第2話 名前は重要な個人情報

 昨日の今日であのオッサンが菊浦さんに同じことをしているとは思えないが、なんとなく気になってしまう。


 今日は日曜日。仕事は休みだし、もうすぐ娘が目をこすりながら起きてくるだろうに。

 そもそも普段休日にあのコンビニには通わないから菊浦さんが今日働いている保証もない。


「でも、なぁ……」


 ああいうタイプってしつこい人いるし、店側じゃなくて偶然あの場に居合わせた客に怒られて溜まったストレスを菊浦さんにぶつけるってこともありえるし、もしあの時間に彼女が一人だってことを把握してたら危ないよな。


「おはよぉ、パパ」

「おはよう、美久みく


 そんなことを考えていたら俺の宝がドアを引いて姿を見せてくれた。まだ四歳の可愛い娘に癒される休日を過ごせるような大人になれて良かったって、いつもこの瞬間に思う。


「トースト食べる?」

「んーん」


 ぷいぷい首を振って今日はそういう気分じゃないのかな。


「コーンフレーク?」

「んーん!」

「じゃあ、なにが食べたいの?」

「サンドイッチ!」


 へぇ、珍しい。幼稚園のお友達との話で出てきたか、テレビで見たんだろうけど。

 うーん、サンドイッチか。

 冷蔵庫の中を見てもたまごサンドくらいしか作れない。さすがにそれだけじゃあ、作ってる途中で嫌だと言われちゃうだろうな。


 ……タイミングとしては良すぎか? まあ、でもいいか。


「コンビニに買いに行こうか」

「うん! いく!」


 美久が笑顔になるなら何でもいい。

 下だけ着替えさせて上に一枚羽織り、コンビニに向かった。


「いらっしゃいませ!」


 菊浦さんの声だ。

 こっちに気付いて会釈してくれる。またもう一人は休憩中みたいだな。


「サンドイッチ選んでおいで」


 美久をいかせて他のお客さんがいないのを確認してから菊浦さんに話しかける。


「昨日の人、大丈夫だった?」

「はい。今日は来なかったですし、店長さんにお話しして、もし次来たら出禁通告してくれるって言ってくれたので」

「それなら良かった」


 菊浦さんの表情からして無理した嘘はついてなさそうかな。


「ところで、あの子は娘さんですか?」


 視線は美久に向けられている。

 昨日、初めてまともに会話したから、何も知らないもんな。こういう世間話が出来る店員さんってすこし憧れがあったから嬉しい。


「そうだよ」

「お名前は聞いても?」

「もちろん。美久って言うんだ」

「あー!」


 なにか合点がいったようでポンと手を叩いた。


「奥さんと流川さんのお名前から一文字取ったんですね」

「よ、よく知ってるね」


 いやいやいや、確認するが俺たちがこういう形で話したのって初めてのはずだよな?

 百歩譲って俺の名前は俺自身が漏らしてしまった可能性があったかもしれない。けど、妻の名前は知る由がないじゃないか!


 表面上は平静を保っているが、背中には嫌な汗が滲み出てきた。


「だって流川さんわかりやすいんですもん」


 心を見透かしているような質問に唾を飲む。


「どういうこと?」

「毎日お会計、何円払ってます?」

「……ああ、それでか!」


 やばい、あれバレてたんだ。


「これまで買っていた商品がなくなっても、いつも375円にしますよね。殆ど私がお会計するからなんとなくそーなんだなって思ってたんです」


 はぁ、安心した。

 そういえば一応気付ける要素はあったな。でも、それで疑問を持ち続けるなんて変な子だ。


「みなこさんと理久さんで美久ちゃんってわけですね」

「まあ、そういうこと」

「パパ! これがいい!」


 美久の声で会話が切れる。

 とにかくあのオッサンは来てないみたいだし、これ以上菊浦さんと話すのもすこし怖いし、この流れで今日はお暇しよう。


 美久の隣に行って指で指しているレタスハムサンドを取った。


「そっか。じゃあ、パパはこっちにしようかな」

「ママはこれ!」


 別々の種類のサンドイッチを手に美久がにこにこして菊浦さんの待つレジに持っていく。


「お願いします!」

「はーい、ちょっと待っててね」


 基本明るい表情を崩さない菊浦さんがいつもより声が高くなっているのは子供向けなんだろう。

 ……てか、そんなことに気付けちゃった俺もおかしいんじゃないのか? それとも案外こんなもので菊浦さんも普通なのか?


「支払いはこれでお願いします」

「はい、ちょうど頂きますね」

「じゃあ、また」


 受け取ったお金をレジにしまっている間に美久の手を取り、そう言って店を出た。

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