第06話

 一月十七日、木曜日。

 休日の希未は、午前十時に目を覚ました。洗濯、掃除、そして昼食を適当に済ませ、午後一時過ぎに自宅の賃貸マンションを出た。

 駅まで歩き、電車に揺られること約二十分、市街地の外れにある商業区で降りた。

 そして、改札前で十分ほど待っていると、改札からひとつの人影が近づいてきた。


「のんちゃん、お待たせ」


 成海志乃だった。前が開いたグレーのロングコートから、ベージュのニットと白いマキシスカートが見えた。

 いつもと同じ雰囲気の服装だが、なんだか違って見えるのはエプロンが無く、髪を下ろしているからだろう。ミルクティーアッシュの長い髪は、毛先が緩やかに巻かれていた。

 おそらく、特別めかし込んでいるわけではない。休日の自然な姿だ。それでも、希未は『綺麗な大人の女性』を感じ、少し見惚れた。

 そして、自分の格好が恥ずかしくなった。ダウンジャケットにマフラーを巻き、裏起毛のテーパードパンツを履いている。ゴテゴテしたシルエットのうえ、頭から足まで黒系であり色も重い。

 防寒を重視し、何気なく選んだものだった。これもまた希未にとっては休日の姿だが、後悔した。


「こんにちは、成海さん。わざわざ付き合ってくれて、ありがとうございます」


 シフトが似ているのだろう。志乃と休日が重なっていたのは、偶然だった。この時間に待ち合わせをしていた。


「いいのよ。せっかくのオフに、デートに誘ってくれたんだから」

「デートじゃありません! 仕事みたいなものです! いいから行きますよ!」


 志乃がにこやかで嬉しそうであるため、希未にはなんだか冗談のように聞こえなかった。

 いつものようにからかわれ調子が狂うと思いながら、志乃と歩き出した。


 駅から服屋、雑貨屋、本屋、レストランなど――河沿いに様々な店が立ち並んでいた。繁華街であるため人も多いが、落ち着いた雰囲気の街並みだった。

 寒くとも、空は晴れていた。穏やかな昼下がりを、希未は志乃と並んで歩いた。

 休日は自宅でゴロゴロしていることが多い。買い物以外の外出、まして誰かと過ごすなど、滅多に無かった。

 やがて、コーヒーの強い匂いが漂ってきた。何やら機械のうるさい音も聞こえ、コーヒー豆を炒っているのだと志乃は思った。

 隣を歩く志乃の、コートの袖を指先でつまんだ。


「……緊張してる?」


 希未は寒さに震えながら、黙って頷いた。

 昨晩、志乃に背中を押され、天羽晶の結婚式を引き受けようと前向きに考えた。しかし、返事をする前に『現在の天羽晶』をもう一度確かめたかった。

 顧客シートに職業を記入する欄は無い。晶がどのような生活を送っているのか、希未はイメージがまるで掴めなかった。本人に直接訊ねれば済む話だが、返事がまだである以上、それは出来ない。

 インターネットで晶のことを調べても、手がかりが見つかるはずがない。

 だから、晶のパートナーを調べていた。澄川姫奈すみかわひな――背が高いショートボブの女性は、バリスタとして有名のようだった。コンクールをいくつか受賞しているほどの腕だ。彼女が高校生だった頃の雑誌の切り抜きページまで、インターネット検索で見つかった。

 そんな彼女が在籍しているのは『stella e principessa』と呼ばれるカフェだった。

 直訳すると『星と姫』になる。確証は無いが、晶と姫奈の店である可能性が高いと、希未は思った。

 現在の晶を知りたい。だが、ひとりでは受け止められないかもしれない。だから、志乃を頼った。


「のんちゃんがどんな人にお世話になって、お礼をしたいのか……私は楽しみよ」

「えっと……その人を見ても、驚かないでくださいね? オーバーリアクションは絶対に無しです」


 志乃が首を傾げるが、希未は未だに天羽晶の名を出せなかった。

 予想が正しければ、晶がカフェの従業員として一般社会に溶け込んでいることになる。どういう意図で未だに天羽晶の名を使用しているのか、わからない。何にしろ、生存を知る者は自分以外にも必ず居るはずだ。目撃者はそれなりに多いと、希未は思う。

 もしもマスコミに告げたところで、ゴシップ扱いされていただろう。それでも、目撃者が集まれば自然と煙が上がるはずだ。これまで世間で一切騒がれなかったことが不自然だった。

 希未の考えることは、ひとつ。かつてのファンも含め、周りが波風を立てずに、晶をただの『一般人』として扱った。あり得ないような話だが、民度の良さに守られていた。

 そうだとすれば、これから向かう所は不可侵とも言える聖域だ。晶との対面だけでなく、そのような場所であるかもしれないため、希未はなお緊張していた。


「大丈夫よ。私がついてるから……」


 コートの袖をつまんでいた手を、志乃から握られる。

 突然のことに希未は大袈裟に驚きそうになったが、周りに通行人が居る手前、堪えた。

 志乃の手は冷たかった。しかし、握る内にじんわりと熱が伝わった。恥ずかしくも、心地良かった。


「着いたわよ。のんちゃんが言ってるカフェって、ここでしょ?」


 駅から十分ほど歩き、立ち止まった。コーヒーの匂いが、一層強かった。

 カフェというより、昔ながらの喫茶店――隠れ家のような、小さくこじんまり店を希未は想像していた。

 だが、目の前にあるガラス張りの店は、意外と大きかった。扉には店名と共に『ひとつ星と、ティアラを乗せた女性』のロゴマークが描かれていた。


「はい。入りましょう」


 希未は今も緊張している。それでも、ここまで来た以上は引き返せず、扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 入り口のレジで、従業員に出迎えられた。

 レジから続くカウンターでは、三日前に合同ブライダルフェアで会ったふたり――澄川姫奈と天羽晶が、エプロン姿で何やら話していた。

 やっぱりだと、希未は思った。


「うーん。何にしようかしら」

「コーヒーふたつ、トールで。それと……ショートケーキとチョコレートケーキも、ひとつずつお願いします」


 志乃はのんびりと、レジ頭上のメニューを眺めていた。

 だが、希未はそれに構うことなく、ケーキのショーケースを横目で見ながら適当に注文した。


「え……。のんちゃん?」

「ここは、あたしが出しますから……。成海さんは席取ってきてください」


 希未はとにかく落ち着かなかった。自分勝手だが、ひとまず志乃を追いやろうとした。

 この様子に、レジ従業員から困った表情を向けられるも、頷いて注文を通した。


「わぁ。綺麗ね、あれ」


 去ろうとする志乃が指差したのを、希未は目で追った。

 レジの後ろには棚があり、花が詰められた小瓶――ハーバリウムがふたつ飾られていた。何の花か希未にはわからないが、青色と橙色のそれは志乃の言う通り、綺麗だと思った。

 志乃と別れた後、希未は受け取り口へと移動した。その際、カウンター越しに天羽晶と一度目が合うが、平静を装い通り過ぎた。

 受け取り口から、澄川姫奈がハンドドリップでコーヒーを淹れている姿が見えた。有名バリスタらしい鮮やかな手付きだった。


「お待たせしました。こちら、コーヒーふたつとケーキになります」


 しばらくすると、姫奈が商品を載せたトレイを運んできた。

 そして、希未の顔を見て――きょとんとした表情で訊ねてきた。


「すいません。失礼ですけど、どこかでお会いしましたか?」


 三日前のブライダルフェアで、一度顔を合わせただけだ。姫奈は他にもブースを回っているうえ、接客業で毎日のように数多くの人間と顔を合わせている。

 記憶があやふやになるのは仕方ないと、希未は思った。いや、まだ正体を見抜かれなかったのは好都合だった。


「こ、このお店に今日初めて来ました。素敵ですね!」

「ありがとうございます。……どうぞ、ごゆっくり」


 希未は嘘をつけず、適当に話をはぐらかした。それを察してか、姫奈が深追いしてくる様子は無かった。

 備え付けの砂糖とクリームをふたつずつ取り、トレイを持って店内を歩く。

 全部で五十席ほどだろうか。広い店内はテーブル席にソファー席、入口側の窓辺にカウンター席、そして利用者は居ないが、入口と反対側の屋外――河に面したウッドデッキに、テラス席があった。何やら丸い機械も置かれている。

 店内は白を基調とし、椅子やテーブル等の木材インテリアはライトブラウンで統一されていた。昼下がりの今は陽当たりも良く、明るい雰囲気だった。

 午後二時でも席はほとんどが埋まり、それぞれが寛いでいた。買い物ついでに休む客も居るだろう。立地も良いと、希未は思った。


「のんちゃん、こっちこっち」


 ふたり掛けのテーブル席で、志乃が手を振っていた。希未はテーブルにトレイを置き、志乃の向かいに座った。


「わぁ、美味しそう。さっきチラッと見えたけど、ハンドドリップなのね」

「珍しいですよね」


 一般的なカフェでは、機械で淹れたコーヒーを出されることが多い。ハンドドリップは高級路線のイメージが希未にあったが、これは一杯四百円だった。本格な割には値段も店の雰囲気も、カジュアルだった。

 砂糖とクリームに触れようとしたが、志乃がブラックのままコーヒーを飲むのを見て、希未も真似した。


「美味しいです」


 そして、素直に感想を漏らした。香りが良いだけでなく、酸味と苦味のバランスが絶妙であり、すっきりとした味わいだった。コーヒーではない別の何かを飲んでいるように感じた。


「誰かが淹れてくれたのは、温もりがあるというか……別格よね」

「何しれっとクサいこと言ってるんですか」


 とはいえ、匂いも味も臭みが一切無いことに、希未は人の手を感じた。

 普段のコーヒーは、カフェインを摂取するための手段だ。味など気にしない。カフェに入っても、仕事のことばかり考えていた。

 この瞬間、希未の頭から当初の目的は消えていた。

 店からもコーヒーからも、温もりを感じる。立ち止まるのは悪いことじゃないから、ひと休みしていきなよ――まるで、そのように言われているかのようだった。

 のんびりとコーヒーを飲むのはいつ以来だろうと、希未は思う。

 目の前には、出会って間もない柔和な人柄の女性が座っている。明るい店内で、穏やかな時間が流れていた。まるで陽だまりの中に居るように、心地良かった。

 そして、この席からレジ沿いカウンターの向こうに居るふたりが見えた。この場所を作ってくれたことに、感謝したい。


「のんちゃんはケーキどっちがいい? 好きな方、選んでいいわよ」


 志乃からの言葉を理解するが、希未はマグカップをテーブルに置いて俯いた。

 瞳から涙が流れた。両手で顔を覆い、静かに泣いた。

 志乃の微笑む声が聞こえ、何かが頭上に伸びたのを感じた。視認できないが、頭を撫でられているようだった。

 喜びと悲しみが複雑に絡み合っている感情であることを、希未は自覚している。頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。


「泣いてもいいんじゃない? ここまで思い詰めるぐらい……たぶん、頑張ってきたんだから。貴方、真面目すぎるのよ」


 そう。これまで堪えてきたものが爆ぜたのであった。

 希未は天羽晶に直接会わずとも、わかった。この店は天羽晶と澄川姫奈、三日前に会った『ふたり』そのものだ。

 三日間、複雑な気持ちだったのは、晶の生存に実感が湧かなかったからだ。頭では理解していても実態が掴めず、気持ちが追いつかなかった。

 しかし、この店に訪れてようやく実感することが出来た。

 アイドルとしての天羽晶は、確かに亡くなった。現在ここに居るのは、一般人としての天羽晶だ。

 どのようにふたりが出会い、どのようにこの店が出来たのかは、わからない。それでも、ここから見える何気ない光景は、ふたりにとっての大切な日常だろう。

 かつての『推し』が大切な人と新たな人生を歩んでいるのだと、深々と感じた。

 裏切られた失望が全く無いわけではない。希未はそれ以上に、喜びと感謝――そして、ふたりの幸せを応援したいと、心から思った。

 その力が、自分にはある。何の縁があってか、こうして巡り会えたからには、使命のように感じた。


「どうした? 泣くぐらいウチのコーヒーが不味いのか?」


 ふと、テーブルの隣にふたつの人影が立ったのを、希未は感じた。

 聞き慣れた声は、言葉とは裏腹に怒っている気配が全く無かった。


「まあ、貴方……。なるほど、のんちゃんがお世話になった人って……そういうことなのね」


 志乃の納得した声が聞こえる。

 大袈裟に驚くこともサインをねだることもなく、行儀良く接してくれたことに希未は感謝した。


「お世話? ああ、そういうことか……。私みたいなつまらない人間のために、わざわざ足を運んで返事を聞かせてくれるんだと思ってたよ。なあ……プランナーさん」


 声の主は、希未の正体に気づいていたようだった。


「いや、あの……。無理なら無理で、全然構わないんで……」


 こうして泣いているからだろう。気遣うような声も聞こえ、希未は顔を上げた。すぐに涙を拭った。

 テーブルの傍に、天羽晶と澄川姫奈が立っていた。ふたりの左手には、同じ指輪が輝いていた。

 晶のエプロンには『master A.Sumikawa』と書かれた名札が付いていた。この国では同性で籍を入れることが出来なければ、改姓も出来ない。だが、本人達はそのような体裁きもちで生活を送っているのだと希未は察した。

 これが『推しの現在』だ。

 希未は席を立った。


「やらせてください! おふたりに、最高の式をお約束します!」


 晶と姫奈それぞれを見据えた後、力強く頷いた。

 もう三日前のような迷いは無い。売上など、どうでもいい。何があっても最善を尽くしてやり遂げるという覚悟があった。

 姫奈は無邪気な笑顔を見せ、晶は小さく笑った。


「ありがとう。でも、他の式場からも声が掛かっていてな……。選択肢のひとつとして、考えさせて貰うよ」


 この状況は希未が想定している内だった。残念だとも思わなかった。


「わかりました。それでは、内覧に来て頂けませんか?」


 ウェディングプランナーとして六年のキャリアから、絶対に選ばせる自信があった。他の式場に関係無く、全身全霊でコンペに挑むつもりだ。


「ああ、行かせて貰う。また夜にでも、連絡をくれ」

「楽しみにしてますね」


 ふたりがテーブルから立ち去り、希未は席に座った。

 二度目の対面に緊張は無かった。むしろ、奥底から沸々と湧き上がるものがあった。

 営業職として何が何でも掴み取りたい貪欲さは、久々だった。それに自信が加わり、奇妙な感覚だが――充実感を得ていた。


「やったわね、のんちゃん!」

「成海さんこそ、ありがとうございました。ここまで一緒に来てくれて」


 興奮気味の志乃から両手を掴まれ驚くも、彼女の喜ぶ様子に自然と笑みが漏れた。


「念のためなんだけど……あのふたりで合ってるのよね?」


 コソコソと小声でそのように訊ねられ、希未は首を傾げた。

 そういえば、この案件が同性婚であることも黙っていたと、すぐに察した。


「はい、そうですよ」

「なるほどね……。お似合いのふたりじゃない。手助けしたくなっちゃうわね」


 いろんな意味で驚くのは無理がないが、この様子だと志乃もこれまで扱ったことが無いのだと察した。そして、偏見を持っていないことに安心した。


「あたし、同性婚は初めてです。わからないことだらけですけど……頑張っていきましょう」

「そうね。でも、今日はしっかり休みましょうか」


 志乃がトレイのケーキを指さした。

 希未は湧き上がる気持ちを抑え――休日の昼下がりを居心地の良いカフェで、志乃とのんびりと過ごした。

 初めての同性婚、そして新しいフラワーコーディネーターに、不安が無いわけではない。だが、今はただ仕事が楽しみだった。

 そう。まるで、六年前にこの仕事を始めた時のように。



(第02章『推しの現在』 完)


次回 第03章『青と橙』

希未は天羽晶と澄川姫奈に、式場を案内する。

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