40 影と炎


 足元まで覆った、黒色のローブ。

 目深に被ったフードから覗くのは、茶色の襟足と、同色の相貌。

 

 "セドリック"という名で傭兵として私に近付き、"アズバード"という名でファティカ様に接触した、組織の『選定者』――


 その男が、今、扉を開け、私とジンさんのいる部屋に入って来た。




 私は、もう現れないと決めつけ油断していた己の浅はかさを呪う。

 だって、あんなに覚悟を決めていたはずなのに……


(いざ目の前にすると……足の震えが止まらない……っ)


『選定者』は、私とジンさんを交互に眺めると、かつてと同じ人懐っこい笑みを浮かべ、


「あらら。あの時現れた色男さんじゃないか。またメルフィーナさんを連れて行くつもり?」


 言いながら、ジリジリと私たちに近付いて来る。

 そして……



「ダメだよ? 今度こそ、彼女は――俺が連れて行くんだから」



 シャッ、と鋭利な音を立てながら……

 腰から、鈍色にびいろのナイフを抜き放った。

 

 蝋燭の灯りを反射する切っ先に、私は息を飲む。

 そんな私を護るように、ジンさんが『選定者』との間に立つ。


「何をするつもりだ……乱暴はよせ」

「あははっ。『乱暴』なんかじゃないよ。これは――『殺し』だ」


 直後、『選定者』が、素速くナイフを突き出した。


 ジンさんは咄嗟に私を抱き、床を転がり回避する。頭上で、ナイフが空を斬る音が聞こえる。

 

 起き上がり距離を取る私たちを見つめ、『選定者』は「ははっ」と笑うと、


「おいおい、やめろよなぁ。大事なに傷が付いたらどうする?」


 ナイフをヒラヒラさせながら、唯一の出入口である扉の前に立ちはだかった。

 逃げ道を完全に塞がれた。一体、どうすれば……


(……大丈夫。もう少しでエミディオさんたちが来てくれるはず。だから……!)


 そう心を落ち着かせようとするが、そんな暇すら与えずに、『選定者』は再びナイフを振り上げる。

 ジンさんは私を庇いながら置いてあった椅子を投げ付け、『選定者』と距離を取った。


「ってぇなぁ……あんま騒ぐと、あのシスターのババアから殺すぞ?」

「なっ……!」


 その言葉に動揺するジンさん。

 その一瞬の隙を突き、『選定者』がジンさんの首元を目掛けナイフを振るう!


「っ……!」


 私の目には追えない速さだったが、ジンさんは刃先が喉に到達するギリギリで、『選定者』の手首を掴んでいた。

 その反応に感心したように、『選定者』が笑う。


「ほう……案外いい目を持っているんだな。正直、お前のことも気になっていたんだよ。あの時、何もない場所から急に現れたから。……そうだ、ちょうどいい」


 ぐっ……と。

『選定者』は、ナイフを押さえ込むジンさんの手を握り返し、


「お前の能力が何なのか見てやるよ。年齢的に売り物にはならねぇが、使えそうなら仲間にしてやってもいい」

「誰がなるか……!」


 ジンさんの額に汗が滲む。

 私は、早く助けが来るようにと震えながら手を合わせる。


 聖エレミア様。どうか、ジンさんを助けて……!


 能力を見抜こうとしているのか、『選定者』はニヤリと笑い、ジンさんの手を強く握り――



 ――ふと、その顔に、困惑の色を滲ませた。



 そして、


「お、お前……何者だ……?!」


 動揺した様子で、ジンさんから離れようとするが……

 ジンさんは、『選定者』の手をガッ! と掴み、




「さぁ…………は一体、誰でしょう?」




 ニタッと、人形のような顔で笑った。




 ――刹那、私は見た。


 蝋燭に照らされ伸びた、私の影――『選定者』の影と重なる、最も暗い部分が、水面のように揺らぎ……

 

 そこから、もう一人のジンさんが現れるのを。




「……!」


 その気配に『選定者』が気付き、振り返る。

 が……遅かった。


 影から現れたジンさんは、『選定者』の眼前に右手を翳し、




「――奪う」




 短く、唱えた。


 これは……相手の視界から光を奪う魔法。

 突然視力を失ったことに『選定者』は混乱し、ナイフをめちゃくちゃに振り回し始める。


「くそっ……なんなんだコレ?! どこにいやがる?!」


 でたらめな軌道を描くナイフを躱し、影から現れたジンさんは間合いを詰めると――

『選定者』の顎に、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


「がは……っ!」

 

 骨が外れるような音と共に、『選定者』は白目を剥き……

 バタンと、その場に倒れ込んだ。



 動かなくなった『選定者』を押さえ込むようにして、もう一人のジンさんが取り出したロープで縛り付けていく。

 回し蹴りをした方のジンさんは、床に落ちたナイフを静かに拾い上げた。そして、


「メル、大丈夫か? 怪我はないか?」


 と、いつものように心配げな顔を向けるので……

 私はいよいよ混乱し、二人のジンさんを交互に指差す。


「じ、じじじ、ジンさんが二人……?!」

「あぁ、混乱させてすまない。俺が本物で、そっちがエミディオだ」

「えぇっ?!」


 つまり、影から出て来て、回し蹴りをした方が本物で……

 私に「添い寝云々」の話をしたのは、エミディオさんだったってこと……?!

 なら、エミディオさんの魔法って……"他人そっくりに見た目を変えられる能力"……?


 驚きのあまり目を点にしていると、『選定者』を縛り終えたエミディオさんが、ジンさんの顔のまま「あはは」と笑う。


「ごめんごめん。この男が近くをウロついていたから、『選定者』か確かめるためにわざとジンの姿で教会に入ったんだ。『選定者』ならメルちゃんを連れ去ったジンの顔を知っているはずでしょ? せっかく戻って来たメルちゃんをまたジンが連れて行くんじゃないかって、焦らせてやろうと思って。案の定、入るタイミングを窺っていたこいつを炙り出すことができた、ってわけ」


 そう、軽い口調で説明する。

 なるほど……全ては『選定者』をおびき出すための罠だったのか。

 すぐに捕えず、部屋の中を逃げ回ったのも、ジンさんの潜む影がちょうど『選定者』の背後に重なる位置へと誘導するため……確実に仕留めるための戦略だったのだ。

 

 その作戦は理解できたが、私は未だ驚きを消化できず、思わず声を上げる。


「こういう作戦の可能性があるなら、エミディオさんの能力を先に教えておいてくださいよ! 私まで騙されたじゃないですか!」

「あはは。ほら、よく言うでしょ? 『敵を騙すにはまず味方から』って。君のリアルな怯えっぷりのお陰で、こいつもすっかり騙されてくれたよ」


 立ち上がり、手をパンパンと叩きながら言うエミディオさん。

 本当に、嫌と言うほど怯えさせられたが……

 お陰でようやく『選定者』を捕えることができた。

 

 その事実を再認識し、私はほっと息を吐く。

 これで、ジンさんの『復讐』のシナリオが一気に進む。

 こいつの口を割らせることは難しいかもしれないが、私が所有物から記憶を見れば、アジトの場所などを探ることができるだろう。


 よかった……何とか無事に終わった。


 安堵に顔を綻ばせ、ジンさんの方を見ると、彼もにこっと笑い返してくれた。


「さて、任務完了だね。あとはこいつを連行して……」


 ……と、エミディオさんが再び『選定者』に手を伸ばしかけた――その時。




 ――ブワァッ!!




 目の前が、猛烈な熱気に包まれた。

 

 反射的に閉じた瞼を無理矢理開け、前を見ると……



 横たわる『選定者』を中心に、炎が上がっていた。



「なっ……! まさか、もう一人仲間が……?!」


 後退りしながらエミディオさんが言う。


 そんな……口封じのために、『選定者』ごとここを焼き払うつもり?!

 それに、この蛇のようにうねる炎は……


(記憶の中で見た、ジンさんの家族を襲った炎と同じ……!)


「メル! 早く逃げるぞ!」


 私の思考を遮るようにジンさんが言う。

 私は頷き、扉の方へと駆ける……が。



 ――バキバキ……ッ!!



 その行く手を阻むように、天井の一部が焼け落ち、私のすぐ目の前に落下した。


「きゃっ……!」

「メル! 大丈夫か?!」


 背後から抱くように、ジンさんが言う。

 幸い直撃はしなかったが……出口への動線を完全に塞がれてしまった。


「メルちゃん! ジン!!」


 エミディオさんが振り返って叫ぶ。彼だけは扉側にいたため、すぐにでも脱出できる状況だ。


「行け! シスターの避難と敵の追跡を最優先しろ!!」


 ジンさんが叫ぶ。

 エミディオさんは一瞬だけ歯を食いしばると……意を決したように、部屋の外へと駆けて行った。




 ――パキパキと音を立てながら、全てを焼き尽くす赤い炎。

 ただでさえ古くてボロボロな木造の建物だ、燃え広がるのはあっという間だった。



 猛烈な熱気に、肌だけでなく肺まで焼かれそうで、私は服の袖を口元に当て「ごほっ」と咳をする。


「メル、その場にしゃがめ。低い位置で呼吸するんだ」


 私の身体を支えながら、ジンさんが冷静に言う。

 しかし、私の肩に添える彼の手は震えていた。


 当然だ。だって、彼は……家族を焼き殺されたトラウマで、炎に強い恐怖心を抱いているのだから。


「じきに助けが来る。落ち着いて、ゆっくり酸素を取り込め」


 なのに彼は、こんな状況でも私を気遣う。

 その優しさが切なくて、彼に二度も恐怖を与える組織が許せなくて……

 私は床に膝を付きながら、ジンさんの身体をぎゅっと抱き締める。


「ジンさんも、大丈夫ですよ……私がいますから。信じて、待ちましょう」


 こんなことで彼を安心させられるかはわからないけれど、少しでも恐怖を和らげたくて、私は力強く彼を抱き寄せた。

 私の抱擁に、彼が「メル……」と呟いた――直後。



 私たちの真上の天井が、バキバキと音を立てながら、崩落した。



「……っ!!」


 駄目だ、ぶつかる……!

 直撃を覚悟し、目をぎゅっと瞑る。


 しかし……痛みも衝撃も、私の身には降り掛からなくて。



「……?」


 恐る恐る目を開けると――私の頬に、何かがぽたっと垂れた。




 それは、ジンさんの血。


 ジンさんが、私に覆い被さるようにして、落下した天井を背中で受け止めてくれたのだ。


 そして――後頭部から流れる血が、彼の頬を伝って、私に落ちていた。




「ぃ……いやぁっ! ジンさんっ!!」


 目の前の状況を認識した私は、金切り声を上げる。

 しかしジンさんは、ふっと笑みを浮かべ、


「ちょうどよかった……これで、"影"ができたな」


 そう、掠れた声で呟く。

 私はハッとなって自分の身体を見る。彼が覆い被さったことで、私の身体に黒い影ができていた。


「これなら、君を影に隠すことができる……すまないが、助けが来るまで、中に隠れていてくれ」

「ジンさんは?! ジンさんも一緒に、影に入るんですよね?!」

「俺がここを離れたら、炎で影が安定しなくなる……それに、この狭さでは君一人入るのがやっとだ。いい子だから、大人しく入ってくれ」

「いやっ! それより早く治療を……その背中を治癒しないと……!!」

「俺のことはいい……元より火傷だらけの背中だ。君の綺麗な肌が傷付くことの方が、俺には耐えられない」


 そう言うと……

 彼は、小さく笑って、魔法を発動し始めた。


 私の身体が、背中からゆっくりと沈んでいく。

 両手を伸ばし、もがこうとするが、まるで底なし沼に捕えられたように意味がない。


「ジンさんっ……ジンさんっ!!」


 私の頬を、涙が伝う。


 嫌……こんなの、絶対に嫌。

 私だけが助かって……ジンさんが、炎に飲まれてしまうなんて。


「嫌です、ジンさん! 私だけが助かるくらいなら、一緒に焼かれた方がマシです!!」

「そんなことを言うな。俺は、君にだけは生きていてほしいのだから」

「なんで……どうして、私なんかのために……!!」

「まったく……つくづく鈍感だな。君にはシナリオを狂わされてばかりだ」


 そして。

 ジンさんは、泣きたくなるくらいに優しい顔で笑って、




「――メル。俺はずっと……君を…………」




 真っ暗な影の中へと沈みゆく刹那。


 彼の唇が、何かを紡ごうとした――――その時。







「――メルフィーナさん!!」



 そんな、聞き覚えのある声と共に。

 私の顔面に、大量の水が、バシャーンッ! と降り注いだ。


 影から顔だけ出した状態の私は溺れそうになり、慌てて顔を左右に振る。と……

 再び開けた瞼の先に炎はなく、代わりに水浸しになった部屋が広がっていて……


「これは、一体……」


 同じく髪からぽたぽたと水滴を垂らすジンさんが、不思議そうに周囲を見回すと……

 真っ黒に焦げた扉の向こうから、誰かが駆け込んで来た。


 エミディオさんと同じ特殊捜査部隊の制服に身を包んだ、小柄な少女……

 その人物に、私は目を見開き、



「ふぁ……ファティカ様?! どうしてここに……?!」



 安堵したように笑う彼女に向け、驚愕の声を上げた。



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