第4話 混信

「健斗は佐々木さんの裏表のなさを見習ってみては」

「あんなに裏表がないのも珍しいとは思うけど。俺はいいよ。別にいい。苦労してないし」

「そりゃそうだろうけど」


「佐々木さんは賢いし知識もあるけど、世間知らずで人の悪意を知らないから、ああ振舞えるんだよ」


 佐々木からもらったチラシは百枚。

 それをキャンパスで配りまくり、近所の家を一つ一つしらみつぶしに配って配って配りまくり……。あまり苦労をしなかったのは、健斗がチラシのほとんどを配って、隣で見ているだけで済んだから。


「あっれぇー、健斗じゃん。なにしてるの?」

「鈴木さん。チラシ配ってるの。近所の猫ちゃんがいなくなったんだってさ。心当たりない? どんな情報でもいいんだけど。あったら嬉しいな」

「そんな顔されてもなにも出てこないよ? でも……、あ、図書館の近くで猫に餌をあげている人を見たかも? あいまいだけど……」

「え! 本当? ありがとう、どんな人だった?」

「確か、痩せた男の人だった、ような……」


 キャンパスを歩いていると、通り過ぎる人が次から次へと健斗に声をかけてくる。おとなしそうな女子学生も、茶髪でギャルい女子学生も、体育会系の男子学生も、教授たちも。

 健斗はにこやかに一人一人、丁寧に対応して情報をかき集めていく。健斗は顔も良く、人となりも良い方だ。人畜無害、好青年と色々表現できる言葉はあるだろうが、誰に対しても優しく誰に対しても悪い印象を与えない。ランドセルを背負っていたあの時、健斗に抱えていた印象はまさにそうだった。


「……お前さ、腹黒いって言われない?」

「言われないよ。だって俺の裏の顔を見れるのは悟だけだもの」

「そうかよ」

「だからこれは、悟にしか分からないよ」

「昔はそうでもなかった気がするけど」


「そりゃね。人間誰しも善人ばかりじゃない。悟だって分かっているはず」

「俺は心が読めるから。お前は違うだろ」

「違わないよ。そういうのは、……分かる」


 答えに迷う。

 なぜか次に口に出す言葉をどうするべきか迷ったのだ。いいや、健斗だって昔から鈍い方ではなかった。取り巻きに囲まれているときも取り巻き達が自分になにを求めていたのか、そこに打算があったことを、悪意があったことに気づかないはずがない。

 そう思っていたはず。


「そんな哀しいことを言うなよ」

「そう思っていた方が楽なんだよ」

「……昔に戻れとは言わないけど」


 あの時の健斗はクラスの人気者で、明るくて優しい、こんな俺でも一緒にいてくれる良いやつだった。大人になってなにが変わったのか。会わなかった時間になにがあったのか。


「猫。探そ」

「うん」


 なにをこんなに迷っているんだろう。

 あいつが大人になって雰囲気が変わったとか、そんなことはどうでもいいはずなのに。あの頃の健斗はもういない。自分が知らない間に変化したことに戸惑って。変わってしまった理由をなんとなく察してしまって、そのことに憤って。

 自分が隣で見ていたのならいい。それならば、こんなに落胆することもなかったのだろう。自分が制止した、それでも起こってしまった変化ならば受け入れることもできたのかもしれない。


「さっきの話、もう少し聞こう。猫に餌をあげていた人物なら他に見ている人がいるかもしれない」

「……わかったよ」


 その後もチラシの配布、聞き込みをしていく中で情報が集まってきた。初めの予想通り、血統書付きの猫はたくさんの人が見ている。目撃証言からだんだんと場所が絞れてきた。


「健斗、探偵部っていつもこんなことを?」

「いいや、ここ最近だけ。探偵部の依頼内容は、別に猫の捜索だけではない、んだけど」

「ふぅん」


 あ、と健斗が声を上げる。道路の向こう、指の先。


「みゃーご、おいでおいで」


 健斗は猫を見ると、屈んで手のひらからおやつを差し出す。お腹が空いていたのだろう。真っ白い猫は、元気に駆け寄って擦り寄ってくる。赤い首輪もチラシの中に映る写真と同じ。


「よし、やったな」

「……うん、あとは、あのアパートの人に話を聞こう。なにか知ってそうだ」

「え?」


 健斗は白猫を抱き上げて、赤い屋根の建物を見上げる。なにを言っているのか。白猫が見つかったのならもう帰れば良いじゃないか。けれど、健斗の様子は安心した、そんな顔には見えない。

 むしろ険しく、目は鋭い。


「……悟、俺が話すから、悟は読んだソレを後で全部教えて」

「うん、分かった」


 代わりに持っていてくれと押し付けられた白猫は、ふわふわで暖かい。名残惜しそうに、いや、健斗から離れることを露骨に嫌がり諦めたようにこちらに移ったのは気になったが。


「……知り合いなの?」

「ん……、ちょっと」


 健斗の顔は苦虫を噛み潰したよう。先ほどまで女子学生や教授らに聞き込みをした時とはなにか様子が違う。長い歴史を感じさせる木造のアパート。階段も廊下もギシギシと音を立てる。


「猫の、餌?」

「前に猫の捜索をした時も、このアパートの近くで見つけて。ちょっとマークをつけているんだけどさ。いや別に……犯人扱いしてるわけじゃないよ。でも、こうして同じところで猫がいなくなってるのは、気になるだろ」


 植え込みの中にばら撒かれたキャットフード。遠くからこちらを覗いているたくさんの野良猫達。餌の穴場スポットなのか、よく見れば周りを囲まれている。


「よし、行くぞ」


 アパートは人気がなく、どこも空き家になっている。廃墟みたいだ。暗くどんよりと鬱々しい。ただひとつだけ名前が書かれた部屋がある。

 健斗はそのドアの前に立ってインターホンを押す。


「井上。いたら返事をしてくれ。文学部の和田なんだけど」

「和田か。なに」

「ごめんごめん。また猫がいなくなってさ。ほら、前にも井上のアパートの近くで見つけたから、井上なら知ってるかもなぁと思って。この猫と似た真っ白な猫なんだけど、知らない?」

「知らない」


 鼻先で勢いよくドアを閉められたのにも関わらず、健斗は何事もなかったかのように振り返る。後ろに待機していたこちらに向かって小さな声で耳打ちをする。


「聞こえた?」

「あ、……ごめん、……聞こえ、な……」

「え、どうした悟!」


 声は聞こえた。聞こえたのだ。

 けれど。――あれはなんだ。


「ぉ、え」


 地面にうずくまりえずく。

 健斗は慌てふためいて落ち着かず、おろおろと声をかけてくる。


「だ、大丈夫か、悟。とりあえず、戻ろ。歩けるか?」


 こくり、と頷くと健斗は安心したような顔をして、下唇を強く噛み締めた。

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