黒い個人用端末機のようなもの

 鉄製の扉から取っ手を引っ張り出した守人はゆっくりとひねった。次いで引っぱると扉が開く。


「マジかよ、ここ開けられたんだ」


 ゆっくりと扉を開ける守人は目を見開いた。


 先に扉の奥に興味を示したのは明彦である。暗い中に顔を近づけて顔を巡らせる。


「中は、用具室ではないね。おや、下に向かう階段があるんだ」


「ここ部屋じゃなくて通路なのか。下はどうなってるんだ?」


 中に入った守人は興味深げに下へ向かう階段へ目を向けた。明かりが点いていないためよく見えない。


 次いで入ってきた明彦が左右の耳元の個人用端末機パーソナルデバイスから淡い指向性の光を発生させる。


「奥までは見通せないけど、近くならこのライト機能で見えるみたいだね」


「その機能もあるんだ。耳元から光ってるのか」


「そうだよ。タンスの裏に落ちた物を探すときなんかに便利だね。常に目の先を照らしてくれるから」


「なるほどな」


「守人くんの個人用端末機パソデバにもライト機能ってあったよね?」


「あるよ。あんまり明るくないけど。でも、どっかに電気のスイッチないのかな?」


 ズボンのポケットから個人用端末機パーソナルデバイスを取り出しながら守人は周囲に顔を巡らせた。しかし、壁のどこにもスイッチの類いは見当たらない。


「ないな。仕方ない。これでちょっと下の方に行ってみないか? 正直、屋上はそこまでじゃなかったし」


「ぼくもこの下には少し興味あるな。ライト機能のバッテリー残量が半分になるまで見て回ろう」


「なんで半分なんだ?」


「帰りの分だよ。たぶん真っ暗な中を進まなきゃいけないんだ。戻るときのことも考えないとね。こんな何があるかわからないところで真っ暗な中、迷子なんてイヤだろう?」


「そりゃ確かに。それじゃ出発しよう」


 声をかけた守人が先に階段を下りた。その後に明彦が続く。


 階段は旧北校舎のものと同じく何度か折れ曲がりつつ下に延びていた。五階分ほど下りた末に再び鉄製の扉が目の前に現れる。


 先頭の守人が扉を開けた。重そうにある程度引っぱると奥へ体を滑り込ませる。


「うわ、埃!? なんだここ、廊下か? きったないなぁ」


「どっちも奥へと続いているね。ゲームだといきなり選択肢を突きつけられた感じかな」


 埃に顔をしかめた明彦が左右に延びる通路らしき場所を見て独りごちた。


 周囲は全体がコンクリートで作られているようでかなり素っ気ない印象が強い。その上、全体的に薄汚れており、床には埃が堆積している。


 最後に中へと入ってきた守人も周囲を明かりで照らしつつ眺めた。見るほどに気が滅入る風景だ。しかし、床に目を向けて首を傾げる。


「あれ? 俺たちの他にもここに誰か来たことがあるのかな?」


「どうしたんだい守人くん。何か見つけたかい?」


「明彦、床を見ろよ。埃が積もってるから歩くと足跡が付くだろう。廊下のどっちの先にも俺たち以外の足跡が付いてるから、先に誰かが入ったんじゃないかなって思ったんだ」


「なるほど。鋭いね、守人くん」


「足跡はこれ、最近じゃないか? 誰が入ったんだろう?」


「先輩の誰かじゃないかな? こういうのが好きな人はいるだろうから、その人が先に来たかもしれないね」


「ということは、足跡のあるところは安全というわけか」


「確かにそうかもしれない。それじゃ、中を見て回ろうか。守人くんはどっちに進んだ方がいいと思う?」


「んーそうだな。こっちの方が足跡が多いから左にしよう。人がたくさん通った跡があるってことは面白いものがあるかもしれないし」


 異論はなかったので、二人は守人を先頭に通路の左方向に進み始めた。


 埃っぽい通路の両脇には何かしらに使っていた部屋がいくつも並んでいる。扉はどれも開いており、中には傷んだ棚や錆びた機械などが散乱していた。


 二人はすぐにどの部屋にも足跡が必ず付いていることに気付く。中には入り口から入ってすぐの所で引き返していることもあるようだが、すべての部屋も確認しているようだ。


 少し眉をひそめた守人が独りごちる。


「なんか、前に来た人は熱心に見て回ってるよな」


「よっぽどこの廃墟に興味があったのかな? そっちの引き出しは開くのかい?」


「どうなんだろう。っと、開いた。でも何にもないな」


 埃まみれのスチール製の机の引き出しを開けた守人が渋い顔をした。先程から部屋に入る度に棚や机の中身をちょいちょいと覗いている。


 成果なしの部屋を出た二人はその後いくつかの部屋を見て回った。しかし、いずれもめぼしい物はない。


 とある部屋に入る寸前に守人が漏らす。


「こう何にもないんじゃ、飽きてきたな。明彦、まだ探検するのか?」


「そろそろお開きかな。手もすっかりドロドロだよ。ほら」


「うわ、ひっどいな。まぁ俺も片手だけ似たようなもんなんだけど」


「次で最後にしよう」


 手のひらの黒さを守人に見せた明彦が近くにある部屋に入った。早速周囲に顔を向ける。


 そこには、ぼろぼろの二段ベッド、埃まみれのスチール製の机、錆びた自動販売機などがあった。明彦が最初に目をつけたのは机だ。引き出しの取っ手に手をかけて引っぱる。


「うーん、何にも、いやあるな。ほほう、これはこれは」


「え、マジで? ここに来てもしかして当たりを引いたとか?」


 明彦が引き出しの中から取りだした物を見た守人が怪訝な表情を浮かべた。つるりとした全面灰色の不透明な箱形プラスチックパッケージのような物である。


 目を丸くしている明彦はしばらくいろんな角度からパッケージを眺めていたが、今度は両手で持って振った。特に何も音はしない。


 興味深そうに見ていた守人が明彦に話しかける。


「中に何か入ってそうなのか?」


「たぶん入ってるっぽいね。中身のある重さがするし。開けるところは、ここかな?」


「開いたな。普通のパッケージなんだ。それは板型ボード個人用端末機パソデバ?」


「みたいだね。こんな昔からあるとは。どれどれ」


「ちょっと待った明彦、手を拭いた方がいい。真っ黒だろ」


「あーでも、拭く物なんて持ってきていないよ」


「俺、ウェットティッシュを持ってるぞ。先に拭いたらやるよ」


「ありがとう、守人くん」


 手を止めた明彦はポケットティッシュ型のウェットティッシュを取り出した守人に笑顔を向けた。さすがに汚れきった手で触るのはないとうなずく。


 一旦自分の個人用端末機パーソナルデバイスをしまった守人はウェットティッシュを取り出して手を拭いた。次いで濡れティッシュを明彦にも手渡す。


 パッケージの中はスポンジが詰め込まれていて、中央に黒一色の個人用端末機パーソナルデバイスらしき物が置かれていた。守人のものと同じ板型ボードだ。


 手を拭いた明彦がそれを持ち上げた。いろんな角度からそれを眺める。


「ふむ、どうも個人用端末機パソデバっぽいね。今のよりはさすがにちょっと厚くて重いけど。起動ボタンはこれかな? うーん、さすがに動かないか」


「バッテリーがゼロなんじゃないか?」


「ぼくもそう思う。外部接続の規格は、おや、これはもしかして今のも使えるかな?」


「マジで?」


 明彦が手にする黒い板型ボードに顔を寄せた守人が興味津々といった様子でそれを眺めた。確かに今の守人にとってはなじみ深い外部接続の差込口のようである。


「ここの外部接続の端末って、もしかして個人用端末機パソデバのやつと同じ?」


「たぶんそうだと思うね。この規格はかなり前からあるから、今のでも充電できるんじゃないかな。守人くんなら持ってるよね?」


「うん、板型ボードは今も使ってるから。この差込口でいいんだよな?」


「おー、ぴったりじゃないですか。これはいけそうだ」


「明彦はもう持ってないのか? 耳にインプラントしても前の板型ボードはまだ家にあるんだろう?」


 自分の個人用端末機パーソナルデバイスと正体不明の黒い端末機を見比べていた守人は明彦に顔を向けた。


 正体不明の黒い端末機を持ったまま明彦は顔をしかめる。


「いやそれがだね、実は親戚の子に譲ったんだ。ぼくが持ってたタイプはちょっとマニアックな板型ボードだったんだけど、その子がそれを気に入っちゃって。あれはもう販売が終了していたからねぇ」


「その子もマニアか何かだったのか? 人の使ったやつは使いたくないと思うのが普通だと思うけど」


「マニアだっていうのもあるけど、ちょうど使いやすかったってのが大きかったかな」


「個人データはちゃんと消したんだよな?」


「もちろんじゃないか。基本中の基本だよ。ネットの履歴も完璧さ」


「それならいいのか」


「ともかく、そんな事情だからぼくの手元にはもうないんだ。買い直すって手はあるけど、正直これのためだけにっていうのはね」


 苦笑いしながら事情を話す明彦に守人は何も言い返せなかった。ただ、仕方ないという顔をするだけである。


「ということで、これを頼むよ。充電できるか試してみて、できたら動くか確認してくれないかな。ま、最悪充電だけでもいいけど」


「わかった。家に帰ったらやってみる。動いたらいいんだけどな」


 受け取った黒い端末機をズボンのポケットに入れながら守人はうなずいた。


 話がまとまったところで明彦がすっきりした顔になる。


「それじゃ探検は終わりにしようか。ここは埃っぽくてかなわないよ」


「まったくだ。誰だここに行こうなんて言った奴は」


「ぼくの記憶だと守人くんだね。賛成したぼくは責められないけど」


「今思い出したよ」


「このパッケージはどうしよう?」


「どうするって、別にいらないだろう」


「だったら、また引き出しの中に戻しておこうかな」


「中身空っぽの箱を次に発見した奴に見つけさせるってわけか。意外と悪いな、明彦も」


「別にそういうのじゃないから」


「あっはっは、俺はわかってるよ。付き合い長いもんな!」


「いや絶対にわかってないね」


 満面の笑みでうなずく守人を見て、手にしたパッケージを閉じて元に戻した明彦が顔を引きつらせた。


 地下の探索を止めた二人は元来た道を引き返す。折り返す階段を上って鉄製の扉を開けて旧北校舎内に戻ると日差しが朱暗あかぐらくなっていた。


 再び汚れた手をはたきながら守人が明彦に声をかける。


「それじゃ帰ろうか。商店街に寄ってくか?」


「うーん、五時か。微妙な時間だね」


「だったら俺も帰ろうかな。これも早く試してみたいし」


 帰宅することに決めた守人が旧北校舎内の廊下を西側へと進んだ。端にたどり着くと窓を開けて最初に外へと出る。明彦がそれに続くと最後に窓を閉めた。


 ちょうどそのとき、旧北校舎の東端から声が上がる。


「そこの二人、何をしている!」


 声がした方へ守人と明彦は同時に振り向いた。周囲の林のせいで既に薄暗い中、二人の男が近づいてくる。


 一人は見た目は冴えない中年でよれよれの作業服を着ているが学内で見たことのある顔だ。もう一人は角刈りの厳つい顔で高身長の体格に恵まれた中年である。特徴的なのはその両目で、明らかに生身の人間のものとは違う硬質的な義眼だ。こちらは見ない顔である。


「うわ、用務員だ」


 渋い顔をした守人が呻いた。明彦も気まずそうな表情を浮かべる。


 じっとしている二人に用務員ともう一人の男が近づいて来た。パーカーにカーゴパンツという服装の男を背にした用務員が口を開く。


「二人とも、今そこの窓から出てきただろう。この校舎に入って何をしていたんだい?」


「あーそのぅ、ちょっと色々と見て回ってまして」


「色々? どんなものを見たのかな?」


 作業服を着た用務員が即座に明彦を問い詰めた。冴えない見た目だが問題を起こした生徒には容赦ないようで目をつり上げている。


 言葉に詰まった明彦が守人へと目を向けた。


 そんな二人に対して義眼の男が話しかける。


「逃げなかったのは褒めてやるが、さっさと全部吐いた方がいいぞ。見ての通りこいつは義眼でな、てめぇらがこの校舎から出てくるところをばっちり撮影できてる。後はそこの用務員サン次第なんだが、まぁそこからは想像できるだろ?」


 義眼の男のにやついた顔が二人に向けられた。それを尻目に用務員が言葉を続ける。


「僕は別に君たちを追い詰めたいわけじゃない。ここの管理を任されているから、何があったのかを知っておく必要があるんだ」


「優しいねぇ」


「ちょっと黙っててくれ。それで、中で何をしていたのかな?」


 肩をすくめておどける義眼の男に渋い顔を見せながら用務員が再び問いかけた。


 すると、守人が一歩出て口を開く。


「屋上に行って妨害電波の装置を見てきました」


「あの装置を? なんでまたそんなことをしたんだい?」


「プールの盗撮防止のためだって話は前から聞いてたんですが、プールが終わってからもずっと妨害電波を出したままだったんで何でかなって思って」


「ああそういうことか。昔、裏山からドローンを校内に飛ばして盗撮していた人がいてね、それが明るみになってからあの装置を設置したって聞いてるよ。運動着姿や授業中の様子も特定の人たちには需要があるらしいんだ」


「そうなんですか?」


「そうだよ。で、他には何かあるかい?」


「あー、あの装置、ちょっとだけ動かしちゃいました」


 気まずそうに申告する守人を見る用務員が呆れた。見てきたと言ったそばから内容がすぐずれてきている。しょぜん子供の言い訳といえばその通りだが多少ずさん過ぎた。


 しばらく黙っていた義眼の男が用務員にささやきかける。


「あんまり時間をかけんなよ」


「わかってる。まぁいい。ところで、怪我はないんだね?」


「はい、ありません」


「そんなに制服が汚れるまでこの中を歩き回っていたのは感心しないけど、無事だったんならいい。今回は大目に見て不問にするけど、もうこんなことはしちゃいけないよ」


「許してもらえるんですか!?」


「報告するとこっちも面倒だからね。ただし、次はない。いいね?」


「はい、ありがとうございます! 明彦、行こう!」


 許しを得た守人はすぐに歩き始めた。慌てて明彦も後を追う。


 無言で歩き続けていた二人は、教室のある中校舎の手前までやってきてようやく全身の力を抜いた。

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