第23話 どうして僕だけが、ドウシテ?②

「開けるな、悟ッ!」

「へ?」


 健斗の手が開けようとした手に覆い被せるように重なる。さっきまで健斗はここにいなかったはずだ。いったいどこから現れたのだろう。


「どこにいたの健斗」


 健斗に聞いても答えは返ってこない。


『ちぇ、残念』


 少し、ほんの少しだけ開いていた。


『もうすぐだったのに』


 無数の目。

 真っ黒い身体はなにもかもを飲み込むように。廊下の闇に溶け込むソレは、異界から常に我らを覗いている。小さな体は確かに子どものもの。声も背丈も、なにもかも。隣にいても気づかない。


『もっともっと、遊びたかったのになぁ』


 ――なに、あれ。

 健斗の顔を見ると、小さく舌打ちをした。


「ちょっ、健斗! なにあれ! 教えて、教えろッ!」


 軽く揺さぶると健斗が口を押さえて嗚咽を返す。こんなところで気持ち悪くなっているんじゃない。健斗が分からなければ誰が分かる。ガチャリと鍵をかけ、健斗を抱えて戸から離れる。ちょうど図書室のカウンターが暗がりになっていたので潜り込む。


 ドン、ドン、ドン。


「揺さぶらないで。吐く」


 健斗の顔色が悪い。足が震えている。


「健斗、大丈夫か」

「大丈夫、それは大丈夫。だけど」

「だけど、……なんだ」


 健斗の様子がおかしい。ぐったりと足に力を入れてようやく立っているというような。


『お兄ちゃんは平気なんだね』


 声が脳に響く。ああそうか。

 健斗の心の声が明瞭だったのは隔てるものがなかったから。健斗に憑りつくものが、それよりも強いものに引き寄せられていたから。


「健斗、あれはどう救えば良い?」

「正気か?」

「うん。健斗なら、なんとかできるでしょ。俺は読むだけなんだ。他になにかできるわけじゃない」


 健斗の瞳が揺れる。彼の目になにが映っているのか、それだけは分からないけれど。


「健斗はあれが分からないから怖い。でも、」


 普通の人は正体が分からないものを怖がる。暗闇の中に佇む影、人の感情、その他諸々の予想のできないこと。


「俺は全部分かっちゃう」


 ――遊ぼう遊ぼうと、誘う声。あれはただの――。


「でも、俺一人じゃダメだ」


 俺は健斗の手を引いた。冷たい氷みたいな手。本当に血の通った人間なのかも怪しいほどその手はキンと冷えていた。微かに震えていて、それは寒さからくるものではないだろう。

 その手を温めるように握った。


「俺はお前のワトソンになってやるって言った。それは嘘じゃないぞ。好きなように使えば良い。でも道具みたいに使われるのは嫌だ。だから、それは俺がお前を手伝ってやってるんだってことにする」


 きょとんとした瞳がなにかを考えている。ぶはっ、と声を吹き出して腹を抱えて笑い出す。そんな場合じゃないだろう。目の前を見ろ、早くどうにかしないといけないのに。


「……悪い。やっぱ悟って、……。変わってない。俺のこと嫌いなくせに……ほんと、俺のカッコいいヒーローだよ」

「小っ恥ずかしいことをサラッというなよ」

「ううん。ヒーローだよ。俺にとって。ちょっと捻くれてるけど俺にとってはだからこそ、……」

「うるさい。早くどうにかするぞ」


 うん、と健斗は頷き、その顔がとっても嬉しそうだったのでなにも言えなくなってしまう。この顔に弱かった。この顔に救いを求められると、どうにかしなければと奮い立つ。

 ぐしゃりと笑うと子どもみたいにあどけなく、あの時と同じ顔になる。


「悟はアレがなんなのか分かった?」

「遊びたいのは分かった。遊びたい遊びたいって」

「あれは、尸童よりまし。――子どもの身体を神様の依り代にして、病に苦しむものを救う生贄」

「……神様?」


 遊びたい。まだみんなと遊びたい。足りない足りない。どうして僕だけが外で遊べないんだろう。僕だって外を駆け回りたいのに。


「だからええっと、上にあげてやれば大丈夫なはず……」

「待って!」


 健斗の手をぎゅっと絞った。健斗の驚いた声が聞こえる。なにをするんだとこちらを見て、けれどその手を振り払うことはなく。


「遊ばせてあげればいいのかな」

「…………ぇ」

「思う存分、遊ばせてあげる事ってできないかな!」


 は? と健斗の顔に書いてある。心を読まなくても分かる。


「子どもの神様なんでしょ? だから他の子と一緒で」

「悟。アレは人間じゃないよ」

「そんな子どものわがままを諭すみたいなこと言わないで」


 健斗は俺の顔をじっと見てわざとらしく深い溜息を吐く。なにやらごちゃごちゃと抗議をしてきたがそれをすべて無視をする。だって口に出してないし。心の中で嫌味を言われようが、口で言っていない。


「……難しい?」


 健斗の顔が引きつる。嫌そうな表情を隠すこともない。ああ、けれど、いやだいやだと首を振りながら、俺にだけには甘いよね。俺がお前の顔に甘いように、お前も俺に甘い。

 全身にため込んた空気を吐き出すような、長い長い溜息を吐いて諦めたように視線を送る。鍵をかけた引き戸からは真っ黒い靄のようなものが漏れ出している。健斗はそれを忌々しく一瞥し、こちらを振り返った。

 行くぞ、と口が動く。


「あいつの願いにはキリがない。叶えても叶えても満たされることはなく、いつか人間の方が負けて取り込まれてしまう。何度叶えても満足しないんだ。その時点で俺ができることはない。けれど、悟。口を出して救おうと、本当に救う気があるのなら。悟自身で片を付けるべきだ」

「――分かった」

「ぐだぐだ言い訳をするんじゃないぞ。悟が決めたん……、え」

「分かった。俺はなにをすればいい?」

「あ、……ぁそう」


 ドンドンと開けて開けてと叫ぶ声が聞こえる。健斗は顎に手を乗せてなにかを考えている様だった。


「悟がやるならシンプルだよ。ただ、


 なにも考えず開けろ、と健斗が促す。


「開けるだけでいいの?」


 健斗はその質問には答えない。ふと、――これで失敗したら最後の手段を取らなきゃなと、聞こえた気がしたが、健斗の顔が涼しかったので聞こえなかったふりをした。


「じゃあ開けるよ」


 ガチャリ、と施錠を解き引き戸を開ける。扉を叩いていたそれと目が合うかもしれないと思っていたのに、それはそこにいなかった。

 シンと静まり返った廊下の暗がり。

 どこにいるんだろう、と足を一歩踏み出した時、ぐにゃりと視界が歪んだ。固いはずのコンクリートの廊下が、水面となりたゆたう。ぼちゃりとなにかが落ちる音がした。それが自分が落ちる音だと気づくまで、健斗の慌てる顔が視界から消えるまで。


『お兄ちゃんは、ボクと友達になってくれる?』


 抵抗せず、もがくこともせず、慌てることもなかった自分に心底驚いた。あぁ、そういえば図書室の引き戸の鍵を閉めた時から、いいや彼に出会ってから。

 自分は一度たりとも動揺なんてしていなかった。

 こういうところがダメなのか。

 こういうところが人間らしくないんだな。


「友達にはごめん、なれない」


 息ができる。

 冷静な頭は周りの状況を把握しようとする。眼下に広がるのは先の見えない闇。上を覗き見ると光が差し込んでいた。そこが帰るべき場所か。けれどまずは目の前にいる、彼と対話しなくてはいけない。


『どうして』

「俺の親友が心配するから。たぶん反対する」


 神様に願っても長くは生きられなかった。

 病弱だった子どもは幼くして亡くなり、魂のまま彷徨い続けた。外で遊ぶ子どもを羨んだ。どうして僕だけが、ドウシテドウシテ。

 外にいるみんなと僕がどうして違うのだろう、と。

 どうして僕だけが。

 生前どうしても手に入らなかったもの。心霊となり、近所の子どもたちと遊んだ。けれど子どもたちの記憶に残ることはない。

 ――遊びたい。遊びたい。遊びたい。

 同じように幼くして亡くした子どもたちの魂が、その小さな体に集まり、ひとつの巨大な魂の塊になった。かつての人格も記憶も消え、ただ『遊びたかった』という思いだけの集合体。何十年何百年と途方もない時間が過ぎていく。


「俺も忘れるよ。俺は確かに、人間よりも人外に近い。健斗のことをみんなが忘れても俺だけは覚えていた。でも、少しだけだ。俺と君の、流れる時間は同じじゃない」

『じゃあ、ボクはどうすれば』

「ここは小学校になったから、いつでも誰かと遊べると思う。ただ、君のことは誰の記憶にも君は残らない。


 田代くんの前から姿を消したのは、彼が姿を消したからなのではなく、田代くんが異界のものを視る必要がなくなったからなのではないか。肝試しに成功して幽霊を怖がっていた子どもではなくなってしまった。彼にとってそれは酷く辛いことなのではないか。

 友達が消える悲しみを、彼自身も体験していたのではないか……。

 きっとそれはひどく辛いことだ。


「どっちがいい? 健斗に任せて成仏をするか、それともこれまでと同じようにイマジナリーフレンドを演じるか。……子どもたちに害を与えたくはないんだろ? 君は、悪い子じゃないんだから」


 今日は健斗の心の声が良く聞こえた。

 健斗はいつもなにかに怒っていたように見えた。性格が意地悪になったんだと思っていたけどたぶん違う。その答えは健斗が出したクイズにあった。健斗がそう振る舞うのは理不尽に殺された魂に必死に食い殺されないようにするため。幽霊って視える人に寄っていくんでしょ。だから怒りというエネルギーで打ち消して、寄りつかれないようにしていた。

 強がっていても心の中はずっとなにかを恐れていたんだ。

 弱虫で泣き虫で、俺に助けを求めるあの時のまま。

 そんな健斗は俺に対して心配性がすぎる。それはいつだってそうだ。さっきだってそう。目を離せば死んでしまいそうだから? お前と再開して、お前の中にいるモノの事件を解決して、お前と同じように視えるものになってしまった以上、俺にも健斗と同じような危険がついてまわるようになる。離れてほしくない、死んでほしくない。

 けれど、さ。

 俺がやりたいことは危険だと分かっていてもやらせてくれるよね。


 それは、どうして?


『うん。――まだ遊び足りない』

「じゃあ、また新しい子を探せばいい、その子と遊んで」

『良いことを思いついたの』


 黒く大きな身体は小さな少年の姿になって、現れる。


『ボク、お兄ちゃんと一緒にいることにする。お兄ちゃんなら、ボクのことを覚えていられるでしょう?』


 少年は、俺の身体に抱き着いて消えていった。

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