第3話 大好きな大好きと大嫌いな大嫌い

 私の説明は、何だか簡単だった。

 それもそうだ。私には、特に付け加えるべき点なんてないのだ。

 ヒトに言えない事以外は。

「えー、こちらは、松崎ケイさん。歯科技工士をなさっています」

 仲人のおじさんは、私の知らない人だ。うちの両親の友人らしいが、家に来た事なんて覚えがないし、きっとこの話でやっと顔を見せた人なんだろう。

 でも私は、知らない人に合わせた挨拶を持っている。今の時代、深い仲であろうがなかろうが、うまくやっていかなくてはならないのだ。こんな時のために私は、いつでもつける嘘をたくさん用意しておく。

「ご趣味は何ですか?」

 ありきたりすぎる質問。先方の母親も、きっと見合いは初めてなんだな。

「ええ、フラワーアレンジメントを」

 これは嘘じゃない。実際、花は好きなのだ。ただ最近やってないだけ。

「そうですか、うちのは読書なんです。ありきたりでしょう?」

 全くだ。

 ありきたりな彼は、普通の顔をしていた。この場合の普通とは、緊張と退屈の混ざった顔だ。セリなら絶対にこんな顔はしない。

 無意味な沈黙。これから何をしようかという意欲の見えない、ただ時間の流れるに任せた沈黙。私は目を閉じてみた。何も変わらない。完全に無意味なのだ。

 目を開けると、彼以外の人はみんな笑顔を浮かべていた。

 私は、ばれないようにため息をついた。

「好きな食物は何ですか?」

 私は場つなぎにこう言ってみた。

「え、と、パスタかな」

「そうですか。私、得意なんですよ、パスタ料理」

「そうなんですか」

 彼の声はいい声だった。でも結局、それ以上は会話が続かなかった。

 やっぱりみんな笑顔だった。私もやってみたけど、うまくいかなかった。

 笑顔なんて、作るもんじゃないんだ。




「ご両親と同居してないんだ?」

「うん。友達と……一緒に住んでる。二人暮し」

 外野の去った後、私たちは適当に歩いて、喫茶店でお茶を飲むことになった。

 彼はいたって普通だった。私からセリをとれば、きっと似たようなものになると思った。セツくんは学生な分もう少し自由な感じかな。でもとにかく彼は、普通なのだ。

「それはやっぱり、高校とかの友達なの?」

「ううん、幼なじみなの。四つ下なんだけど、いつも一緒にいたの」

「そうなんだ。僕にはそういう人、いないからな」

 何となく、わかる気がする。でも考えてみれば、一緒に住むほど仲のいい幼なじみを持った人の方が少数派なんだろう。

「一緒に住むくらいじゃ気が合うんだろうね。どんななの?」

「どんなって……」

 どう言おう。褒めすぎるのも変だし、かといって冷めた言い方じゃ、彼にも悪い。

 セリに関する質問は、何よりも困る。

「うーん、明るくて、いい娘よ。正直だし、ちょっと子どもっぽいの」

「へー、かわいい妹って所かな」

 妹。そう、妹だよね。よし、これ以上、何も言わないでいよう。このままならセリは、彼には妹にしか見えない。

「うん、そんな所」

 うまく言えたにもかかわらず、私はドキドキが止まらなかった。こめかみあたりをつらぬくような寒さを感じる。これはセリに対する罪悪感だ。

「そういえば、『桐』でケイって読ませるのって、できるんですか?」

 彼は何だか慣れた感じに苦笑した。よく聞かれるのかな。

「それね、母親が人名漢字に無い漢字を提出しちゃったんだ。しかも癖の強い字だったから、役所が桐だと思って登録しちゃったんだよ。本当は火へんに一の無い同って字。登録できないんだから、本当っていうのはおかしいけど」

 そんなことってあるんだ。じゃあ桐の字でケイとは読めないんだ。

「でも気に入ってるけどね。珍しいエピソードだし、好きな漢字だよ」

 彼は満足そうに笑っていた。親につけられた名前が好きって、なんだか幸せを感じる。私も笑顔で応えた。

「これからどうしようか、映画でも見ます?」

「映画? 私あんまりわからないから」

 ホントはちょっと前に公開になった『ロミオ+ジュリエット』が気になってるけど、見合いの席でアレはだめだろう。

「最近、どんなの観た?」

「ビデオなんだけど、『シエスタ』っていうの」

「どうだった?」

「なんか、場面がばたばた変わって、よくわからなかった。セリが好きで……」

 やばい。

「セリ? セリちゃんっていうの? その娘」

「うん、小泉芹夏っていうの」

「…………ふぅん、それで?」

「あ、セリが、一応説明してくれたんだけど、やっぱり私は観ればわかるみたいなのが好きだな。インディ・ジョーンズとか」

「そうなんだ。セリカちゃんは、結構くわしいのかな」

「うん、セリの彼氏がビデオすっごくよく観る人なの」

「ふうん」

 彼は、その彼氏とも話してみたいなと言った。彼も結構好きなんだな。

 よかった、どうにかセリから話題を遠ざけられた。しゃべったら何言うかわかんないからね。もう少し待ってからにしよう。

「どんなの観るんですか?」

 たぶん言われてもわからないだろうけど、私は一応聞いてみた.

「うーん、『シェルタリング・スカイ』とか、『カフカ』とか。この二つ、全然逆っぽいんだけど」

 やっぱりわからない。前者は、聞き覚えがある程度だ。ああそう言えば、セリがサントラを持ってたんだ。だからか。

「一つ目の方は、セリがサントラ持ってましたよ」

「本当? やっぱりセリカちゃんにも会ってみたいな」

 ああ、私は何を墓穴を掘ってるんだろう。自分から話題を出してしまった。

「あ、ごめん、別に君じゃ話が合わないってわけじゃないんだ。うーんと……」

 この人は、こんな風に受けとったのか。言われてみれば、そういう気もする。

「あ、じゃあ、好きな言葉ってなに?」

「好きな、言葉?」

 そんなの、いきなり言われてもわかんないよ。就活用のじゃダメだよね。どうしよう、好きな言葉?

 セリに言われて、一番うれしい言葉ってなんだろう。

 セリが、私のために言う言葉。

「…………大好き」

「じゃあ、嫌いな言葉は?」

「大嫌い」

「わかりやすいね」

 わかりやすいね。そうだなあ、セリに言われたたった一言で私は喜んだり悲しんだり。実にわかりやすい人間なんだ。それだけ、セリの言葉が強いって事だ。だってセリ以外の人に言われても、なんともないもの。

 私は、この人の大好きを、好きになれるのだろうか。

 私は、この人の大嫌いを、嫌いになれるのかな、いつかそんな日が来るのかな。

 きっと私は、大きな嘘をついて、必死に努力を重ねるのだ。セリを忘れることなんてできはしない。それが異性だったら、きっと思い出と呼んでしまうこともできるのに。異性だったら、思い出すことも許されるのに。

 セリに何も言わないで来てしまった。

 会社に行くのとは違う。見合いをするなんて、どう言えばいいかわからないもの。でもきっと、セリは私を責めない。

 そうわかってるから、もっと気になる。

 だめだ。今は目の前の彼のこと考えなきゃ。

ケイさんは、好きな言葉って、なんですか?」

「僕は、うーん、『あいまい』かな」

「はぁ、じゃ嫌いなのは?」

「定式」

「なんか、イメージと逆ですね」

「そう?」

「だって、ちゃんと勉強してちゃんと学校行って、ちゃんと手に職を持ってる人が、定式を嫌うなんて」

「……似たようなことを、最近言われたよ。すっごく不思議な娘で、考えてることをすぐ読まれちゃうんだ。その娘に言わせると、ないものねだりだってさ」

「あ、そんな意味じゃ……」

「うん、わかってる。初めてあんな真っ直ぐな娘を見たよ。女の子って、結構強い娘もいるんだね。驚いちゃった」

 彼はめずらしいものを説明するような顔で言った。そういう娘、私の近くにも一人いるけど。彼はちょっと変な感じのする顔で言ったけど、それが私には妙に男の人っぽく感じられた。ものすごくあいまいな気持ちだけど、この人とセリを会わせちゃいけないと思った。

 この人はきっと、くるってしまう。




「君は本当に、セリカちゃんがかわいいみたいだね」

 二人で並木通りを歩いてるときだった。

「え、そうですか?」

「うん。話の随所に登場してくる」

「そうかな」

 気にしてるつもりなのに、そんなに言ってしまってるのか。

「リノさんは、一人っ子なんだよね」

「はい」

「じゃあ、かわいいわけだ」

 彼は一人で納得して、二歩先を歩いていた。

 確かにセリはかわいい。でも彼のかわいいと、私のかわいいは違うのだ。

 肌に触れられるのが苦手なのに私が触れるのは一生懸命ガマンするのとか、そのくせ気持ちよくなると無意識にすねを私に擦りつけてくるのとか、セリは愛しくて、かわいくてたまらない。

 でもそれは絶対に、誰にも言えないことだ。言ってはいけないことだ。普通じゃないのだから。

 だから私は彼の言葉に応えず、聞こえなかったみたいに通りを眺めた。

 並木通りは歩道が広い。自転車に乗った人なんかが、さり気なく通り過ぎていく。風が心地いい。

「いい季節ですよね。暑くなく、寒くなく」

「うん。この位が、ちょうどいい」

 風が木々を鳴らして吹き抜けていった。本当に気持ちいい。

「いい時に会えてよかった。真冬に会ったら、きっと印象が変わっちゃう」

「あははっ」

 私は自然に笑った。そして、ちょっと考えた。

 この人、こんないい人なのに、何で見合いなんてするんだろう。この人だったら、そんなことしなくてもモテそうなのにな。

「どうして、お見合いしたんですか?」

「え? うーんと……」

 ……何、バカな事、言っちゃったんだろう。そんな事聞くもんじゃないわ。

「僕は女性に対して、特別視したことってないんですよ」

「……はぁ」

「変な言い方なんだけど、みんな同じに見えるんです。僕の出会った人達が似てただけなんだろうけど。とにかく、僕にはこれって人がいなかったんです。自分で決められなかったんです。つまり、どうしても自分の物にしたいって思える女性に出会えなかったんです。それは僕が悪いのかもしれないけれど、そういう人を見つけられないってのもどうしようもない事だから、見合いを勧められたとき、断れなかったんです。もう三十ですし」

 彼は、ちょっとはにかんだように笑った。

 私もきっと、見合いで会うんじゃなかったら、彼のなかに名前ぐらいしか残らなかっただろうな。その辺は運がよかったんだろう。

「でも、君だって結構不思議だよ。まだ二十五なのに、どうして見合いなの?」

「あ、それは、」

 レズだから、偽装結婚なんです。

「親が心配してて。変なのにひっかかるんじゃないかって、私、ぼけてるから」

 もうちょっと、ゆっくりしたっていいはずだ。でも親にバレるのが恐いから、早めに先手を打っておく。彼は何も知らないで笑った。

 彼に知られたりするのかな。ちょっと考えられないけど。私は彼と結婚しても、セリに会いに行く。彼に怪しまれないようにして、セリを愛し続ける。これは絶対だ。結婚したって、セリを愛してることに変わりはない。だから私はこんな風に逃げるんだ。

 セリを愛し続ける自信は、体中にあふれてる。

 でも、それを隠し続ける自信は、ちょっと少ない。だからこうして守るんだ。私は、私とセリを守るためにこの壁を作っているけど、これがセリにとってどんな物になるのか、ちょっと不安でもある。

 セリはどんな風に受けとめるんだろう。傷ついたりしないだろうか。

 セリに話さずに来ちゃったのは、間違いだったのかもしれない。本当の事を言えばセリだってわかってくれる。そう思う。でも結局黙って来てしまった。

 どうして、セリに言わなかったんだろう。

 どうして、セリに言えなかったんだろう。

「夏はやっぱり海ですか」

「え?」

 彼はにっこり笑って振り返った。

「海。行きます?」

 海なんて夜なら行くけど昼間からは行かないな。女の子が二人、海で手でもつないでたら、あやしいだけだもの。

「夜なら、セリが、日に焼けるの嫌がるし……」

「妹想いだなぁ。昼間じゃなくても、夕方の海も結構いいですよ」

 そこに、夏に行く意味があるのだろうか。でも彼の言葉を聞いていて、すいかが食べたくなった。

「海、好きですよ。すいかも好き」

「僕も好きです。商売柄、あんまり日光の下に立ちませんけど」

「あんまり似合わない気もする。夜っぽいですよ、大人だし」

「うまい言い方だな。けなしてるようで、褒めている」

「そんなこと、」

 二人で笑った。自然だった。無理なんか、しなくてもよかった。

 彼は、いい人だ。

 好きになろう、この人を。セリほどは無理だとしても、この人に悪くない程度に、この人を愛そう。

 誰も傷つかずに済むことはできない。ならばできる限り、うそのないようにしよう。

 負った傷を、癒すことのできる人間でいよう。

 この人とはまだ一日しか過ごしてないけれど、間違いはないと思う。

 セリを守る、壁になる。どうか、セリは傷つかないように。大切なセリだけは、お願いだから傷つかないように。あの娘が泣いたら、私はくるってしまう。

 彼女は自らを守る事を知らない。裸のままで、嘘をつかないで、素直でいることしかできないのだ。だから、私が守らなきゃ。

「……どうしたの?」

「えっ」

 彼が顔をのぞき込んでいた。どうしたのと言われても。

「何でもないです。ちょっと、考えちゃって」

「何を?」

 ……言えるわけない。私が言葉を探してると、彼はさり気なく笑って、両手をポケットにつっこんだまま前を向いた。

「まだ、そんな事まで聞けないか」

 さり気なくそう言ったけど、私は彼を傷つけた気がして少しだけ心が痛んだ。もちろんそんな事まで話す必要はどこにもないんだけど。まるで昔からの友人のようだ。

「この先の所に車駐めてあるんです。これからどこか行きます?」

「そう……ですね、どうしましょう」

 特に行きたい所はなかった。でも今無理して彼に合わせなくても、彼にはまた会う気がした。ちょっと、自信過剰かもしれないけど。

 とにかく、今どうしよう。

「無理にとは言いませんよ。あの……次もあるなら、ですけど」

 彼の言い方には、うそがなかった。よかった。

「じゃ、次回にしようかな、そろそろ帰らないと」

「なんだ、もう少し何か言ってくれると思ったのに」

 二人で顔を見合ってから、また笑った。

 難しい言葉で見合いの返事をされるより、ずっといい。

 そのあと、彼は私をマンションの近くまで送ってくれた。私に電話番号を渡して彼は帰っていった。

 私のを聞かないのは、彼が私を気に入ってくれたってことかな。私が電話しなきゃコンタクトはとれない。自宅で働いてるからピッチも携帯も無いんです。そう言った彼の電話番号は変わっていた。3がたくさんある。まちがえやすそうだ。

 小さなメモ用紙に書かれたそれを手帳にはさんでから、山のようにそびえるマンションを見上げた。

 まだ、どうやってセリに切り出すか決めてない。きっかけをつくらなきゃ。

「今日は……サラダのパスタにしよう」

 うん、そうしよう。それと、ラ・夕・トゥイュだ。フランス語の話をしよう。

「よし」

 それから、やっと、ロビーヘ昇る階段に向かった。

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