38 出戻った"聖女"


 西に傾き始める日差しを浴び、私の影が、石畳みに長く伸びる。

 

 今、この影の中に――ジンさんがいる。

 決して離れることのない影となって、私の側にいてくれる。

 

 そう思うと、恐れも不安もなくなって、私はトランクを片手に、教会までの道のりを足早に進んだ。




 やがて見えた教会は、一ヶ月前と変わらぬ姿でそこに建っていた。


 塗装の禿げた木製の扉。

 あちこちひびの入った白い石壁。

 至るところに蔓延る緑色の蔦。


 要するに……教会の一大イベントである『聖エレミア祭』の前日にも関わらず、なんの飾り付けもしていないのである。

 

(あぁ……嫌な予感しかしない)

 

 私は意を決し、軋んだ音のする扉をそっと開けた。

 

 礼拝堂の中に入ると、案の定、薄暗い。そして、誰もいない。まるで、初めて訪れた時の再現だ。


「ドロシーさーん……?」


 恐る恐る呼びかけるも、私の足音が響くばかりで返事はなし。もしや、昼間から酔っ払って自室で寝ているのか?


 と、ベンチが並ぶ礼拝堂を奥まで進んだところで、「ぐぅ」という低い音が聞こえた。そちらに目を向けてみると……

 礼拝用のベンチで、酒瓶を抱き締めながら爆睡するシスター・ドロシーの姿があった。


 ……惜しい。自室じゃなくて、ここで寝ていたか。


 なんて言ってる場合じゃない。私はツカツカ歩み寄ると、いびきをかいているドロシーさんを揺り起こし、


「ドロシーさん! 私です、メルフィーナです! 戻って来ましたよ!」


 耳元で、大声で呼びかける。

 ドロシーさんは「んあ?」と瞼を開け、むくりと起き上がり……しわしわの手で、しわしわの目を擦りながら、私を見つめる。


「ありゃ……メルフィーナさん……? こりゃ夢かね」

「夢じゃないですよ。魔法学院の先生に解雇されたので戻ってきました。また『聖女』をやらせてください」


 我ながら単刀直入すぎる伝え方だとは思うが、この人相手に余計な小細工は不要だ。現に、


「せいじょ……はっ。また『聖女』になってくれるのか……?!」


 ほら、食い付いた。

 一気に覚醒したのか、ギョロッと大きな目を見開くドロシーさん。私は、聖女らしく清楚に微笑み、


「はい。まずは、明日からの『聖エレミア祭』の準備をしましょう。この教会に、たくさんの方に来ていただけるように」


 優しい声音で、そう言った。





 ――ドロシーさんの話によると、私が教会を去った後、いろいろ大変だったらしい。


 まず、私の治癒力目当てで通っていた人たちから「何故、聖女がいないのか」との困惑の声が殺到。そこへ、私がジンさんに連れて行かれる現場を見ていた人が「ドロシーさんが聖女を男に売った!」と暴露し、余計に大混乱。金にがめつい悪徳シスターと非難され、以来教会には誰も来なくなってしまったのだそうだ。


(……って、なにもかも自業自得じゃない)


 教会の扉に花輪を飾りながら、私は目を細める。そうなることを予想せず、本当に目先のお金目当てに私を売ったんだな、この人は。


「しかし、メルフィーナさんが戻って来て本当によかった……あなたには、やはりその修道服がお似合いじゃ。これもエレミア様が齎した奇跡。お祭りを盛り上げ、感謝をお伝えしなければな」


 と、教会の周りに生えた雑草を抜きながら、ドロシーさんが言う。聖職者ぶったセリフを口にしてはいるが、その吐息は未だ酒臭い。


 私が戻って来たことでまたお布施が稼げると浮かれているのだろうが、残念ながらこれは、長くて五日の夢である。

 それどころか、『選定者セドリック』が強引な手段で私を連れ去ろうとした場合、ドロシーさんにまで危害が及ぶ可能性もある。

 もちろんそうならないよう、ジンさんたちと事前に打ち合わせ済みだが……いずれにせよ、ドロシーさんが望む"お布施でウハウハ生活"は永久にやってこない。

 彼女には申し訳ないが、シスター業を疎かにし続けた天罰だと思い、今度こそ改心してもらいたいものだ。


(……まぁ、それもこれも『選定者セドリック』がエサに釣られて現れてくれればの話だけど)


 そこで、私は満を持してドロシーさんに尋ねることにする。


「そういえば……セドリックさんは、あれからお見えになりましたか? 彼の治癒をしている最中にここを去ることになったので、申し訳ないことをしたとずっと思っていたのです」


 内心の緊張を隠しながらそう聞くと……ドロシーさんは、あからさまに肩を落とし、


「あの傭兵の方は、あれから一度も来ておらん。毎回お布施を持って来てくださる太客……ではなく、熱心な訪問者だっただけに、とても残念じゃ」


 と、本音をだだ漏らしつつ、ため息をつく。あれから来なくなったということは、やはり私を連れ去ることが目的だったのだろう。

 そのことにあらためてぞっとするが、私はドロシーさんの肩に手を置き、


「怪我の多い方でしたから、治療ができずに困っているかもしれませんね……私が来たことをみなさんにお知らせして、ぜひまた来てもらえるようにしましょう。噂が広まればいろんな方が戻って来て、きっと賑やかな教会を取り戻せるはずです」


 そう、にこやかに伝えた。

 ドロシーさんはその目にギラリとした野心を光らせ、何度も頷き、


「えぇ、えぇ! 明日からの五日間がまさに勝負! そうと決まれば、早速宣伝を!!」


 と、草むしりを中断し、もの凄い勢いで走り去ってしまった。


 手に取るようにこちらの思惑通り動く彼女に、思わず苦笑いをする。

 走り去る小さな背中を眺める自分が、なんだかご老人を騙して利用する悪女のようにも思えてくるが……仕方がない。ジンさん曰く、私は"したたか"なのだ。そんな私を彼は気に入ってくれたらしいから、いっそ誇りに思うことにしよう。


 

 ……さて。


 私はドロシーさんのいないこの隙を見計らって、教会の中へと戻る。

 そして礼拝堂を抜け、奥にある扉――私が来訪者の治癒に使用していた懺悔室へと入る。


 

 ここは、ジンさんと初めて会った場所。

 そして……『選定者セドリック』と、最後に会った場所だ。



 その部屋の中央に置かれたテーブルに触れ、私は意識を集中させる。



(私がジンさんに連れ出された後……セドリックがどうしていたのか、教えて)



 あの日、私がジンさんに連れ出された後、セドリックは懺悔室から出てこなかった。

 突然の展開に驚いて動けなくなっているのだと思っていたが……彼の正体を知った今、ここで何をしていたのかが気になった。


 私の願いに応えるように、脳裏に情景が浮かぶ。

 そこには、半開きになったドアを見つめ、立ち尽くすセドリックの姿があった――




 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎



 

「ドロシーさん! これは一体どういうことですか?!」


 ドアの向こうから響く、私の声。

 セドリックは一人、「はぁ」と息を吐くと、


「……チッ。あと少しだったのに」


 捻った首をゴキゴキッ、と鳴らしながら、酷く不機嫌そうな声で呟いた。

 

 その声も、眉を顰めた表情も、あの人懐っこい第一印象からはかけ離れている。

 これが……この男の本性。



「わざわざ自分で傷まで付けてたのに……この数週間の苦労が水の泡だ。時間に干渉できる能力は、めったにお目にかかれないんだけどなァ」



 そう気怠げに言うと、捻っていた首を真っ直ぐに戻し……

 あの、"傭兵・セドリック"の親しみやすい笑顔を浮かべ、静かになったドアの向こうへと向かい、


「あーびっくりしたぁ。ドロシーさん、メルフィーナさんが男の人に連れて行かれちゃったけど、大丈夫なんですか?」


 と、とぼけた声を響かせた――




 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎




「――……っ」



 記憶を見終え、思わず身震いする。


 私が治癒した『選定者セドリック』の傷には、骨にまで到達する深いものもあった。

 まさか、あれらが全て、自分で付けた傷だったなんて……

 

 そこまでして優秀な能力者を――高値で売買される犠牲者しょうひんを集めているというのか。

 私には到底理解できない、恐ろしい執念である。

 

 組織に繋がる有益な情報は得られなかったが、それ以上に、組織の異常さをまざまざと見せ付けられたようで……


「………………」


 私はしばらく、その場から動くことが出来なかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る