第10話 終わりは突然に



 残された琉唯は香苗の遺体に目を向けて、うっと吐き気に襲われた。頭が状況を理解しようとしているようで、胸の奥底から這い上がってくる感覚に口元を押さえる。それでも目を離すことができず、まじまじと観察してしまう。


 隼は香苗の首元に残る絞殺痕を巻かれた縄に当てていた。ぴったりと太さが合うのをみるに凶器はこれで間違いなさそうだ。嗚咽を吐きそうになりながら琉唯は彼女の周囲を見渡す。


 フリルのあしらわれたブラウスに乱れはなく、争った形跡というのはない。ふと、目に留まった胸元が湿っているように見えて琉唯は触れた。



「濡れてる」

「水分か」



 琉唯の気づきに隼が近くを探すも、飲み物の入ったペットボトルなどは見当たらない。飲料水を零したのでなければこの濡れた服はどう説明すればいいのか。あれと琉唯が違和感に気づいた。



「ペットボトルが一つもないの、おかしくないか?」



 琉唯の記憶では辰則が昼食を持っていった時に香苗はペットボトルの飲料水だけを掴んで部屋に閉じこもったのだ。だというのに、それすら残っていないのはおかしい。琉唯の指摘に隼はふむと顎に手をやった。



「ペットボトルを残してはいけない理由が犯人にはあったと」

「なんだろう?」

「例えば、薬を仕込んでいた可能性」



 睡眠薬のようなものを飲料水に仕込み飲ませ、香苗を眠らせることに成功すれば、何の抵抗もなく殺害することができるかもしれない。飲料水が転がっていれば、警察が調べればすぐに特定できる。


 特定されないために回収したというのが一番、考えられるのではないだろうか。隼の推測に琉唯は「全てのペットボトルを回収する必要はなくないか?」と疑問をぶつける。


 薬の入ったペットボトルだけを回収すればいいのではないかと問えば、隼は「それができなかったのだろう」と答えた。



「何らかの原因でペットボトルが転がり、薬の入ったものとそうでないものが触れてしまった。拭き取るだけでは不安だったのだろう」


「転がったら床が濡れてないか?」

「あの短時間だと……彼女の荷物からタオルを取り出して拭いたか」



 香苗の荷物からタオルを取り出して拭き、ペットボトルと一緒に回収しておけばいい。隼は「まだ処分しきれていないだろう」と証拠が隠されているのではないかと推測した。


 隼の推理を聞きながら横たわる香苗を見つめていた琉唯はあっと声を零した。彼女のスカートに隠れるようにクマのキーホルダーが落ちていたのだ。何処かで見たことあるなとそれを手にしてみる。



「これ、どこかで……」

「見覚えがあるのか?」

「うん。えっと、確か……墨田くんがスマホにつけてたキーホルダーだ!」



 思い出したと琉唯はリビングルームから出ていく時に取れかかっていたクマのキーホルダーのことを隼に話す、辰則のもので間違いないと。


 これが落ちていたということはもしかして、彼がと琉唯は言葉にしようとしてやめた。隼が黙って遠くを眺めているのを見て。



「隼?」

「ひとまず、俺たちも一階に下りよう」



 他の人の様子が知りたいという隼に琉唯も健司の様子を思い出して、また何か揉めていないか不安で急いでリビングルームへと戻る。


 階段を下りれば「健司、落ち着け」という浩也の声が耳に入った。「落ち着けるかよ!」という怒声は扉の向こうからでも響く。



「こんな状況で落ち着いていられるかよ!」

「だからって、ここで取り乱してどうすんだ!」

「ひろくんの言う通りですよ!」



 苛立ったように頭を掻きむしる健司になんとかフォローを入れる千鶴と浩也だが、彼は段ボールの上に座りながらも落ち着きなく足を揺すっていた。辰則から目を離さずに睨らみながら。


 陽子と優子はダイニングテーブルの椅子に座っているがペットボトルを持つ手が震えている。辰則は健司の眼に怯えてか部屋の隅で縮み上がっていた。戻ってきた琉唯たちに視線が冷たく刺さる。



「これは君のモノで間違いないだろうか?」



 そんな視線など気にも留めずに隼がクマのキーホルダーを見せれば、辰則は慌ててポケットに仕舞ったスマートフォンを取り出した。紐がぶつりと切れているのに気づいて彼は顔を青くさせる。このキーホルダーは間違いなく辰則の物だ。


 何処に落ちていたと聞きたげな顔に「佐々木香苗の遺体の傍に落ちていた」と、彼女のスカートに隠れるようにしてあったと隼が説明すれば、健司が「やっぱりお前が!」と彼に殴り掛かる勢いで立ち上がった。


 飛び掛かる前に浩也が羽交い絞めにして止めるけれど、健司は離せと暴言を吐きながら暴れる。



「えっと、墨田くんが犯人ってことなの?」

「違う! オレは何もやってない!」



 千鶴の言葉に「佐々木なんて殺してない!」と辰則が叫ぶ、その瞳からは涙が溢れそうだ。自分に向けられる疑いの眼に耐え切れないといったふうに。


 否定をされたとて、信用してくれるとは限らない。皆が皆、警戒しているのはその視線で伝わってくる。現場に落ちていたクマのキーホルダーが彼が犯人なのではないかと知らせているように見えて。



「彼が犯人と決まったわけではない」



 水のように冷ややかに、落ち着いた声が空気を裂く。辰則に向けられていた眼が隼へと移る。彼は動揺することも、睨むようなこともしていない。ただ、周囲を見渡す眼は猛禽類が獲物を探すように鋭い。



「これは出来すぎている」

「出来すぎている?」



 言っている意味が分からずに琉唯が首を傾げれば、隼は「俺にはそう見える」と返して一つと指を立てる。



「まず、犯行時間だ。確かに墨田、君が最初にリビングルームを出て行った。けれど、それから陽子さんと優子さんも二階に上がっている」



 辰則の後に優子、それに続くように陽子がリビングルームを出ている。その間の時間は多く見積もっても十数分だ。その間に人を殺害することができるのか、まずそこが気になる点だ。



「次に墨田は佐々木香苗に警戒されている。昼間に二人が口論しているのを俺と琉唯が目撃した。優子さんたちに報告している」



 香苗は辰則に「あんたでしょ、隆史先輩を殺したの!」と警戒心を露わにしていた。そんな人物が夜に部屋を訪れて扉を開けるだろうか、次に疑問に感じる箇所だ。


 自分ならどうだろうかと琉唯は想像してみる。疑っている人物が夜に一人で部屋を訪れた――扉は絶対に開けないなと結論が出た。どうあっても、会いたくはないし、部屋から出たくもない。



「貴方ならそんな相手が夜に一人で訪ねてきて扉を開けるのか?」



 隼の問いに健司は黙る、彼も琉唯と同じ考えに至ったのだろう。「じゃあ、誰なんだよ」と浩也に掴まれた腕を振り払った。



「一つ、可能性があるのだが……」



 そう言って隼がある人物に目を向けた――瞬間だった。



「うっぐっ」

「陽子っ!」



 口元から吐き出される鮮血がダイニングテーブルを汚す。陽子は口を押さえて見開いた眼で優子を捕らえながら倒れ、ごぽっと血が口から溢れると動かなくなった。



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