのは、光留がダンジョンに潜る理由を俺の手で奪いたくなくてさ」


 お節介かも知れない。というかお節介以外の何者でもない気がする。だが、それでもいい。


 光留の力になる。それが俺の望みであり、新生活を始める光留への贈り物である。


「ありがとう。私、頑張るよ。ダンジョン踏破も二度目の昇級試験・・・・・・・・も――これからの人生も」


 なんだか泣きそうな顔でにっこりと口元を歪める光留。

 彼女の瞳は、凛としていて強い。彼女ならこの先……高校を卒業しても、いや、今まで以上にきっとうまくやれるだろうと思えた。


 ギフトカードは彼女の手に渡り、以降大切に使われることになるのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 当然ながら、卒業式はただ一区切りつけただけ。

 卒業式が終わってもお別れではない。それどころか、その日の午後には一緒にダンジョンの前に立っていた。


 これから光留は、試験に臨む。

 超上級者となるための昇級試験に。


 SランクやAランクのダンジョンを踏破する一方、花帆と一緒の日はSSランクにも挑戦していた。光留一人でボスを倒すことによって、上級試験を受ける資格を得ている。

 「加寿貴さんのおかげでますますやる気が出たよ!」と張り切る光留を送り出せば、俺たちにできることは雑談配信くらいしかない。


 超上級者は冒険者業を極めし者。

 きっと試験は過酷だろう。でも今の光留なら、絶対やれると信じている。


 まもなく始まった雑談配信第二弾。

 この配信は前回と違い、ただ彼女を応援するだけのものではない。――光留が頑張っているのだ、俺も頂点を目指すしかないだろう。


 あらゆる手を尽くしてきたおかげで、今や『カズチャンネル』の登録者数は二十万人に迫ろうとしている。

 他の配信者たちはたった十日で次々に追い抜かした。『みーひめ』も順調にファンを増やしているが、俺たちほどではない。配信界の頂点に立つための障害となるのは、あとはただ一人だけ。


 その一人――MOEとの差は、たった・・・一万人。

 日毎に確実に彼女との距離は縮まっている。それを今日ゼロに、いや、軽く超えてやろうと企んでいるのだ。


 もちろん、次回でもいいけれど、頂点に至った身で光留を迎えたいという俺のわがままである。


 配信はいつも以上の賑わい具合。

 前回とは違い、雑談配信ではなく今後の展望をひたすら語っていく。

 SNSで宣伝かつ呼び込みをしたおかげか視聴者数、開始早々からすでに百万。あまりに桁が多過ぎて現実味がないが、百万もの人間に視線を向けられ耳を傾けられていると考えるとずっしりと胃のあたりに重圧を感じずにはいられない。


『ひかるたん今頃頑張ってるだろうな』

『カズ、なんかガクブルしてない?』

『緊張してるだろw』


 そりゃあ緊張の一つもするというものだ。

 でも俺は余裕中の余裕という風を装ってへらへらと笑い、隣の花帆から向けられる冷たいジト目も軽やかにかわした。


「花帆の一番思い出深いダンジョンは?」


「わたしはあまり、ダンジョンで苦労したことはありませんね。大体はこの腕と拳で解決してきましたので。超上級者の試験も力で押せば簡単でしたよ」


『「力で押せば簡単」は草』

『これ多分本気で言ってるから怖いんだよな』

『化け物具合はMOEといい勝負』

『まだ小学生くらいだよな?』

『ていうことはひかるんもいけるってことだな!!』


「強いて言えば、一歩も見えない中で進まなければいけないSSSランクダンジョンとかでしょうか。あれはさすがにすぐ引き返しました」


「うわぁ……」


「今後はそういうダンジョンにも挑むことになるでしょう。その方がわたし的にも存分に戦えるので楽しいですし、貴方がたにとっても喜ばしいでしょうから。貴方は雑魚ですけど」


「うわぁ…………光留以外の冒険者って全員戦闘狂か」


「失礼ですね。しごきますよ」


『戦闘狂は確かにw 普通の人間はそもそも冒険者になんかならない』

『この組み合わせもいい』

『ヒカルたんは可愛いけどカホたんの方がキレッキレなんだよな』


 俺には力がない。どうやっても戦闘狂にはなれないから。

 ダンジョン配信において最重要な戦力は、他二人任せだ。だから俺は喋りでひたすら盛り上げる。


 配信の間にも登録者数が確実に増加していた。

 配信開始時点をゼロとして数えて、五十人、百人、千人……。ここで何か大きなのをブッ込まないと、全然足りない。


 何か。何かないか。

 花帆の昔話を詳細にしてほしいにお願いした。


 「大したものではありませんが」なんて謙遜しながら花帆が語るのは、とんでもない恐怖のダンジョンの数々。

 普段と何も違わない淡々とした語り口調なのに緊迫感があり、コメント欄の反応はかなりの好感触だ。


 これでやっと、三千人。


 俺は焦り始める。もたもたしていては光留がもうすぐ出てきてしまうのではないだろうか、と。

 ダメだ。このままでは間に合いそうにない。そんな風に頭の中で繰り返し呟きながら、表情は笑顔を崩してはいけない。ひたすら明るく雑談し、配信するのみ。


 一回の配信だけで一万人は、さすがに無茶だっただろうか。

 卒業式を終え、昇級試験に立ち向かう光留の勇姿に影響され過ぎて軽率な目標を立ててしまったかも知れない。


 そんな風に考えていた、ちょうどその時。

 ぴろりんとスマホの通知が鳴った。


 交換した連絡先からだった。

 表示されている名前は『みゆき』。姫川のことだ。


『至急:カズくん見て!』


 なんだこんな時に。

 ため息を吐きたいのを我慢して、開いてみると。


 そこに写っていたのは――光留。


『なんかものすごい勢いで追い抜かれたんだけど、これヒカルちゃんっしょ!?』


 わけがわからな過ぎる。この画像は姫川の撮ったものなのか?

 写真の人物はどう見ても光留でしかない。背格好もボブカットの黒髪も、手にしている武器まで同じ。念の為に写真の日付を見るとついさっきであるのが確認できた。


 この写真が撮られた経緯を想像し、事情を呑み込むまでにたっぷり三十秒ほど。

 そしてやっと理解して、俺は思った。


 ――これ以上なくいいネタが舞い込んできた、と。




 『みーひめ』こと姫川も今この場所で、超上級試験を受けている真っ最中らしい。

 なんたる奇遇か。まあ、場所は俺たちの住んでいる街から最寄りなのでわかるが、日時が被るというのは奇跡的な確率だと思う。


「というかいつの間に超上級までいってたんだよ……」


 早過ぎだろ。俺の記憶違いでなければ、この前、ずっと下のレベルの試験を受けると言っていた気がするくらいなのに。

 たまらずメッセージで訊いてみると、『ずいぶん無茶しちゃって体ボロボロになったよ〜。っていうか万能薬がなければ今頃四肢ないし(笑)』とずいぶん軽い調子で返された。一体どんな鍛え方をしたらそんな悲惨なことになるんだよ。


 と、それはさておき。

 この偶然はきっと、俺の日頃の善行が認められたが故に救いの手が差し伸べられたのだ。多分違うとは思うが、細かいことはどうでもいい。


 この衝撃的な事実を全力で活用してやろうと決めた。


「ここで、以前コラボさせていただいたみーひめさんよりメッセージが届きましたのでお知らせします!」


『どうしたんだ突然』

『応援のメッセージか。みーひめ、ここ見てるんだな』


 多少驚きもあったものの、どちらかといえばすんなりと受け入れた視聴者たち。

 だから俺が真実を言った瞬間、一気に火がついた。


「今、みーひめさんと光留がすれ違ったそうです。今日は超上級者が二人生まれる、前代未聞の日になるかも知れません」


『は??』

『ちょっと待て』

『すれ違いってことはもしかして同じダンジョンに』

『ええええええええ!?!?!?!?』

『そういえば超上級試験に行くとか言ってたなー。試験ダンジョン内は配信禁止だから今日は配信やってないけど』

『超上級者が二人誕生とかヤバ過ぎて草生えまくるんですけどw w w』

『みーひめもなの!?』


「光留がみーひめさんを追い抜いていったそうです」


 配信をカメラ撮影からスクリーン撮影に切り替え、証拠となる写真データを画面に映す。もちろん姫川の許可を得た上で、だ。


『w w w w w』

『全力疾走してる笑』

『魔物蹴散らしてるしひかるん無双すぎ』


 この写真と情報は、瞬く間にダンジョン配信関連のネット速報と掲示板で広まり始める。

 この配信を見れば奇跡の瞬間を見られる可能性が高い。そんな風に囁かれたらしく、視聴者は直前の五倍までに膨れ上がっていった。


 五千人。

 六千人。

 七千人。


『今ダンジョンの奥に着いたって感じ。ヒカルちゃんと試験官が交戦しててマジで凄まじい』

『アタシの順番が回ってくる時には試験官ボロボロかも』

『めちゃ強い。動画に撮れないのが悔しい』


 ちなみに試験ダンジョン内は、写真のみOKである。


 八千人。

 八千五百人。

 九千人。


 心臓がバクバクと鳴り出す。

 あとちょっとだ。あとちょっとで!


「どうしてその程度のことでそこまで喜べるのか、わたしにはわかりかねます。たかが数字でしょう」


 数字が大事なんだよ、配信者は。

 花帆の呟きに言い返す気にもならない。そのくらい気分が高まっていた。


 九千五百。

 九千七百。

 そして、一万人。


 MOEのチャンネルを見た。

 約二十万人。


 俺のチャンネルを見た。同じく約二十万人。

 でも……たった数人だが、『カズチャンネル』の方が上だ。


 すぐに数千人分増えて順位の差は揺るがぬものとなった。


 MOEに、勝ったのだ。


 ――思い返せばずいぶんと早くて長い道のりだった。

 配信開始したのが冬の初め。それから三ヶ月ほどでここまで至るなんて、一体誰が想像できただろう?


 それだけでもとんでもないことなのに、俺が配信界のトップとなったのとほぼ同時、光留が試験をクリアしたと姫川が知らせてくれて。

 俺は、声にならない歓喜の悲鳴を上げてしまったのだった。

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