第2話「きっかけ」

 編み物を始めたきっかけはなんとなく。

 毎年町が雪で覆われる前になると本屋で暇つぶし対策用の本を大量に買いに行く。

 その際、新作コーナーの棚に置かれてあったとある本に目が吸い寄せられた。


『誰でもできる』

『実はカンタン! あみもの!』

『初心者でもこれ一冊で十分!』


 太字でそんなことが書かれた帯を纏った編み物指南の本。

 趣味のコーナーに置かれてあったものの中でそれだけが一際目立って見えた。

 ふとそれを手に取ってみる……おや?


 ――なんか、ピタッと本が手にくっついたような。


 パラ―っと最初の方のページだけ見てみる。

 そして雪が降ると暇だしなーとか考えだす。

 昔から運動苦手のインドア体質。冬になると外出する理由は極力作らないように過ごしてきた。小さい頃は家でテレビがメイン。中学ぐらいから去年の冬まではずーっと読書がメインであとはテレビテレビテレビ。

 本はそれなりの量を買っても一冊読み切るのに三日もかからない。

 すぐに読み切ってしまい、冬の後半になれば暇になってテレビをぼんやりと眺めていつの間にか寝ていることの方が多くなる。おまけにここ最近のテレビは学生時代に観ていたのと違ってドラマもバラエティもあまりおもしろいと思うものがないから退屈な時間が多い。

 それなら新しい冬の過ごし方として選ぶかということに。愛をこめて旦那の手袋でも作ってやろうなんて柄にもないことを思って。

 本を購入後は早速近くにある手芸店へ。

 本に書いてある揃えるべき道具を確認し、ひとつずつカゴに入れていく。


 ――糸は緑色にするか。


 旦那の好きな色。でも明るめ暗めと色々ある。糸の種類もたくさん。

 本に書いてあることを参考にし、ちょっと迷った後にこれにするかと思って落ち着いた濃い目の緑を手に取る。

 そこで「佐藤さん」と意外な人に声をかけられた。

「こんにちは」と、パァーっと太陽のような笑顔で私を捕まえたのはご近所さんAこと渡辺美里香ちゃんだ。

「美里香ちゃんだ。こんにちはー」

 若い女の子らしくおかっぱボブの黒髪が似合う細くて小柄な彼女は私と同じ専業主婦。

「ここで会うなんて初めてですね」

 そんな彼女。なんと今年で22歳。この若さで妊娠と出産を経験している。主婦歴は私より圧倒的先輩。

 そして先輩らしく年上の私が見習わなければと思うほどに彼女は社交性が高く人柄も良い。今の若い子はあまり地域に溶け込まず集団にくっつかないイメージがあったけど、この子は逆だ。町内会の集まりも積極的に参加するし、いつも明るく誰にでも分け隔てなく元気な挨拶をしてくれる。

 そしてそんな彼女がここにいるのと水色の編み糸を持っているのが引っ掛かる。どうやらこっちの世界まで先輩なようだ。


「佐藤さん。編み物始めたんですか?」

「そう。今日からの初心者。なんとなくやってみようかなーって」

「そうなんですね」

「美里香ちゃんが編み物やってること全然知らなかった」

「実は結構前からやってました」


 ムフフとどや顔。若いというだけで編み物なんてやったことないだろうと勝手に思い込んでいた私は見事なカウンターを喰らう。


「どんなの作ってるの?」

「今は息子に靴下編んでます。うちの息子冷え症なので」

「冬は足先がすごい冷えるって言ってたね」

「そうなんです。寝るときなんか毎晩湯たんぽ常備です。佐藤さんはデビュー作何にされるんですか?」

「初心者は小さな小物からって本に書いてあるんだけど、思い切って手袋から作ってみようかなって」

「あ、私もデビューそれでした。五本指タイプですか?」

「ううん。ミトンタイプ。その方が簡単に作れるって本に書いてあったから。美里香ちゃんは五本指から始めたの?」

「私もミトンからです。五本指は一昨年に旦那と息子用作って去年に自分用を作りました」

「すごい。全部一人でいちから?」

「いえ、教えるのが上手い先生に基礎からしっかり教えてもらってました。ラッキーなことにご近所さんなんですよ」


 そう話した途端、にこーっと彼女の笑顔の濃度が濃くなる。

 ……なんだろう。そんなに私が編み物を始めるのが良かったのだろうか?


「今では教えられるくらい上達したので、良かったら私教えますよ」


 そしていつも以上にこちらへグイグイ。


 ――うーん……それは嬉しいけど美里香ちゃんには最初から最後までは頼めない。


 子供のいない私と違い、彼女は育児に家事と色々忙しい。


 ――それに自分だけでやりたいというのもある。


「ありがと。でもまずは自分でやってみたいかな。詰まったときにお願いしてもいい?」

「喜んで」と微笑む彼女。お願いするときは彼女が忙しくないときにしよう。

「そのときは遠慮なく言ってください。私いつでも教えに行きますから」


 そんな彼女と別れ、道具を買って店を出る。

 そしてこの日は運悪く他のご近所さん(それもお喋りな人)とも遭遇。その結果私が編み物をスタートしたことがご近所さん達に知れ渡ってしまった。

 ほんと田舎だなぁと、情報が回る早さに小さくため息。

 雪国と呼ばれる私の住む小さな町は退屈で暇を持て余す主婦やお年寄りが多い。一人で過ごすことが好きな私と違ってご近所さん達はいつもどこかで集まっては数時間もおしゃべりに没頭するというのが日常。

 どういうわけか話のネタはテレビの内容よりも地元の話ばかりが盛り上がる。将棋やボクシングで前代未聞の偉業達成や海外で活躍する野球選手の話題よりも私が編み物をスタートさせた話の方が盛り上がってしまうのだから困る。

 そして噂が広まると、思いもよらぬ人からも声を掛けられるようになる。

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