2 護衛騎士の裏切り

 屈強な護衛騎士の力なら、痩せっぽちの女をひとり突き飛ばすなんて朝飯前なんだろう。


「うっ!」


 弱り切った身体では咄嗟に受け身を取れず、どん! と床に身体を打ちつけて息が止まった。


 ――え。うそ。今、突き飛ばした?


 唖然としてマルコを見上げる。マルコは私に一瞥もくれないまま、胸に手を当ててアルベルト様に必死で訴え始めた。


「殿下、誤解です! 私は仕事なのでこの女を護衛していたまでです!」


 はあっ? 「いつもお務めご苦労さまです」と微笑んでくれたマルコが、「この女」? なにこの手のひら返し。


 アルベルト様が、目を細めながら底意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「その言葉が本当ならば、ルチアを国外まで送り届ける任務を授けようではないか」


 アルベルト様が、ロザンナ様を愛おしそうに見つめながら微笑む。あっ、ロザンナ様のニヤつきが一瞬で消えて、泣き顔になってる! うっわあ……。

 

「私はロザンナと婚約する。我が最愛のロザンナについて、祈りを捧げていないだの聖力の再検査をしろとか、随分と失礼なことを言っていたらしいな、ルチア」


 確かに言った。このままだと拙いですよって意味で、散々訴えた。一切聞いてもらえなかったけど。


「アルベルト様、ですがそれは――」

「黙れ!」


 ビクッとして黙るしか、できなかった。元々人の話をあまり聞かないアルベルト様だけど、今は完全に頭に血が上っている。しかも正義の自分に酔っているから、私の言葉なんて届かないだろう。


 ――勝手に聖女だと拉致してきた癖に、これだ。


 色々と強引だなあとは最初から思っていたけど、養父母のことを思い耐え忍んできた。辛い祈祷だって必死でこなしてきたのに、あんまりじゃないか?

 

 国の安寧を毎日祈り、聖女の加護を国土に降り注いでいたのは、間違いなく私なのに。


 瘴気の発生を抑える祈祷は、体内の聖力をごっそり奪っていく。だから、祈祷の後は気絶してしまう。倒れた私を寝台まで運ぶのが、護衛騎士マルコの役割のひとつだった。


 聖力が回復して目が覚めるのは、外が暗くなる頃。空腹と喉の乾きに耐えられなくなり、気合いで起き上がる。無理やり食事を詰め込んで、再び死んだように寝るだけの日々。お陰で私の身体はいつまで経っても貧相なままだ。ピチピチな乙女の筈なのに。


 それでも、瘴気溜まりから生まれる魔物の驚異から国民を守る為、ずっと努力してきた。決して裕福ではない養父母の家に仕送りしてもらえるとも聞いて、踏ん張ってきた。


 ようやく新たな聖女が現れたと聞いて、助かったと思った。このままでは、遅かれ早かれ死にそうだったから。


 なのに、ロザンナ様が祈りを捧げても、私の負担はちっとも減らなかった。ひと月経っても、半年経っても。


 最初は、彼女の聖力が少ないのかと思った。だけど彼女は、私が精根尽き果てて臥せっている間、元気にアルベルト様との親交を深めていたらしい。


 いや、ちょっと待て。私の負担はちっとも減ってないんだから、意味分かるよね?


 これはおかしいと、何度も王族の方々には話そうとした。だけどみんな、聞いてくれなかった。


 顔色が悪くて精気のないガリガリ聖女よりも、美しくて明るい美人の聖女の方が受けがいいらしい。


 頑張ったのに。苦しかったのに。


 しかも、唯一の心の支えだったマルコですら、保身の為にあっさりと私を裏切った。


 そりゃあ、貴族が平民に落とされるのは嫌かもしれない。でも市井で暮らしていた私には、「それがなに?」状態だ。これだから貴族のお坊ちゃんは。


 ぐったりと疲れてしまい、ぼんやりとマルコを見上げていると、マルコが辛そうにフイッと目を逸らした。――多少なりとも罪悪感はあるらしい。


 私たちの様子を見て、アルベルト様が愉快そうに告げた。


「騎士マルコ。お前が持って帰るの内容如何によっては、私の専属護衛へ取り立ててやろう」


 マルコの身体が、びくりと小さく揺れる。


 手土産――。じわりと嫌な予感が忍び寄ってきた。待ってよ、それってつまり……。


「――はい、必ずや」


 低いマルコの声が、会場内にいやに大きく響いた。

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