身代わりともう一つの企み

 呼吸を落ち着かせようとしている守人を尻目に、アニマは支配下に置いている学校のネットワーク回線を通じて人質解放の準備を進めていた。


 校舎内のテロリストは全員取り押さえ、校舎外のドローンはすべて管理下にある。もはや目の前に行く手を阻む者たちはいない。


 そのはずであったが、そうではなかったことを守人はアニマの報告で知る。


『守人、用務員小屋の用務員がネットワーク回線に接続してすぐに切断したわ。ウイルスに感染したみたいだけど効果は薄いかもしれない』


「用務員も人質だったらまずいんじゃないか?」


『立場が不明瞭だからテロリストの味方をしていると一旦見做しましょ。人質の生徒を解放してから確認しても遅くはないわ』


「そうなると、とりあえず放っておくのか?」


『その方がいいわ。今は小屋の中でじっとしているからそのままにしておきましょ。ウイルス駆除でそれどころじゃないのかも』


「くそ、全部はうまくいかないか。わかった。だったら今のうちに人質を解放しよう。こっちに来そうならドローンで追い払ったらいいだろうし」


 人質さえ解放してしまえばどうにかなるというのが守人の考えだった。残っているのが学校を占拠したテロリストだけならば後は警察の仕事である。


 ようやく体が落ち着いてきた守人はその旨をアニマに伝えた。すると、それまで考えていなかったことを相談される。


『これから人質の生徒を外に誘導するんだけど、モリトが人質を誘導する気ある?』


「俺が? いや、警察に知らせて入ってきてもらった方がいいんじゃないか?」


『警察は今、外に出た生徒の対応と学校を包囲するのに手一杯みたいね。応援も呼んでいるようだけどまだ時間はかかるみたい。だから人質を先に外へ誘導した方がいいわ』


「だから俺か。でも、なんでテロリストを押さえて助けに行けたのか説明できないぞ」


『そーなのよねー。あたしの存在もバレそうだし』


「テロリストは取り押さえたから今のうちに逃げろってメッセージを送ったらどうだ?」


『正体不明の相手からいきなり飛んで来たメッセージなんて信用できる? 自分の命がかかっている状態で』


「無理だな。そうなると、誰か信用できる人に頼むしかないのか」


『けど、その人に頼むときに結局あんたがやったことを説明しなきゃいけないでしょ。それじゃ意味ないのよね。だから、信用できる人の名前を借りて誘導したいのよ』


「無断で使うのか。まぁ非常事態だから。ところで誰の名前を借りるんだ?」


『あんたの担任教師』


「常磐先生か。信用っていう面ではいいと思うけど、あの人コンピューター系の技術に詳しくなかったような」


『大丈夫! 謎の人物エックスに協力してもらったってことにするから!』


「何が大丈夫なのかわかんないけど、もうそれでいいや」


 気が抜た守人はぐったりとしたままアニマに答えた。


 こうしてアニマの人質誘導が始まる。用が済んだ学校内に放ったウイルスを非活性化した上で、人質全員に常盤教諭名義のメッセージを送信した。大まかな内容は、テロリストを制圧したので正門まで逃げろというものだ。


 当然受け取った当初の生徒たちは半信半疑である。ただ、教室内で人質を見張っていたテロリストが倒れて動けなくなったことは知っていたので希望を抱く者はいた。


 そこでアニマがでっち上げた常盤教諭の立体映像の出番だ。人質の生徒たちに映像通信をかける。


『テロリストに捕まっているみんなー! さっきのメッセージは見てくれたかな? 怖い思いをしているだろうけど、ちょっとだけ勇気を出して体を動かそう! 知り合いに手伝ってもらって校舎にいるテロリストは動けなくしたし、ドローンは乗っ取っちゃったから攻撃してこないよ!』


 緊迫した状態の人質を誘導するにはあまりにも明るすぎる語りかけだ。しかし、自分たちの知る人物が姿を現して導いてくれるというのは確かに心強い。


 これで最初に動いたのが明彦だ。担任教師が語りかけてきたのが自分の担任教師だったこともあって映像に映る常盤教諭を信じる。廊下を窺うとテロリストが床に倒れているのを目の当たりにした。すると後は早い。全員が教室を出て階段を下りていった。


 ところが、その明彦から常盤教諭へと予想外の事実を伝えられる。


『常盤先生、少し前に藤山さんがテロリストにどこかへ連れ去られました。どこかはわからないけど、今もこの中にはいません』


『そうなの!? あーもー、とにかくみんなは外に出て!』


 でっち上げた常盤教諭と明彦の会話を聞いていた守人は頭を抱えた。三階の廊下で人質が階段を下りていく音を耳にしながら黙る。


『まずいわね』


「どうするんだよ」


『更に悪い話が一つ。用務員小屋にいた用務員が旧北校舎側に逃げたわ』


「は? 正門じゃなくて?」


全回線遮断スタンドアローンだからこっちの送ったメッセージも映像も見ていないのよね。状況がわからず闇雲に逃げたのか、それとも。ともかく、トモヨ共々探さないといけないわね』


「くそ!」


 まさかの事態に守人は歯噛みした。これで終わりだと思っていただけにその落胆は大きい。


 人質が階段を下りる足音が聞こえなくなると守人はすぐに階段を駆け下りた。その間にアニマへと問いかける。


「アニマ、智代は校内にいそうか?」


『ドローンも使っているけど見当たらないわね。後は学校の監視カメラがなくてドローンが近づけない場所、旧北校舎。あの妨害電波、やっぱり邪魔よねー」


「くそ、あのスイッチ切っとくんだった!」


 中校舎の西側から飛び出た守人は倉庫とプールの間にある林の奥、旧北校舎近くに人がいるのを目にした。すぐに立ち止まってその姿をよく見る。


 そのうちの一人は智代だ。制服は乱れて顔には殴られた跡がある。目元からは涙の筋も見えた。もう一人は用務員だ。守人を見ると意外そうな表情を浮かべる。最後の一人は黒い覆面の男だ。すぐにテロリストの仲間であることに気付く。


 どんな状況なのか理解できない守人は林を出たところで立ち止まった。その守人にマサが声をかける。


「おや? 君は学校の外に出たんじゃなかったのかい?」


「一回出ましたけど、ちょっと忘れ物をしちゃって」


「前にもう悪いことはしないと約束したのに、いけないなぁ」


「そっちの覆面の男は学校を襲ったテロリストなんですけど、わかってます?」


「テロリスト? ああ」


「自分たちは政府の悪行を糺す革命の闘士だ。テロリストなどと呼ぶな!」


 まなじりを上げたケニーが守人に近づいた。その間に、マサは手にした抜き身の短刀を右手に智代を抱き寄せて突きつける。


「なっ!? 嘘でしょ。あんた、学校の用務員でしょう?」


「表向きはね」


「こんなところをうろちょろしてる子供など怪しいな。同志を手にかけたお前なのか? 全員やったってのか? 残り少ない同志だってのに!」


「死んでないよ!」


「それが言い訳か? お前よくも自分の計画を台無しにしてくれたなぁ!」


 目を剥いたケニーが守人に殴りかかった。大きく振りかぶって拳を顔に叩き込もうとする。


 避けようとした守人だったが機械化された右腕の方が速かった。避けきれずに左頬をかする。それでも充分に痛い。


「ぐっ!」


「いっちょ前に避けようとするんじゃない! この子供が! よくも自分たちの計画をぶち壊してくれたな! 死ね!」


「ケニー、あまり遠くへ行くなよ。ウイルスに乗っ取られてしまうから」


 気の治まらないケニーが守人へ一方的に暴行を加え続けた。マサの忠告が聞こえているのかも怪しい。


 そんな中、守人はひたすら耐え続けた。アニマも密かに手助けする。


『一応急所を外すように体は動かしているけど、このままだと危険よ。一回逃げた方がいいわ』


『智代を、助ける、んだ』


『このままだと本当に死ぬかもしれないわ。この状況だとあたしが相手に干渉するのも難しいのよ。警察が突入してくるのも時間の問題だから、任せた方が楽だと思うけど』


『他を、助けたのに、あいつだけ、助けないのは、ダメだ』


『またリスクを上乗せすることになるわよ。しかもさっきよりも特大のを』


『やる』


『あーもーわかったわ。付き合ってあげるわよ。しばらく我慢しなさいよ』


 暴行される中、守人は次第にぼんやりとしつつもアニマに訴え続けた。しかし、一般人でしかない守人の体に超人的な体力はない。限界を迎えるとついに倒れた。


 その様子を見ていたマサがケニーに問いかける。


「その子を殺すのかい?」


「怪しい上に同志の仇だ。ここで粛正するのは当然だろう」


「人質の数が減ったんなら、その代わりにしてもいいと思うんだけどねぇ。ところで、この女の子を連れて戻って来たのはどうしてだい? 下の作業はどうなってるんだろう?」


「扉はまだ開いてない。電子施錠端末機キーデバイスにウイルスが仕込んであって邪魔してるそうだ。そこの女子生徒も役には立たなかったから、今度はそいつを囮にしてそれを盗ってきたやつを誘き寄せろとPJは言ってた」


「だったら、その子は殺しちゃまずいよ。あの電子施錠端末機キーデバイスを盗ってきたのはその子だから」


「こいつが?」


 頭に血が上っていたケニーが体を止めた。マサを睨みつける。


 お互いじっと目を剥け合っていたが、ケニーはぐったりして動かない守人を一瞥した。それから大きなため息をついて体の力を抜く。


「ふん。ただし、こいつは使い終わったら自分が好きにするぞ」


「異論はないね。それじゃ、その子を連れてきてくれ。こっちはもう手が塞がっているんでね」


「ちっ。おい、起きろ」


 不機嫌な顔のままのケニーは守人のつま先で小突いた。次第にその蹴り方が強くなる。


 三度ほどで守人は頭を上げた。しばらくぼんやりとしていたがゆっくりと立ち上がる。


「おら、さっさと歩け。蹴り飛ばされたいか」


「それじゃ行こうか。僕の方も速くは歩けないからね。急ぐことはないよ」


 手にした短刀をしまったマサはふらつく守人に声をかけると踵を返した。捕らえられている智代も黙って従う。


 旧北校舎に入った守人たちは校舎の階段下に繋がる鉄製の扉を開けて研究所跡に向かった。真っ暗な中、マサとケニーが点けたライトの光を頼りに進む。


 それまで研究所跡自体は一切光を放っていなかったが、地下二階に下りてある程度進むと様子が変わった。天井の電灯が点いているのだ。そして、黒い覆面をした男たちの姿が現れる。


『うわぁ、改めて直に見ると、今こんな風になっているんだ。完全に廃墟ねー』


 黙って周囲を見ながら歩く守人の中でアニマが感想を漏らした。普段なら何か言い返すところだが、体の痛みに顔をしかめる今はそんな余裕もない。


『あー、セキュリティシステムもあんまりまともに動いていないわねぇ。というか、これってどうやって電力を確保したのかしら? まさかまだ電源設備が生きていたの?』


『セキュリティ、システム?』


『この場合は研究所への侵入者を撃退するための防衛機構よ。天井近辺の壁から機関銃やレーザー銃が出ているでしょ? あれのこと。ただ、手入れをされていないからまともに動かなかったみたいね。もう潰されているみたいだから気にしなくてもいいわよ』


 ようやく反応した守人にアニマは説明した。古巣のことなので非常に詳しい。


 金庫扉の前には、守人にとって見覚えのある角刈りの厳つい顔の男が立っている。黒い覆面の男たちと一緒にいて平然としていることからその仲間であることは察せられた。


 守人を小突いていたケニーがPJに顔を向ける。


「PJ、連れてきたぞ」


「そのガキ、かなりひでーナリだな。暴れたのか?」


「校舎を占拠し人質を抑えていた同志たちがやられた。その状況の中でこいつが迷い込んできたから罰を与えただけだ」


「殺さなかったのは上等だ。おいガキ、こっちに来い」


 PJに顎をしゃくられた守人はゆっくりと前に進んだ。金庫扉の前で立ち止まるとPJに顔を向ける。


「その金庫扉の真ん中にはめ込んである電子施錠端末機キーデバイスのことを覚えているよな? お前がこの研究所跡から盗ってきたヤツだ。オレたちはそれを使ってこの扉を開けたいんだが、どーにもうまくいかねぇ。そこでだ。てめぇに開けてもらいたい」


「なんで俺なんだ?」


「そこのマサが言うには、その端末機にはウイルスが仕掛けてあるそうでな、扉をアンロックしようとすると邪魔してきやがる。てめぇが仕掛けたんじゃねぇかって疑ってんだ」


『あ、それあたしだ』


『なん、だと!?』


『あんたに移ったときに元のデータファイルを消した後、仕込んでおいたのよ。だっていつどこでどんなヤツの手に渡るかわからなかったんだもん。まぁでも、こんな廃墟みたいになっているんだったらやる必要はなかったかなー』


 意外な事実に守人は目を見開いた。目の前のPJと呼ばれた男の疑いはある意味正しかったのだ。


 驚く守人を見たPJはにやりと笑う。


「まさかマジでてめぇだってのか。わっかんねぇモンだなぁ。よし、だったら開けろ。今すぐにだ」


『アニマ、これ、どうする?』


『いいんじゃない? 開けてあげたら』


『いい、のか?』


『いいわよ。あ、開けるなら、前にやったとおり右手の三本の指をあの記号に重ねてね。後はあたしがやってあげるわよ』


 随分と気軽に申し出るアニマに怪訝な表情を浮かべる守人だったが時間はなかった。PJがマサの方に顔を向ける。


「早くしろよ。あいつが無事なうちにな」


 わずかにPJを睨んだ守人は金庫扉に向き直った。目の前にはあのときこの研究所跡から盗ってきた黒い電子施錠端末機キーデバイスがある。画面には、あのときと文面と記号が表示されていた。


 守人は一度生唾を飲み込む。それから、右手の三本の指を画面の記号に重ね合わせた。

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