坊ちゃまの長い長い惚気話 3


『ハマりすぎるとロクな思いしないよ』



 エミディオからの忠告を思い出し、ジンは、


(……言われなくとも、わかっている)


 そう、胸の内で呟く。


 家族の命を奪った組織と、それを手引きした貴族たち。

 その罪を白日の下に晒すために、今日まで生きてきた。

 それを果さない限りは、人並みの幸せは掴めない。

 色恋に夢中になって方向性を見失うなど、俺に限ってはあり得ないこと。

 

 そもそも、メルとの関係は焦らなくていい。

『復讐』には、少なくとも数ヶ月、長ければ数年かかる見込みなのだ。

 じっくりと、ゆっくりと信頼関係を築き、少しずつ距離を縮められれば、今はそれでいい。

 


 ……そう、思っていたはずなのに。



「メルフィーナさん。僕と…………結婚を前提に、お付き合いしてください」



 メルを迎えに訪れた教会で。

 傭兵の男がそう告白するのを聞き、ジンは……


(………………)


 自身の胸に押し寄せる初めての感情に、"影"の中で立ち尽くしていた。

 

 憎しみにも似た――或いは、『殺意』とも言えるようなドス黒い負の感情に、心が支配される。


 そうして、彼は悟る。

 嗚呼、これが"嫉妬"。

 そして、"独占欲"なのだ、と。

 

 それから、彼は自身の想定の甘さを呪う。


(何が「ゆっくりと、少しずつで良い」だ……そんな悠長に構えていては、他の男に取られる可能性がある)


 予定では、「彼女の高い治癒能力を研究したい」という名目でメルとドロシーを説得し、穏便に連れ出すはずだった。

 しかし、もはやそんなことをしている時間はない。メルは今まさに、他の男に口説かれているのだから。

 

 

 ジンは影の中を移動し、礼拝堂にいるドロシーの目の前に姿を現す。

 そして、驚く彼女に向け、トランクを突き付け……こう言った。


「私はジン・アーウィン。ウエルリリス魔法学院に勤める教師だ。ここで働くメルフィーナ・フィオーレを雇いたい。これは、その代価だ」


 トランクを開き、中に敷き詰めた大金を見せ付けた。

 金にがめついドロシーに対する最後の説得材料として用意していた金だ。メルがいなくなることで発生する損害の補償として、必要があれば渡すつもりでいたが、もう単刀直入に突き付けることにした。


 交渉のていすら成していない、身も蓋もない申し出。

 しかしながらドロシーは、提示された大金に大きな目をギラつかせ、


「……売った!」


 二つ返事で答え、トランクに飛び付いた。

 ジンは契約成立を確信し、再び影を通って懺悔室へと戻り――

 


「――そこまでだ。その手を離してもらおう」

 

 

 セドリックに迫られ困惑するメルの前に、姿を現した。




 * * * *




 ――という具合に、ジンが描いたメルとのシナリオは、最初から狂いっぱなしだった。


 焦らず、ゆっくりと。そう自分に言い聞かせているはずなのに、共に生活する中で、彼女への想いはどんどん強くなっていく。


 強がりで、甘え下手なところも。

 責任感が強く、しっかり者なところも。

 意外と食いしん坊なところも。

 向上心が強く、努力家なところも。

 怒った顔も、恥じらう顔も、眩しい笑顔も……

 

 全てが、愛おしくて堪らなくて。


 もっと知りたくて、もっと近付きたくて。

 気付けば……何よりも大切に扱っていた。



(……これでは、俺の好意に気付かれても仕方ないな)


 と、自身の行動を振り返り、アプローチがあからさまになりつつあることを自覚するが、



「なんで、そんなに優しくしてくれるんですか……?」



 魔法学院の校舎にて。

 メルがファティカと鉢合わせそうになったところを助けた際、彼女にそう尋ねられ……ジンは、強い衝撃を受けた。


(まさか……俺からの好意に、まるで気付いていない?)


 手を握ったり頬を撫でたりすることも、スコーンをはんぶんこしたことも、料理を始めたことも、今しがた強く抱き締めたことも、全て好意に基づいた行動だったのだが……

 メルの自意識が極端に低いのか、あるいはアプローチの仕方が悪いのか、彼女にはまったく響いていないらしい。


「そんなことを聞かれるとは……これは早急にシナリオを修正する必要があるな」

「……え?」

「いや、こちらの話だ」


 きょとんとした彼女の顔。

 その表情だけで、こんなにも愛しさを感じてしまうというのに……その想いは、彼女に正しく伝わらない。


 そんなもどかしい距離感のまま、時間だけが過ぎてゆき――




 * * * *




 メルに、初めてエミディオを紹介したあの日……の、翌朝。


「……………………」


 目覚めたベッドの上に、メルのブラウスが残されているのを見て、ジンは絶句した。



 幼稚な対抗心からエミディオの挑発に乗り、酒に酔い、彼女をベッドへ引き込み……

 キスを迫ったところまでは覚えているが、そこから先の記憶がない。


 ……このブラウスは、つまり、アレか。

 キスをして、そのまま、脱がせたということか。

 

「…………最低だ」


 ジンは、血の気が引いた頭をガッと抱える。

 見たところ、自分の衣服は乱れていない。恐らく最後までする前に気絶したのだろうが……脱がせただけでも大問題だ。


 しかし、どんな風に脱がせたのか、いくら頭を捻っても思い出せない。せめて乱暴にしていないことを祈るが……


(……何にせよ、メルには嫌な思いをさせただろう)


 そして、気付かれてしまっただろう。

 清廉な紳士を気取る男の中に、『想い人に触れたくてたまらない』という凡俗な欲望があることを。


 はぁ、と息を吐き、深く自己嫌悪する。

 それから……メルの言葉を思い出す。



『優しくて紳士なところも、先生として堂々と講義しているところも、お料理を頑張っている努力家なところも……ちょっと意地悪なところだって、全部かっこいいと思っています』



 今も耳に残る、メルの恥ずかしそうな声。

 あの言葉を聞いた瞬間、嬉しくて、舞い上がってしまった。

 それで調子に乗り、酔いも相まって、キスを迫ってしまった。


 今なら良くわかる。

 メルのあのセリフは、機嫌を取るための世辞だ。

 酔っ払いに絡まれた面倒な状況から離脱するための、口先だけの言葉。

 それを、俺は……愚かにも真に受けてしまった。



 ……とにかく、誠心誠意謝罪しよう。

 そう決意し、ジンは彼女のブラウスを手に、部屋を出た。




 ――結果として、ジンがメルの服を脱がせた事実はなかった。

 部屋から出て来たメルに謝罪し、ジンはこう口にする。


「メル……昨日の俺の言動だが……あれは……」


 全て、本心に基づくものだ。

 誰でも良かったわけではない。相手が君だから、あんな風に暴走してしまったのだ。


 そう、真実を伝えようとするが……

 その前に、メルに遮られてしまう。

 

「あぁ、本当に! 本当に気にしていませんから! ジンさん、エミディオさんに焚き付けられて無理に飲んじゃったんですもんね!」

「確かに、あいつの挑発に乗ったのは事実だが……」

「もー、これからは無理しちゃダメですよ? はい、ということでこのお話はおしまいです! 私も綺麗さっぱり忘れますから、ジンさんももう気にしないでください!」


 そう、捲し立てるように言う彼女。

 その強張った表情を見て、ジンは胸を痛める。


(そうか……思い出したくもないくらいに、嫌な思いをさせてしまったのか)


 申し訳なさと情けなさに襲われ、ジンはそれ以上の弁明はやめ、もう一度謝罪した。




 * * * *




 そんな醜態を晒したにも関わらず、メルは変わらず側にいてくれた。

 

 そして、努力を重ね……自身が持つ本当の魔法の力に目覚めた。



 

「……あなたの側で、あなたの役に立ちたいんです……魔法を開花させたのだって、そのためです」



『入学祝賀会』の日。

 ファティカから情報を引き出した後、メルは言った。


「秘書でも協力者でも何でもいい。どうか、私を利用してください。あなたの『復讐』のシナリオに……私を、最後まで使ってください」


 それを聞き、ジンはもどかしさに拳を握る。


 どうやら彼女は、役割がなければ側にいられないと思っているらしい。

 ……違う。

 言ったはずだ、ただ側に居てくれるだけでいいのだと。


 しかし、これから『復讐』を果たそうというこのタイミングで、想いを伝えるわけにもいかず……



 結果的に、彼女を最も危険なシナリオへと向かわせることになった。




 * * * *




「――私が、囮になります。あの教会に戻り、聖女として復帰すれば、奴はまた私に接触しに来るはずです」



『選定者』の正体を知ったメルは、奴を捕えるため、とんでもない策を提案した。

 

 当然、反対した。しかし彼女は、あろうことかエミディオを味方につけ……

 ジンが惚れ込んだ高潔さとしたたかさで、彼を説得した。



 この時、ジンは、ようやく理解した。

 と言うより、思い知らされた。

 

 ずっと、メルを側に置きたいと……ただ隣に居てくれるだけでいいと、そう思っていた。

 しかしそれは、メルの意志を無視した一方的な願望だった。


 困っている者がいれば、手を差し伸べずにはいられない。

 自分にできることがあると悟れば、不利益を顧みずに飛び込んでいく。

 

 元より彼女は、そういう性分だった。

 だからこそ……こんなにも心惹かれた。


 危険から遠ざけ、安全な場所に閉じ込めることは容易い。

 しかし、それではを殺すことになる。



 "彼女を信じ、背中を預ける"。


 それこそが、本当の意味で側に居るということ――

 "共に生きる"ということなのではないか?



「……俺の負けだ。君の案を飲もう。ただし、君の安全を最優先にして臨む。単独行動や、自己犠牲を選ぶような真似はしないと約束してくれ」



 メルを危険に晒すことへの恐怖は拭えない。

 しかし、だからこそ、覚悟が決まった。

 

 彼女のことは、何があっても護る。

 そして、この『復讐』を必ず終わらせるのだ、と――




 * * * *




 囮作戦を決行すべく、ジンはメルと共に、カルミア領の教会へ向かった。


 そうして、聖エレミア祭の五日目、組織のメンバーである『選定者セドリック』と『炎の術師』の襲撃に遭った。


 教会は焼失したが、メルのお陰で組織の拠点の場所が、遂に明らかになった。




「…………いってらっしゃい」



 あらゆる言葉を飲み込み、振り絞るように言うメル。



「……必ず、『復讐』を果たして来てください。私はあの家で、あなたの帰りを待っています。だから……だから…………っ」



 ルビーのような瞳から、涙が溢れる。

 ジンは愛しさを抑え切れず、震えるメルの身体をそっと抱く。



「あぁ……必ず戻る。約束だ」



 固い決意を込め、そう伝え――

 エミディオと共に、決戦の地へと向かった。



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