第34話 俺のホームズは声だけが聞こえない①

「彼らはどうするの? 警察に突き出しても良かったんじゃ」

「さぁ」

「さぁって。だって、死体が」

「死体?」


 ダイニングテーブルのそばにあるロッキングチェアに座っていると健斗はキッチンからココアをもってきた。窓の外が見える位置にそれはあり、向かいには同じようにもう一つのロッキングチェア。ダイニングテーブル等々と時代は少々違う気がしたが、その辺りの詳細は詳しくはない。

 ゆさりゆさりと揺れているそれの向かいに健斗は座る。ふんわりと甘い香りがするカップを受け取り、口に含んだ。甘い匂いが鼻を抜ける。

 推理が終わった後、健斗は彼らを洋館から帰した。警察も呼ばずそのまま帰してしまったのだ。


「え、死体があったんだけど」

「死体。あぁ、あれはレプリカだよ。神田先輩のお姉さんに頼んで作ってもらった精巧なレプリカ」

「レプリカ? いやあれは、本物……」

「そんなはずはない。本物の死体はとっくに警察が回収しているよ。この事件は未解決事件。この洋館にあった死体の死後は数年……。損傷が激しく、個人を特定するような免許証も持っていなかった。そもそも殺害された人物も不明だ。もちろん殺害した犯人も分からない」

「なおさら警察に突き出した方が良かったんじゃ」

「悟の読心で分かりました。こいつが犯人です、逮捕してくださいって?」

「そんなの証拠にならないけどさ……」


 犯人だと分かっているのに逃がすなんて……。それにレプリカなんてどういうつもりだったのだ。やはり、健斗は俺に事件を解決させる探偵としていいように使っただけなのかもしれない。健斗はやけに親しげに、こちらの気持ちなど全く気がついていないようだった。

 俺が考え込んでいると健斗は声色を優しくする。


「どっちにしろ、いつか彼らは捕まる。あの殺人は荒い。死体に証拠が残っているだろう。……あの金槌には被害者の血痕と犯人の指紋がついている。でも、捕まえるのは俺たちじゃない」


 確かに、八代に『妄想推理』と言われたけど。三流以下だと言われたけど。どうせ俺はワトソンだ。ホームズになんかなれやしない。どうせどうせどうせ……。


「まぁまぁ。膨れないで悟。担当の刑事さんに連絡はしてみるから。死体を見つけたの俺だし。情報が分かれば連絡して、――そう言われてるから」

「え? 死体を見つけた? 健斗が?」

「うん。一年前、佐々木さんに廃墟巡りに連れてこられ……、そこで見つけたんだ。その時に彼から依頼を。彼らの関係者を探すのに手間取って、ずいぶん時間がかかってしまったけど」

「その時に警察に通報して、死体を回収した?」

「そう。だから今はないよ」


 健斗はココアを飲みながら少し迷いながらも話を続けた。その様子に演技は感じない。健斗が嘘をつくならもっと顕著に分かりやすく嘘だと分かるはずだから。


「さっきも言ったけど。あの死体は、神田先輩のお姉さんに頼んで作ってもらったレプリカ。これは悟のために用意したもので本当の凶器じゃない。金槌についているのは血糊だ。今回のために作ってもらったものだけど……精巧に作られてるだろ。まぁ、あの部屋は暗かったし。暗闇で見れば本物と間違うのも無理はない」

「……そう、なの……?」


 あの死体はレプリカだった。健斗もそう言っている。あの部屋は暗かった。レプリカと本物と見間違う。それはあり得なくはない。けれど、やはり腑に落ちなかった。神田先輩も同じものを見ているはずだ。あれは紛れもなく本物だった。


「……――健斗、ひとつ聞いてもいいか?」


 きょとんとした目がこちらを向く。


「お前はおれをあの部屋に閉じ込めた、それはそうだな?」

「すまない。それはそう……でも、仕方なかったんだ。神田先輩があの部屋に入っていたのは誤算だったけど、そのおかげで悟の役には立った……だろう?」

「無茶振りにも程があるけどな」

「ごめん、そうするしかなかったんだ」


 櫻木が閉じ込められて餓死したあの部屋に閉じ込めるなど、お前のやり方は少々倫理観に欠けてないか? と言いたいのを我慢してその問題は頭の奥に置いておく。ここを責めても仕方がない。わざわざ作った死体を置いて推理をさせた、おそらく事件の状況に似せたものを置いておいたはずだ。

 俺を探偵に仕立て上げるため、その行動原理としては理解できる。

 心が読めれば分かるのに、そうできないのがもどかしい。


「俺を部屋に閉じ込める時。おそらくお前は乗っ取られていた、が」


 あの部屋に誘導したのは健斗なのは確実だろう。彼らを追い詰めるには俺が健斗と離れて推理をさせる時間と実物を見せる必要がある。けれどそれを行うタイミングは完全に計算違いだった。

 健斗の表情は硬い。


「お前、俺の頭を思いっきり殴っただろ」

「そこは。覚えてない。俺は、身体を乗っ取られてる時の記憶が無い。だから、俺がお前に危害を加えた、悟が覚えてるならそうなんだろう。でも。俺には記憶がなくて」

「やっぱり」

「謝っても許してもらえるなんて思ってないけど」


 健斗は包帯を巻いた右手でココアのカップを持っていた。鏡を見て乗っ取られるのならば、その原因を排除すればいい。割れた鏡はおそらく健斗が叩き割ったもの。その記憶さえも彼には無いのかもしれない。朝起きて手が血だらけになっていて俺がいなくなっていた。自分がそうしてしまったのだと、また周りに危害を加えたのだと、お前は自責していたのかもしれない。


「ごめん、俺のせいで」

「いい。ちょっとやりすぎだと思ったけど」

「ごめんなさい」

「べつに、痛みは無いし」

「え? そうなの? はぁー、よかったぁ」

「痛くはない。うん、痛くはないよ。殴られた、けど」


 殴られた、あの記憶の中で俺は二回も。健斗の顔を見る。頭についた血は乾いていた。金槌についたものも同様。この血は金槌を振り下ろされて頭を負傷した時についた血、のはずだ。誰かが俺を殴ったからついたのだと。けれど、――おかしい。

 こんなに怪我を負っているのに、痛みは無い。

 健斗が乗っ取られていたのはそうだろう。健斗に記憶が無い以上、真偽のほどは分からない。健斗でないとしたら……あの時の光景はなんだったのだ。


「……健斗。お前が持ってる情報を教えて」


 健斗はいつものように手帳を開く。その中にはびっちりと文字が敷き詰められている。几帳面な性格故か、丁寧に調べ上げられた個人情報。


「八代朔弥には多額の借金があった。八代の両親は会社を経営していたんだ。だが、それが数年前から上手くいかなくなって倒産した。その時に両親は無理心中をして自殺。旅行に行っていた八代だけは生き残り、八代には両親から請け負った借金だけが残った。今の自分では返せない。そのために色んな人にお金を借りていたらしい。そのほとんどは返されていたけれど、その弱みに漬け込んでたかる人間はいる。膨れ上がった借金。バイトだけでは足りない。彼はどうしても俳優として売れなければならなかった。――そんな中、櫻木大和が主役に抜擢された。その役の代役は運よく自分だ。その枠を八代朔弥は狙った」


「――羽柴楓と松本湊は八代朔弥の借金を払わせるために、櫻木大和の殺害を手伝った――」

「そう。で、悟はどうしてあの三人『全員が』犯人だと言ったんだ? 八代朔弥が実行犯で、あとの二人は手伝っただけだ。共犯、というのもやや微妙に薄い」

「あ、あれね……」


 深い意味はなかった。


「八代朔弥さんが櫻木大和さんを閉じ込めて殺してしまった。それは事実だけど、八代朔弥さんが公演をしている間、羽柴楓さんと松本湊さんは、櫻木大和さんがすでに亡くなっていたことを言わなかった。それは、どうしてだと思う? ――健斗」


 健斗は『え』と驚いた声を出す。

 ほらいつも俺にやってたじゃん。いつも探偵に仕立て上げてきた幼馴染に仕返しを、さ。


「八代朔弥に『櫻木大和を殺してしまった』という罪悪感を植え付けて、罪を暴露されたくなければ金をよこせ――と脅すため」

「そう。八代さんは俳優さん。しかも売れっ子。ライバルを蹴落とすために殺してしまった、なんて話が暴露されたら困る。彼らは、八代さんから永続的にお金をむしり取るために櫻木大和さんを見殺しにした。それは、影の犯人と言ってもいいんじゃないかな」


 ――彼らが八代朔弥に囁かなければ、きっと違う未来だった。

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