女王としての覚悟・後編

 時は遡り、ヴィルヘルミナがマレイン、サスキアと共にナルフェック王国へ行った時のこと。

「ヴィルヘルミナ様、一国の頂点に立つ者として必要なことは何だとお思いでございますか?」

 ナルフェック王国の女王、ルナはミステリアスな笑みを浮かべて白のルークを動かし、黒のポーンを取った。

 ヴィルヘルミナはルナとチェスをしていた。

 月の光に染まったようなプラチナブロンドの髪は、シャンデリアの光の影響でさらに輝いている。アメジストのような目からは考えが全く読めず、ヴィルヘルミナは少し困惑する。

「……民を大切にすることでしょうか。王族、貴族は民あってのものだと考えておりますので」

 ヴィルヘルミナは悩みながらゆっくりと黒のナイトを動かす。

 するとルナは品良く口角を上げる。その表情が何ともミステリアスだ。

「左様でございますわね。では、ヴィルヘルミナ様は民を守る為に冷酷な判断を下すことは出来まして?」

 ルナは白のポーンをヴィルヘルミナの陣地の最終ランクに到達させ、ポーンをクイーンにプロモーションさせた。白のポーンが置かれた場所に、予備の白のクイーンを置く。

「冷酷な判断……?」

 ヴィルヘルミナは首を傾げながら、黒のクイーンを動かして白のポーンを取った。

「ええ。全てを掴み取れることは不可能に近い。必ず何かを取りこぼしてしまいますわ。……何かを犠牲にすることで、物事がスムーズに進むのであれば、犠牲を厭わない、時には手段を選ばないことも必要なのです」

 ルナは先程ポーンからプロモーションした白のクイーンを動かす。

「犠牲を厭わない……手段を選ばない……」

 ヴィルヘルミナは考えながら、黒のルークを動かした。

「民達の混乱を防ぐ為にも必要なことでございますわ。甘い綺麗事だけではやっていけませんもの」

 ルナは白のナイトを動かした。

「チェックメイトでございます」

「あ……」

 盤上を見て、追い詰められていたことにようやく気が付いたヴィルヘルミナであった。






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「ブレヒチェとお腹には、間違いなくヨドークスとの間に出来た子供がおりますわ。子供に罪はないとはいえ、ベンティンク家の血を引いている。そして民達の中にも、ベンティンク家擁護派はおりますわ。もしベンティンク家の血を引く子供が生まれたら、彼らに担ぎ上げられて混乱を招く可能性がございます」

 ヴィルヘルミナはベンティンク家処刑後の断頭台ギロチンを見ながらそう言った。

 断頭台ギロチンの刃は、鋭く、そして血に染まり赤黒くなっていた。

「そうか。ま、確かに優しいだけではやっていけないな」

 ラルスは頼もしげにヴィルヘルミナに視線を向けた。ラピスラズリの目はどこか優しげである。

「これからわたくしがしっかりしないといけませんわ……」

 ヴィルヘルミナはこの先の不安を断ち切り、凛々しい表情である。タンザナイトの目は力強く前を見据えていた。






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 十日程経過した。

 王宮の執務室にて、ヴィルヘルミナは多忙を極めている状態だ。

 まだ女王として即位はしていないヴィルヘルミナ。革命の後処理や準備に時間がかかっているのだ。

 現在まつりごとを担っているのは革命軍である。

 いずれ女王として即位するヴィルヘルミナはそのトップを担っているのだ。

「ヴィルヘルミナ様、現在民達の間で起こっている問題をまとめました」

 革命軍のメンバーの一人が、大量の書類を持って来た。

「ありがとうございます。確認いたしますわ」

 ヴィルヘルミナは書類を受け取り目を通す。

(言論統制がなくなったことで民達は安心して暮らせている……。だけど、まだトラブルが絶えないわね。どうやって解決しようかしら……? というか、解決できるのかしら?)

 ヴィルヘルミナは書類を読み、心の中でため息をつく。しかし、すぐに切り替えて真剣な表情になった。

(いけないわ。弱音を吐いては駄目よ! わたくしがしっかりしないと……!)

 革命により、ベンティンク家や彼らの派閥の貴族達を一掃した。それにより、ナッサウ王家の血を引くヴィルヘルミナが殺されることはもうない。だからヴィルヘルミナはもう気を張らず、肩の力を抜いても良い状況である。

 しかし、ヴィルヘルミナは革命前以上に気を張っていた。いずれ女王として即位するので、皆に弱い部分を絶対に見せないようにしているのだ。

 その時、ふとヴィルヘルミナの脳裏に、マレインの姿が浮かぶ。

 黒褐色の柔らかな癖毛。クリソベリルのような目は、ヴィルヘルミナを優しい見つめている。

(マレインお義兄にい様……まだ目覚めていないのよね……)

 いまだに目覚めないマレインのことが心配になるヴィルヘルミナ。

(もしこのままマレインお義兄様が目を覚まさなかったら……)

 ヴィルヘルミナは最悪の想像をしてしまう。

(駄目、今はこっちに集中しないと。女王たるもの、己の感情に振り回されてはいけないわ。感情に惑わされたら、まともな判断が出来ないもの)

 深呼吸をし、ヴィルヘルミナは頭を切り替えようとする。

 その時、執務室の扉がノックされた。コーバスである。

「ヴィルヘルミナ、王都の被害状況の資料だが」

「ありがとうございます、コーバスさん。そちらに置いてくださる」

「ああ、それと、俺に敬称を付けなくていいぞ。そんな堅苦しい言葉遣いも不要だ。俺だっていずれ女王になるあんたのことをヴィルヘルミナって呼んでるんだからな。何せ、従兄妹いとこ同士でもあるし」

 ニッと歯を見せて笑うコーバス。


 コーバス・ヒュッケル改め、コーバス・ノアハ・ファン・オーヴァイエは、オーヴァイエ筆頭公爵家の当主である。

 ヴィルヘルミナ同様、ベンティンク家のクーデター時、極秘で逃がされたのだ。

 髪の色はアッシュブロンドだが、目の色はヴィルヘルミナと同じタンザナイトのような紫である。

 ナルフェック王国の遺伝子検査技術で、ヴィルヘルミナとコーバスには血縁関係があることが証明されている。傍系ではあるが、コーバスもナッサウ王家の血を引いているのだ。

 ヴィルヘルミナは即位後、コーバスを宰相に据えるつもりである。また、彼の望みであるオーヴァイエ前公爵と前公爵夫人の名誉挽回も即座におこなう予定だ。


「……分かったわ、コーバス」

 ヴィルヘルミナはクスッと笑った。

 するとコーバスはホッとしたように微笑む。

「少し肩の力が抜けたみたいだな」

「え?」

 ヴィルヘルミナはきょとんとする。

「ヴィルヘルミナ、あんたは革命前からずっと気を張っているように見えた。だからちょっと心配だったんだ」

「そう……。だけど、わたくしは大丈夫よ」

 ヴィルヘルミナはそれでも気丈に振る舞った。

「……そうは見えねえよ。最近のあんたは革命前よりも気を張って、弱音も吐かねえで色々と抱え込み過ぎてるように見える。俺だけじゃなく、他の奴らもあんたのこと心配してる。ヴィルヘルミナが無理し過ぎで倒れないかって」

 コーバスはフッと苦笑した。

わたくしはいずれ女王として即位するわ。上に立つわたくしが、誰よりも頑張らないといけないわ。少し疲れただけで休むなんて言語道断よ。弱い部分はなるべく見せないようにしないと」

 ヴィルヘルミナは背筋を伸ばし、上品な笑みを浮かべる。しかし、それはどこか無理をしているように見えた。

 コーバスはため息をつく。

「あのなあ、何で一人だけで頑張ろうとしてんだよ? 何の為に俺達がいるんだ? 少しは頼ってくれ。それに、頑張り過ぎてヴィルヘルミナが倒れたらそれこそ困る」

 コーバスのタンザナイトの目からは、ただヴィルヘルミナが心配だという気持ちが伝わってくる。

「ヴィルヘルミナはいずれ俺を宰相に任命するんだろう? だったら今やってるあんたの仕事、俺に任せてくれ。あんたはずっと働き詰めだから今すぐ休め」

 コーバスはヴィルヘルミナから書類を取り上げた。

「でも……」

「たまにはエフモント領に戻って家族に顔を見せたらどうだ? ラルスもあんたのこと心配してたぞ。それに……マレインのことも心配だろう?」

 するとヴィルヘルミナの肩がピクリと動く。

(……マレインお義兄様)

 先程胸の奥底にしまった感情がゆっくりと湧き上がる。

(たとえ、まだ目を覚ましていなくても、マレインお義兄様に会いたい。マレインお義兄様の側にいたい……)

「ヴィルヘルミナ?」

 コーバスはヴィルヘルミナの様子に首を傾げる。

「コーバス……一旦貴方に任せていいかしら?」

 するとその言葉に、コーバスは満足そうに笑う。

「おう、行って来い」

「ありがとう」

 ヴィルヘルミナは柔らかく微笑んだ。


 ふと、ルナの言葉が蘇る。

『誰かに頼ること、休むことも大切でございますわ』

 そう言ったルナは、ヴィルヘルミナに優しい笑みを向けていた。


(そうよね……。わたくし、少し自分を犠牲にしていたわ。だけど、わたくしが倒れたら混乱を招く。……戻ったら、役目をしっかり果たすわ。だから、今だけは……!)

 ヴィルヘルミナは家族に手紙を出し、エフモント公爵領へ向かうのであった。




※チェスのルールについて補足

チェスのポーンは前にしか進めません。なので一番奥のマスまで進んだらポーン以外の駒にプロモーション(昇格)させないといけません。

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