虚の天秤

榛原朔

一章 屍臭乱舞

0-処刑の日

「はぁッ、はぁッ……!! なんで、なんでッ……!?」


時刻は深夜。もはや草木すら寝静まる頃。

とある集落の片隅に立つ2階建ての住宅では、1人の男が窓から見える景色に身を震わせていた。


カーテン越しに姿を見せているのは、頬まで隠れるくらいに襟の立った黒いコートをその身にまとい、白い長髪を後ろで無造作にまとめている人物だ。


それは死の足音を響かせるように、硬いブーツの音を鳴らしながら彼の家までの道を歩いて来ている。

身長は170センチにも満たない程度で、2階から見ても体格はそうずば抜けて良いものではない。むしろ華奢である。


だが、その見た目が、雰囲気が、所作が、佇まいが。

その者を構成するすべてのものが、圧倒的な強者のオーラを醸し出していた。


「俺は少し物資を集めてただけだッ……!! ただ、普段よりも多く買い集める程度に収めていたはずだッ……!!

なのにッ、なんでバレるんだ!?」


男は外の光景から目を逸らすように暗い室内を見ると、部屋に用意されたいくつもの荷物を見やる。

視線の先にあるのは、大きめのリュックやこれから1階にあるガレージに積み込む予定だった食料品など。


まだ準備は終わっていないものの、明らかにこの家から出て旅に出るといった雰囲気を持つ荷物たちだ。


といっても、本棚にはまだたくさんの本が詰まっているし、テーブルや椅子の上には綺麗に畳まれた洗濯物などが置かれている。


まだまだ十分に生活感のある部屋だと言えるだろう。

決して、それが家に訪れるような、稀有な非日常を呼び込む環境ではないはずだった。


再びカーテン越しに外の様子を伺う男は、既に黒いコートの人物が姿を消していることを確認し、つばを飲み込む。


――ピーン、ポーン


痛いくらいの静寂に包まれた家の中に、突然場違いなほどに良く響くチャイムが鳴る。彼の耳に届くのは、もちろんただのありふれたチャイムの音だ。


しかし、押してすぐに離されたようなスムーズに鳴る音ではなく、ゆっくりといたぶるように真ん中で途切れた音だったことが、耐えようもなく不気味だった。


無意味だとわかっていながらも、男は光が一切ない家の中で口を押さえて縮こまり、息を潜める。

怪しげな風が、窓の外に生えた木の枝を揺らしていた。


――ピーン、ポーン


再び、チャイム。先程とまったく同じテンポで、だからこそより不気味に、明るい音が無音の家に響く。

男は荷物をガレージに運ぶことなどすっかり忘れ、ただ部屋の隅っこで縮こまって震えていた。


――コン、コン


チャイムで男が反応しなかったからか、唐突に家にはドアをノックする音が響き渡る。機械音ではない、人の手が木製のドアを叩く音……誤作動などではなく、確実に何者かが家の前にいるという証拠になる音だ。


叩いただけのはずが妙に響くその音を聞いた男は、ついには頭を抱えて震え出す。逃げる準備などできない。

男はただ、死がこの家から去ることのみを望んでいた。


しかし、その人物が大人しく引き下がることはない。

静まり返った家の中には、やがてメキメキッ、バキバキッといった、ドアを破壊するような音が響き始める。


死は、息を潜めていても去ることはなく、力尽くでの侵入を始めていた。


「き、来た……来ちまった……処刑人が、俺を殺しにッ……!!」


その音を聞いた男は、ようやく覚悟を決めた様子でゆっくりと立ち上がる。まだプルプルと震えてはいるが、ただ殺されるつもりはないぞというように、確かな足取りで。


ここはリビング。身を守れるような武器はない。

彼は物音を立てないように細心の注意をはらいながら、隣にあるキッチンへと足を運ぶ。


1階にあるガレージや物置きならば、ノコギリやチェーンソーなどの大きな刃物、銃のような護身用の武器などもある。


だが、1階は今まさに黒いコートの処刑人が侵入しようとしている場所だ。


そんな場所に、丸腰で向かう訳にはいかない。

窓から差し込まれる月明かり以外、まったく光のない真っ暗闇の中で、男は闇に慣れた目を駆使して速やかにキッチンへと辿り着く。


「1番扱いやすそうなのは……この包丁か」


1人暮らしなのでそこまで専門的なものではないが、キッチンにはもちろん包丁くらいはある。

慣れた様子で中に入った彼は、収納を開けて最も大きく敵に当てやすそうな包丁を取り出した。


1階からの物音はしない。まだ家の外からドアを破壊しようとする音がしていることを確認してから、男は包丁に反射する自分の瞳を見つめて、改めて覚悟の言葉を紡いでいく。


「いいぜ、もう覚悟は決めた。黙って殺されて堪るかよ。

俺はただ、外の世界に興味を持っただけなんだぞ……!?

どうせこの程度の障害を乗り越えられねぇんなら、外の世界で生きていくなんて夢のまた夢。逆に殺してやるぜ……!!」

「いいねぇ!! 殺し甲斐がありそうじゃねぇか!!」

「ッ……!?」


男が敵を殺す覚悟をつぶやいた瞬間、その背後からはやけにテンションの高い声が響き渡る。同時に、彼が見つめていた包丁に映るのは、死を連想させる黒いコート姿。


バッとその場を飛び退くと、直前まで立っていた場所には、バカでかい木の塊が振り落とされてきた。


「くっ……!!」


見た目通りの質量を持っていた塊は、同じ素材であるはずの床を派手に砕き、破片を飛び散らせる。

男は破片から顔を庇いながら木の塊を見ると、その塊を手に持つ人物に目を向けた。


目の前にいるのは、当然さっきカーテン越しに見た人物。

頬まで隠れるくらいに襟の立った黒いコートで全身を覆い、白い長髪を後ろで無造作にまとめている不吉の象徴のようなモノだ。


首から下げた十字架など、不気味さを和らげることになんの意味もなさない。ただひたすらに恐ろしい死の象徴……若くして殺しを極めた処刑人の姿が、そこにはあった。


「……よう、シャルル・アンリ・サンソン。

こんな夜更けに何か‥」

「おうら、死ね!!」

「……!!」


男は顔を引きつらせながらも声をかけるが、シャルルは問答無用で床を砕いた木の塊を振り上げる。

棚の外枠のように空いた隙間の上部に、巨大な刃が取り付けられているそれは、持ち運びができるギロチンだ。


外側の下部にはトゲもついているため、仮に直撃したら打撲では済まない。ただでさえ人の体ほどもあるギロチンなのだから、刃で切られずとも一撃で致命傷になるだろう。


右手に握った包丁しか武器を持たない男は、死に物狂いで体を背後に反らすことで、顎にトゲがかすりながらもどうにか回避した。


「話ぐらい、聞けよッ……!! 俺はなんもしてねぇ!!」

「ギャハハハッ、テメェを処刑しろとの通達だァ!!

つまんねぇ話にゃあ興味ねぇなァ!! 速やかに死ねッ!!」


油断を誘うためか、本当に見逃されることを夢見ているのか。男は、破壊された天井から振ってくる破片から身を守るように、片手を持ち上げながら口を開く。


しかし、処刑人であるシャルルは止まらない。

公的な仕事であることをいいことに、狂気的な笑い声を響かせながら天井に刺さったギロチンを引き抜いていた。


「断るって、さっき言ったよなぁ!?」


とはいえ、男も日和ってそのような言葉の口にした訳ではないようだ。会話を続けながらも、武器のない相手に向かって容赦なく包丁を突き立てようと突進していく。


ギロチンは脅威だが、懐に入ってしまえば問題ない。

目論見通り、彼は引き抜かれた時にはその内側に入り、包丁を向けていた。


「ギャハハハ、いい意志だ」

「ちっ……!!」


だが、シャルルもギロチンを引き抜くことにだけ意識を向けてはいない。急接近されたことでギロチンを手放すことにはなったが、勢いよく飛び退き余裕で回避していた。


壁に吸い付くように着地したそれは、全身の黒さもあってか吸血鬼かなにかのよう。男はあまりにも常識離れした身のこなしに怯むも、今が好機と向かっていく。


「だが、武器はなくなったよなぁ!?」

「ギャハハハッ!! 随分とまァ、おめでてぇお目々をしてんじゃねぇか、まったくよォ!!」

「ッ……!?」


男は足だけで壁に張り付くシャルルに接近する。

綺麗に研がれた包丁を以て、それを刺し殺すために。


しかし、数歩も進まぬうちに彼の頭は砕かれた。

背後からシャルルに向かって飛んできたギロチンによって、無惨にも。


床を砕く質量は男の頭蓋を軽々と砕き、中からはスイカと見紛うばかりの赤い液体が飛び散る。

脳までは出てこない。だが、確実に致命的な損傷を負ったと確信できるほどの重傷だった。


「ギャハハハッ!! ワインみてぇに赤ぇなァおい!!

実に色鮮やかなもんじゃねぇか!!」


壁から降りたシャルルは、興奮気味に叫ぶ。

薄れゆく意識の中で、男はその悪魔のような笑い声を聞いていた。


「さァ、仕上げといこうか? ざぁいにぃん!!」

「……」


床に流れた血を靴でピチャピチャと弄びながら、シャルルは心底愉快そうに呼びかける。男はもう動けない。

下手すれば脳髄がこぼれ落ちてしまいそうな状態のままで、無抵抗に起こされていった。


「ここにあるのは鈍器か? 違う、ギロチンだ!!

となりゃあ、何をするかはわかるよなァ!? ギャハハハッ!!

そう斬首刑だ!! 一撃で楽にしてやるぜ!? 感謝しろや!!」


下部に付けられたトゲで固定されたギロチンは、ぐったりとした男を母のような包容力で包み込む。逃げ場はない。

台座で確実に彼を固定し、上部に取り付けられた巨大な刃が落とされる瞬間を今か今かと待っていた。


「カウントダウンはしねぇ!! 眠るように、死ね!!」


死の瞬間、男にはまだ意識が残っていただろうか?

それを知るのは彼本人だけだ。

斬首刑に処したシャルルでさえも、確認はできない。


どうあれ首は、跳ね飛ばされる。痛みはほんの一瞬だ。

主を失った首は噴水のように真紅の液体を撒き散らし、彼の家だったものの壁を血生臭く染めていく。


月明かりしかない深夜、もはや草木も寝静まる頃。

集落の片隅に立つ2階建ての住宅からは、國中に響き渡らんばかりの狂笑が響き渡っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る