第5話:希少なお菓子とまた今度

 イリーナが慌てて身嗜みを確認している様子を、同僚二人はニヤニヤとした表情で見つめている。

 だが、いきなりのことで混乱しているイリーナは、二人の反応を無視して、寮の方へ走り出す。


「いきなり訪れてすまない」


 肩で息をして門前に到着したイリーナの目には、馬と何人かの侍従を伴わせている第二王子の姿が写る。

 他のメイドたちが緊張感を露わにしている中で、イリーナは胸に手を押さえて、何度も深呼吸をして混乱を落ち着けていた。

 

「殿下こそお忙しい中、わざわざお越しになさって……」

「こっちから来たことだ。気にするな」

 

 イリーナは最大限の敬意を持ってお辞儀をし、エリクは堂々とした様子でそれに応じる。

 朝よりも厳かなオーラを纏う様子に、イリーナは国民として惹きつけられると同時に、何か不敬を犯したかもしれないと不安を駆り立てた。


「エリク殿下、ウチのイリーナが何か粗相でも…… ?」


 威厳ある空気感のエリクを前にして、耐えきれずに寮長がそう口にする。

 こういうアクシデントの時にいつも居合わせるイリーナの同僚二人も、今回ばかりは近くに影を残していない。

 それが、イリーナの持つ、二人を巻き込みたくない気持ちと、不安を和らげたい気持ちで矛盾を生じさせた。


「サンデル。例のものを」

「かしこまりました」


 エリクは側近のサンデルから上質な紙でラッピングされた小箱を手渡されると、イリーナに向かってゆっくりと近づく。

 

「これは今朝の礼だ。受け取ってほしい」

「えっと……」


 いきなりのことで頭が追いつかないで硬直しているイリーナが、じっとエリクのことを見つめている。

 イリーナの態度にエリクは、どこか気まずそうな表情を浮かべて視線を逸らす。


「サンデリアのフィナンシェでございます。紅茶のお供に是非」


 サンデルが畏まった態度で、イリーナへお辞儀をして小箱の中身を説明する。

 王都でも有名なパティシエが作り出すスイーツは、滅多に手にいれることの出来ない非常に人気の高い商品だった。


「こんな希少なものを頂いても宜しいのですか?」

「お礼として渡したものだ、遠慮することはない」

「あ、ありがとうございます……」


 王都の女子全員が憧れるような希少なお菓子を落とさないように、イリーナは小箱をギュッと抱きしめる。

 イリーナはオレンジ色の瞳を輝かせて、胸元にあるお菓子を見つめていた。

 あまりの嬉しさに、イリーナはニマニマとだらしない表情を浮かべてしまう。

 

「ここまで喜んでもらえるなら、渡した身としても嬉しい限りだ」

「ありがとうございます!美味しく頂かせてもらいます!」

 

 花が咲いたような表情でイリーナは、エリクをじっと見つめてお礼を口にする。

 その様子にエリクの強張っていた頬が少しだけ緩む。


「そういえば、イリーナは毎朝あの辺りにいるのか?」

「いえ。今日はヴァイオリンの音が聞こえてきたので、たまたまそこに行きましたが、普段はワイン庫付近の道を歩いています」

「そうか。また、気が向いたらそこに足を運ぶよ」


 エリクはそう口にして、踵を返す。


「突然押しかけてすまないね」

「こちらこそ、わざわざこんな貴重なものを頂いて……本当にありがとうございます」


 イリーナは黒地に白いフリルのついたスカートをつまんで、深々と頭を下げる。


「ああ、また今度」


 馬上にいるエリクはイリーナの方へ片手を振ると、力強く大地を蹴る音がメイドの寮前に響き渡った。


「お忙しい中、わざわざありがとうございました」


 勢いよく吠える馬が夕暮れの王宮を駆け出す。

 イリーナは夕焼けのように温かさを保つ赤褐色の髪を風に靡かせて、エリクのことを見送る。

 馬の足音が徐々に遠のくに連れて、イリーナの立つ場所も平凡なメイド寮へ戻っていく。


「イリーナ。本当にびっくりしたじゃない」


 いつも通りに仕事をしようと腕を伸ばすイリーナに、寮長が胸を撫で下ろしてホッとため息をついて話しかける。


「冷徹王子なんて噂される方が突然こんなところにやってきたんだから」

「お騒がせしました」

「特に大きなお咎めはなかったから今回は不問にするわ」

 

 寮長は目を細めてイリーナのことを見つめて、仕方なさそうに口にした。


「ただし、その中にあるお菓子は一個位分けてもらっても、私にバチは当たらないわよね?」

「はぁい」


 イリーナの脳内にあった、貴重なお菓子を1週間ほど食べ続ける優雅なスケジュールがたった一言で崩れてしまう。

 残念そうに小箱を見つめるイリーナの元へ、騒がしい足音がドタドタと近づいてくる。


「イリーナ! もちろん私にもくれるよね」

「私たちは友達。ベストフレンド」


 図々しく胸元にある宝箱の中身を求める同僚二人に、イリーナは苦笑を浮かべた。


「仕方ないわね。みんなで美味しくお茶会するのに使いましょう」

「さすがイリーナ。話が分かる」

「イリーナさん優しい!大好き!」


 自分の美味しいお菓子が減ってしまうことに、イリーナは残念そうに小箱を見つめる。

 それでも、ドヤ顔を浮かべて満足げに頷くハンナと、現金な態度でイリーナに抱きつくフィオネの様子から、みんなで楽しくお茶会をする様子が思い浮かんだ。


「みんなで食べるのが、楽しみだわ」

「そうだね!」


 今日もメイド寮は、ワイワイガヤガヤと王宮の隅っこで朗らかな雰囲気に包まれている。

 イリーナはこの空気感を心地よく感じ、自然とリラックスするように両手を伸ばした。

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