普通の高校生たち

 県立月野瀬高等学校は日本の関東圏にある高校だ。県内では中程と評価されている。西側に広がる山を裏山として他を住宅街に囲まれていた。そのため、学校の周囲は境界を示す壁の内側に沿って木々が植えられている。真隣に建つ住宅のプライバシー対策だ。


 一見すると特徴のないこの高校でも朝の事情は他の高校と変わらない。毎朝ホームルームの時間が近づくにつれて正門をくぐる生徒の数は増えていく。


 そんな賑やかな正門を一人の少年が走って通り抜けた。直後にその足を緩める。


「はー間に合ったぁ!」


 少し幼い顔つきの少年はブレザータイプの制服の赤いネクタイを緩めた。暦では十月だが涼しいというにはまだ気温が高い時期である。


 少年はズボンのポケットから個人用端末機パーソナルデバイスを取り出した。かつてあったスマートフォンという電子機器と同じ薄い板型ボードだ。休止状態から起動させると半透明のデジタル時計が画面から浮かび上がる。時刻は八時半だ。


 満足そうに鼻から息を出した少年は手にしたそれをポケットにしまう。そのまままっすぐ西に歩いて教職員のための東校舎の脇を通り抜けた。


 二年生の教室がある中校舎に入ると少年は二階に上がり、西から二番目の教室へと向かう。中には既に何人もの生徒がいた。その中の一人が声をかけてくる。


裏神うらがみ、おはよう!」


「おはよう」


 裏神と呼ばれた少年は鞄を持ったまま自分の机に鞄を置いて席に座った。走ったせいで額に汗が滲んでいる。


 そんな少年に近づいてくる女子生徒と男子生徒がいた。気配に気付いて顔を向ける。


「おはよう。智代ともよ、なんかやけに嬉しそうじゃないか」


守人もりとくん、やっぱりわかる? わかっちゃう? うふふふ!」


「朝っぱらから気持ち悪いなぁ。明彦あきひこ、こいつ登校中にどっかで頭でもぶつけたのか?」


「違うんだなぁ、それが。実は」


「待って、私が自分で言うから! 実はね、個人用端末機パソデバをインプラントしたのよ、ほら!」


「マジかよ!?」


 目を剥いた守人が改めて智代に顔を向けた。背が高く、セミロングの髪の毛を背中に流した美人系の顔に満面の笑みを浮かべている。今やすっかり見慣れた顔だ。


 その顔を横に向けて、智代が髪をかき上げて右耳を見せてくる。よく見ると耳の根元にかすかな金属の光沢があった。肌の色と同じなので見分けにくい。


「もしかして、耳元の金属みたいなやつか?」


「その通り! この前の土曜日にやっとインプラントしたのよ!」


 嬉しそうに笑う智代が今度は左耳を守人に見せた。ちょうど眼鏡をかけると当たる部分に右耳と同じ鈍い金属の光沢がある。


 それを見た守人は羨ましそうな表情を浮かべた。同時に悔しそうな目を向ける。


「なんだよそれぇ。お前そんな話してなかっただろう」


「守人くんを驚かせようと思って黙ってたの! その顔が見たかったわ!」


「ひっでぇなぁ。学年が上がるまでインプラントしないって思ってたのに」


「お小遣いを貯めてるだけだったらその通りだったわね。けど、色々とやってちょこちょことお金を稼いでいたから」


「何やってたんだ?」


「いらなくなった電子機器ガジェットを売ったり、テック記事を書いたりかな」


「前にそんなことをしてるって言ってたな、そういえば」


「そうよ。それで先日ようやくお金が貯まったから、病院に予約して二日前に取り付けてもらったの。そしたらどう、世界が変わったわ!」


「どう変わったんだ?」


「いちいち指で操作しなくてもよくなったのが一番大きな変化ね。音声入力だって人混みの中じゃうるさくて使えなかったけど、脳波を受信して操作するんだからもう関係ないわ。思っただけで操作できるのよ。これが便利でね! 他にもいちいち板型ボードの画面を見なくても良くなったのも嬉しいわ。耳元から目の前に画面や映像を投影してくれるんですもの。しかも顔をどこに向けても絶対にブレない! これを知ったらもう板型ボードには戻れないわ! 全人類はみんなインプラントすべきなのよ!」


「なんか変な宗教にはまったみたいな言い方だな。けどいいなぁ。うちなんて、高校卒業してからでも遅くないって止められてんだよ」


「あ~あるわよねぇ、そういう家。私のところなんて便利なんだから使えばいいじゃない、だから。いや本当に良かったわ!」


 私は今幸せの絶頂期ですといった様子の智代が熱心に語った。


 その隣で話を聞いていた明彦が口を挟んでくる。


「藤山さん、それでもう使いこなせるようになったのかい? 脳波で直接操作するって最初は慣れないだろう」


「最初はね! 日曜日の午前中なんてストレスMAXだったわ! けど、夕方頃にはコツを掴めたから今じゃこの通り!」


 上機嫌な智代が言葉を句切ると、その笑顔の三十センチくらい先に半透明の画面が表示された。両耳の付け根辺りがかすかに光っているのも見える。


 画面に表示されたのは有名なポータルサイトだ。次いでリンク先の一つから拡大された立体映像のニュースが流れ始める。音声は智代の耳元にかすかに聞こえる程度だ。


 一通り操作してみせた智代が自慢げに明彦を見やる。


「どう?」


「おお、早速使いこなしているね。大したものじゃないか」


「でしょう! もう達川くんに大きな顔はさせないんだから!」


「くっくっく、そうかい。でも、これはどうかな?」


 挑戦的な笑みを浮かべる智代の言葉を明彦は余裕の表情で受け流した。そうして両耳の付け根辺りをかすかに光らせると、自分の顔の前に半透明の人物を立体表示させる。


 もちろんその姿は守人にも智代にも見えた。袖は手首まで丈は足首まである黒いドレスにフリルのないシンプルな白いエプロン、それに黒い靴を履いたメイドである。


 金髪を後頭部にまとめた頭をカチューシャで飾ったそのメイドは反転して守人と智代に向き直った。そして、両手でスカートを少し持ち上げて頭を下げる。


『初めまして、クラリッサと申します』


「なっ! もしかして、フェアリーナビ!?」


 言葉の出なかった守人に変わって目を見開いた智代が叫んだ。


 フェアリーナビとはフェアリーナビゲーターの略称で、個人用端末機パーソナルデバイスの利用者を支援するAI搭載の電子ナビゲーターのことである。電子機器、ネットワーク、その他の機械などを利用するときに事前準備、支援実行、結果のフィードバックを行うのだ。データが蓄積されると阿吽の呼吸で支援してくれる。


 名称の由来は、発表当初のイメージホログラムが昆虫の羽が生えた小さな妖精ことからこう呼ばれるようになった。


 不敵に笑う明彦に智代が顔を引きつらせる。


「それって結構高くなかった? 達川くんが個人用端末機パソデバをインプラントしたのって去年の春よね。いくら必死でアルバイトしてもそんなお金は、あれ、もしかして貯められる?」


「鋭い指摘だね、藤山さん。実を言うと、ぼくは中学生のときからバイトをして少しずつ貯金をしてたんだ。そのお金が先月ようやくフェアリーナビを買えるまで貯まったのさ」


「なんですって!?」


 顔の目の前に半透明なクラシカルメイドを立体表示させた明彦を見ながら智代は固まった。フェアリーナビゲーターを使っている高校生は少ないので周囲も明彦に注目する。


 守人は二人の様子を羨ましそうに眺めていた。しかし、ふと気付いたことを口にする。


「明彦、この学校ってバイトできたっけ? それに中学のときは禁止されてたよな?」


「父さんの趣味を手伝ってお金をもらっていたのさ。小学生のときにネットでフェアリーナビの存在を知ってから、ぼくはこの子を手に入れるために頑張ったんだ!」


「小学生のときってどんだけ業が深かったんだよ」


「そういや達川くんってそういうの好きだったわよね」


 守人のつぶやきに智代が続いた。三人は中学で出会ったが、この四年半でお互いの性格は大体把握している。二人はそれを思い出した。


 そんな友人二人の少し引いた視線を気にすることなく、明彦の口調は早くなっていく。


「でもね、ぼくの目標はまだ道半ばなんだよ。クラリッサを手に入れたその次はVRシステムを手に入れることなんだ」


「VRシステム? あの仮想空間に入ってゲームとかするやつか?」


「あれって結構値段に幅があるわよね」


 話を聞いていた二人は顔を見合わせた。現在買えるVRシステムは、バイザーグラスタイプの簡易的なものからカプセルタイプの本格的なものまで広くある。


 二人の戸惑う姿を見た明彦がにやりと笑った。歪んだ口から声高に宣言する。


「もちろん完全没入型フルダイブタイプ一択だね! これでないとぼくの目標は達成できないんだ!」


「ちなみに、その目標ってなんだ?」


「それはここではちょっと」


 つい先程まで力強く喋っていたいた姿が嘘のように、明彦は守人から顔を逸らした。ただ、美少女フェアリーナビゲーターとVRシステムと聞けば守人も大体想像できる。


「そういう話はネットで見たことがある。ていうか明彦お前、あれ目指してんのか?」


「守人くんはわかったかい? そうなんだ。クラリッサを理想の美少女に育て上げて、ゆくゆくはVR空間で屋敷を構えて本物のご主人様とメイドの関係になるんだよ」


「結局喋ったな。でも、なんか思ってたよりも深い沼ディープっぽい? ともかく、VRで本物ってのも変な話だけど、それってどんな関係なんだ?」


「朝はベッドで寝ているぼくをクラリッサが優しく起こそうとするんだけど、ぼくはすぐに起きなくてクラリッサを困らせてしまうんだ。薄目を開けてその困った顔を見てぼくは内心で喜ぶんだけど、あくまで寝たふりをしたまま何度も体を揺すられているとそのうち気付かれて怒られてしまう。ごめんって謝りながら起きたぼくだけど、怒った顔もかわいいなって見とれていたらすぐにばれちゃってまた怒られちゃうんだ」


「わかった、聞いた俺が悪かったからちょっと黙ってくれ」


「なんだよ、まだおはようのところも語れてないじゃないか」


「お前はどこまで語るつもりだったんだ」


「無論お休みまでに決まってる」


「やっぱりこいつの業は深すぎる」


 早口で語る明彦を見た守人は顔を引きつらせた。ある程度は明彦のことをわかっていたつもりでいたが、それが間違いであったことを内心で認める。それにフェアリーナビゲーターとVRシステムと聞いて想像した内容と話が全然違った。


 自分の手には負えないと悟った守人は智代に助けを求める。


「おい、智代、お前もなんか言えよ。放っておくとまた喋り出すぞ」


「そんなこと言われてもね。正直どうでもいいっていうか」


「藤山さんもお嬢様と執事だったら喜ぶんじゃないかな?」


「人を同じ沼に引きずり込もうとしないでよ。私にそういう趣味はないんだから」


「くっくっく、果たしてそうかな?」


「そうよ。そいうの実際に見たことあるし、なんなら執事を雇ってる本物のお嬢様だって知っているもの」


「なんだって!?」


「マジかよ」


 思わぬ切り返しに明彦は目を見開き、守人は呆然とした。


 そんな二人を見て智代が呆れたような苦笑いするような表情を浮かべる。


「私のお父さんがテック系企業の幹部だってのは知ってるでしょう? その関係でたまに上流階級の人たちのパーティに行くことがあるのよ。そこで知り合った人のお屋敷に行ったらまぁすごいこと。漫画や映画かっていうような世界が現実に広がってて驚いたわ」


「執事がいるということはメイド、メイドはいたのかい!?」


「落ち着いて達川くん、怖いわよ。そこのクラリッサみたいな格好の人はみかけたことはなかったわね。家政婦だったらいたけど」


「なんてことだ。現実はかくもぼくに厳しい!」


「ああもう泣かないの。達川くんのところだってお金持ちなんだから、そんなにほしければ雇えばいいじゃない」


「ぼくの父さんと母さんはそういうのに興味がないんだ。家政婦はいるけど」


「後はメイド服を着せるだけなのにね~」


「でも来てくれてるのはお婆ちゃんの家政婦だし、ちょっと」


「あーでもそこは俺もちょっとわかるかも」


 思わず守人が口を挟むと笑みを浮かべた明彦にうなずかれた。


 一方、そんな男二人を見た智代が呆れる。


「いやーねぇ、若い子にしか興味ないだなんて」


「けど智代、さすがにお婆ちゃんはないだろ。せめて上限は熟女くらいでないとなぁ」


「熟女かぁ。ぼくはそれも遠慮したいなぁ。母さんと同じ年代だと思うとちょっと。せめてお姉ちゃんくらいで」


「そう言われると俺もそう思えてきた。ちなみに明彦、お前って姉ちゃんいたっけ?」


「一人っ子だよ。だからぼくは姉とか妹という存在にちょっと憧れみたいなのはあるかな」


「クラリッサはどういう設定なんだ?」


「よくぞ聞いてくれました! クラリッサは十八歳、ぼくよりも一つ年上なんだけどまだ仕えたばかりだからお互いのことをよく知らなくて手探り状態で距離を測っているところだよ。ただ、彼女はプロ意識がすごくあって身の回りの世話は完璧にしてくれるからなにも問題はないね。たまにちょっとした間違いをするけどまだ慣れてないから仕方ないし、そこがかわいいところでもあるんだけど」


「お前それいつまで喋るつもりなんだ?」


「くっくっく、もちろんいつまでも喋れるね」


 顔の脇に半透明のクラリッサを立体表示させた明彦が不敵に笑った。


 その無表情に佇むフェアリーナビゲーターをちらりと見た守人は顔を引きつらせる。本当に入れ込んでいるのがよく理解できた。


 二人の会話を聞いていた智代が呆れる。


「まぁ別に、きちんと買った技術ものをどう使うかは人それぞれだけど、できればもうちょっと高尚なことに使ってほしいわね」


「クラリッサとのプラトニックな関係は高尚じゃないか」


「そもそもフェアリーナビ相手に何もできないもんな」


「二人とも、私の言いたいことはそいうことじゃないんだけどなぁ」


 まったく話が通じていない友人二人をみた智代は天を仰いだ。


 そのときチャイムが鳴り、同時に小柄で可愛らしい顔の教師が入ってくる。


「はーい、みんな座ってー! 藤山智代さーん、号令よろしくー!」


「あ、常磐先生!」


 担任教師に呼ばれて慌てた智代と同時に明彦も自分の席に戻っていった。


 教室内が慌ただしくなる中、守人はため息をつく。智代の小言は最小限で済んだ。


 智代の号令で生徒全員が立って常磐教諭に礼をして守人は着席する。今日の昼休みはどうしようかと考えながら常盤教諭の話に耳を傾けた。

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