31 傷痕の追憶


 ジンさんの言葉に、私は耳を疑う。


『アイロルディ』が、ジンさんの本当の姓……?

 それに、十年前に暗殺された、って……



「それじゃあ……組織に暗殺されたのは、ジンさんのご友人ではなく……」


 震える私の言葉に、ジンさんは頷き、


「あぁ。殺されたのは、俺自身の一族だ。俺は家族の無念を晴らすため、暗殺を実行した組織と、手引きした貴族たちへの『復讐』を誓った」


 そう答えると……


 ジンさんは、彼を『復讐』のシナリオへと向かわせた過去について、ゆっくりと語り始めた――




「――俺が生を受けたのは、アイロルディ家という公爵の一族だ。魔法研究に長けた学者家系で、この国における魔法技術の指南役として代々王宮を出入りしていた。兄弟はいなかったが、優秀な父と優しい母、多くの使用人に囲まれ、何不自由ない幼少期を過ごした」


 公爵……つまりジンさんは、『王子』という愛称に違わず、本当に公爵プリンスの家系に生まれた人だったのだ。

 私は驚きを隠しつつ、続きに耳を傾ける。


「それが起きたのは、俺の十三歳の誕生日前日……魔法を授かる特別な日を前に、両親や親戚、使用人たちが前夜祭と称し、一日早い晩餐会を開いていた。来賓は誕生日当日に招くため、その日は身内だけでホールに集まっていた」


 私の脳裏に、先ほど本を通じて見た記憶が蘇る。

 赤い絨毯が敷かれ、眩いシャンデリアが輝く、美しい広間……あの場所で、ジンさんの誕生日の前夜祭がおこなわれていたのだ。


「気心の知れた者たちで過ごす、賑やかで、楽しい時間だった。あの時の俺は、家族に囲まれる幸せと、魔法を授かることへの期待に胸を躍らせていた。しかし……その幸せは、一瞬にして灰燼かいじんに帰した」


 ジンさんの瞳が、鋭く細まる。

 私は、胸がズキンと痛むのを感じながら……炎に包まれる広間を思い出す。


「突如、ホールに火の手が上がり、あっという間に燃え広がった。父に習い、魔法について学んでいた俺はすぐに理解した。蛇のようにうねる不自然な炎……何者かによる魔法攻撃に違いなかった。その上、ホールの全ての扉が閉ざされており、外に逃げることも叶わない。母も、親族も、家族同然に慕っていた使用人たちも、みな炎に巻かれ、倒れていく。そんな中、父が床下の古い避難壕を開け、俺に言った。『お前一人だけならここに避難できる。火が収まるまでこの中にいろ』と……誕生日プレゼントに用意していた、その本を押し付けて」


 と、ジンさんはテーブルの隅に置いた本――先ほど私が記憶を見た、赤い表紙の本を一瞥する。


「父を助けようと、俺は必死に扉を叩いた。しかし、鉄製の扉はすぐに熱せられ、触れるだけで皮膚が焼け爛れた。真っ暗な避難壕の中、俺は何もできないまま……頭上で家族たちが焼け死ぬ音を聞いた」

「……っ」


 あまりにも凄惨な過去に、私は口元を覆い、絶句する。

 ジンさんは鋭い眼光のまま、しかし落ち着いた声で続ける。


「……どれくらいの時間が経ったか。建物が燃える音が静まった頃、頭上に気配を感じた。数名の、人の足音だ。最初、俺は助けが来たのかと思った。存在を知らせるため、熱の冷めた扉を叩こうとするが……そこで、こんな声が聞こえた。『死体の数が足りなくないか?』、と」

「……まさか……」

「そう……火を放った犯人の声だ。恐怖に震えながら息を殺すが、奴らは避難壕の存在に気付いた。焼け落ちた瓦礫を掻き分ける音に続き、鉄の扉を開けようとする乱暴な音が響いた」


 その時の絶望を想像し、私は苦しくなる。怒り、焦り、恐怖……あらゆる負の感情が渦巻き、身を震わす絶望となって、幼い彼を襲ったに違いない。


「見つかれば、間違いなく殺される。父に繋いでもらったこの命を失うことが怖くて、俺は必死に祈った。『神様、どうか見つからないよう俺を隠してくれ』、と。その時……ちょうど、十三歳の誕生日を迎えたのだろう。俺の祈りに応えるように、力が宿るのを感じた。精霊が齎した、『影』に身を隠すことのできる魔法だった」


 それが……ジンさんが、『影』の魔法を授かった理由。

 まさか、こんな辛い経験に起因したものだったなんて……


「俺が『影』に紛れた直後、避難壕の扉が開いた。姿を見ることはできなかったが、何者かがこちらを覗いていることは明らかだった。『影』の中で息を殺していると、扉は閉まり、足音は去って行った。再び閉じ込められた俺は、執事のヤドヴィクに発見されるまで、暗い避難壕の中で過ごした。火災から、実に三日が過ぎていた」

 

 聞けば聞くほどに、胸が張り裂けそうになる体験だ。

 狭く、真っ暗な場所に、三日も閉じ込められていたというのか。家族を失い、飲まず食わずで、恐怖と絶望を抱えながら……どんなに辛かっただろう。


「執事のヤドヴィクとその妻のヘレンは、俺の誕生日プレゼントの用意でたまたま火災の時に外出していた。治安部隊による現場の実況見分が終わり、ようやく立ち入りが許可されたところで、俺を見つけたらしい。というのも、意識が朦朧としていて、救出された時のことはあまり覚えていないんだ。次に意識が戻った時、俺はヤドヴィクの生まれ故郷であるイドリス領にいた」

「ということは……ジンさんが王都に来るまで暮らしていたのは、本当の祖父母ではなく、執事のご夫婦の元だったのですね?」

「そうだ。治安部隊は『火の不始末による事故』と断定したが、俺だけはあの火災に黒幕がいることを知っていた。しかし、俺の生存が知られれば再び命を狙われる恐れがある。そのため、俺はヤドヴィクの養子となり、彼の姓である『アーウィン』を名乗るようになった」


 そうか。それで……

 彼は本名を隠し、『ジン・アーウィン』として生きるようになったのだ。


「黒幕の正体を掴むため、俺は影に身を潜める能力を使い、様々な場所を調べた。焼け落ちたアイロルディ家の屋敷、関わりの深かった貴族の邸宅、父の職場である魔法研究所……そうして見えてきたのは、一部の貴族が手を染める違法な人身売買と、それを実行する犯罪組織の存在。父はその不正に気付き、国王に告発すべく準備を進めていた。しかし、そのことに勘付かれ、告発前に暗殺された……あとは、君も知っての通りだ」


 そうしてジンさんは、貴族の情報と、人身売買の犠牲者が集まるであろうウエルリリス魔法学院の教員となった――



 そう脳内で補完し、私は唇を噛み締める。


 語り終えたジンさんは、いつもの落ち着いた表情でいる。

 これだけ凄惨な過去を語ったというのに、動じていない様子だ。

 逆に言えば、この境地に至るまでに、きっと何度も傷付いてきたのだろう。

 彼の十年間を想像しただけで……私の方が泣いてしまいそうになる。


「……何が、できますか?」


 私は、震える胸に手を当てながら、言う。


「私……ジンさんの力になりたいんです。あなたの『復讐』に、役立てる人間になりたい。今の私に……何かできることはありませんか?」


 それは、ずっと胸に秘めていた想い。

 だからこそ私は、過去のトラウマと向き合った。

 

 私の問いに、彼は目を見開くと……ふっと、困ったように笑って、


「では……こちらに来てくれないか?」


 椅子を引いて、自分の目の前を指差した。

 私は言われるがままに立ち上がり、椅子に座る彼の前に立つ。すると、



「……わ……っ」


 ――ぎゅ……っ、と。

 彼の腕に、身体を抱き寄せられた。



「すまない……こう見えて、動悸がおさまらないんだ。落ち着くまで……こうさせてほしい」


 胸のすぐ下で弱々しく言う彼に、喉がきゅっと詰まるような感覚に陥る。


 ジンさんがこんな風に甘えてくるなんて、普段の毅然とした態度からは想像もできない。

 平気なように見えて、ずっと……無理をしているんだ。

 

 私は申し訳ない気持ちを抱きながら、彼の頭にそっと手を添える。


「……ごめんなさい。とても辛いお話をさせてしまいました」

「いや、いいんだ。君には全てが終わったら話すつもりでいた……むしろ、今まで嘘をついていてすまなかった」


 そしてジンさんは、私を抱く腕により力を込めて、



「……君はもう、十分に役立っているよ。君が側にいてくれるだけで、俺がどれだけ救われているか……『復讐』を果たすまでは心から笑えないと思っていた俺が、毎日笑えている。毎日、生きることを楽しめている。全て、君のお陰なんだ、メル」



 なんて、切なげな声で言う。


 私は胸が熱くなって、そんな風に思ってもらえていることが嬉しくて堪らなくて……

 ジンさんへの想いで、胸の中がいっぱいになる。



「だから……これ以上、危険な領域に踏み込まなくていい。何かしなくてはと、責任を感じなくていい。君は、ただ笑って……俺の側にいてくれ」



 ……だめ。

 好きだから。大好きだからこそ。

 その言葉には、素直に喜べない。


 あなたがこんなに苦しんでいるのに、ただ笑っているだなんて……そんなの、できるわけない。



(ジンさんの力になりたい。これ以上、傷付いてほしくない。本当に、私にできることは……他に何もないの?)



 そんな、もどかしくて切ない、やりきれない気持ちを伝えるように……

 私はジンさんの頭をぎゅっと、抱き締めた。



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