24 初めてのお暇


 ――次の日の朝。



「……では、これを」


 ジンさんのお屋敷の、リビングにて。

 私は、目の前に差し出されたティーカップと対峙する。

 

 なんでも少し前にジンさんのご友人が来た時に割ってしまったらしい。割れた箇所を漆と金で継ぎ、修繕する方法があるので、職人さんに依頼するため保管していたのだという。


 そんな、割れて三つに分かれているティーカップに、私は右手をかざす。

 そして、意識を集中させ……「元に戻れ」と念じた。


 すると、ティーカップがカタカタと動き出し、パズルのように断面同士がくっつき……傷一つない、新品同様のカップになった。


「……次は、これを」


 そう言ってジンさんは、一冊の本を差し出す。

 かなり年季の入った、古い本だ。ジンさんがとあるページを開くと、挿絵のある箇所にビリッと亀裂が入り、破けていた。


 そんな、ページの破れた本に、私は右手をかざす。

 そして、意識を集中させ……「元に戻れ」と念じる。


 すると、本のページがふわりと浮き、破けた箇所が徐々にくっつき……皺一つない、新品同様のページになった。


 その一部始終を見届けたジンさんは、「ふむ」と顎に手を当て、


「これではっきりした。君の言う通り、君の能力は、厳密には『治癒』ではなく『修復』なのだろう」


 そう、興味深そうに言った。

 

 私は「やっぱり……」と苦笑いする。

 長年『治癒』の力だと思い込んでいた自分の魔法が、まさか物も直せる『修復』の力だったなんて。


「しかも、十年以上前の損傷まで復元可能。『修復』の能力については前例もあるが、ここまで遡ることのできる者は聞いたことがない。精度もかなりのものだ」


 と、ジンさんは直った本のページをじっくり眺める。

 どうやら、似たような能力を持つ人の中でも私の力は特に強力なようだ。

 

 ってことは……ジンさんの『復讐』に役立つ人間になることも、夢ではなかったり?


「この能力って、どんなことに生かせますかね? 何か、特別な使い方ができたりするんでしょうか……?」


 緊張しながら、ジンさんにそう尋ねるが……

 彼は顎に手を当てたまま、暫し考え込み、


「そうだな……例えば……」

「例えば……?」

「まず、確実に言えるのは――掃除が楽になるだろうな」

「……え?」


 聞き返す私に、ジンさんが続ける。


「長年沈着した落ちにくい汚れも、君なら新品の状態に戻すことができる。それから、食器や家具を買い替える必要がなくなるな。節約にはうってつけだ」

「は、はぁ……」

「俺としては、ぜひ料理にも役立てて欲しい。俺が歪な形に切ってしまった野菜も、君なら元に戻すことができる。そうすれば、俺は何度でも実践を積むことが可能だ」


 って、あなたはどこまで野菜カットのスキルを極めるつもりなんですか?!

 というツッコミは、胸の内にしまって。


 ジンさんの挙げる『修復』の使用例はどれも家庭的過ぎて……とてもじゃないが、『復讐』に役立てるとは思えない。

 

 やはり、彼にとっては利用価値のない能力なのだろうか……?


 と、少し落ち込んでいると、ジンさんが私の頭にぽんと手を乗せ、


「見出した能力をどう生かすかは君次第だが……とにかく、よく頑張ったな。君が自分の心と向き合い、努力した結果だろう。この短期間ではなかなかできないことだ。自信を持て」


 そう、フォローするように言った。

 その優しさに、頭を撫でる手の温かさに、胸の奥がきゅっと切なくなる。

 

 違うのに。

 私が魔法の能力を磨きたいのは、ジンさんのためなのに。

 あなたの役に立てないんじゃ……頑張った意味なんてない。

 

 ……やっぱり、足りないんだ。

 わかっている。本当は、自分が一番向き合うべき過去と、まだ向き合えていない。

 

 それは……病に冒された、母の記憶。

 

 だから、この能力には、まだ秘められた力があるかもしれない。

 それを見出すことができれば、今度こそ、ジンさんの力になれるのかな……


 私はぐっと拳を握り、顔を上げて、


「……ありがとうございます。この力をもっといろんなことに活用できるよう、引き続きの講義を聞かせていただきますね」


 彼の目を見つめ、そう言った。

 すると、ジンさんはピクッと肩を震わせ、目を細めて、


「……やはり、早急に手配する必要があるな」

「え? 何を?」

「君の学生服だ。それを着て、もう一度『先生』と呼んでくれ」

「は?!」

「メイド服、修道服、秘書風、新妻風エプロン姿と、これまで様々な衣装を見てきたが……やはり制服姿も見てみたい。絶対に似合う」

「前々から思っていたんですけど、ジンさんってひょっとしてコスプレフェチですか?!」

「今まで自覚はなかったが、そうなのかもしれない」

「へ……変態教師!!」

「それは違う。俺は制服そのものに興味があるわけではない。いろいろな服を着せられて恥じらう君の反応が見たいだけだ」

「余計にタチが悪いですよ!!」


 もう、人が真剣に悩んでいるのに、ふざけたことばっかり言って……!

 私がギロッと睨み付けると、ジンさんは楽しげに笑い、肩をすくめる。


「そう怒るな。今日はせっかくの休日だ、君も仕事や勉強のことは忘れて、羽を伸ばしてくるといい」


 そんなことを言って、私から離れる。

 彼の言う通り、今日は学院のお休みだ。新学期が開講してから初めての休日なので、何をして過ごそうかと考えていたのだが……


「……メル。君の初任給と、ボーナスだ」


 再び私の前に歩み寄り、ジンさんが言う。

 その手には、お給料にしては明らかに分厚い紙幣が握られていて……

 私は慌てて手を振り、受け取りを拒絶する。


「い……いやいや、そんなにいただけません! まだ何の役目も果たしていないですし、生活費も全部負担していただいているのに……!!」

「何を言う。寝坊の阻止、スケジュールの管理、書類の整頓、掃除に洗濯に料理。君には十分過ぎるくらいに働いてもらっている」

「でも、家事は分担していただいていますし……」

「いいから受け取ってくれ。知っての通り、金には困っていない。それに、犯罪組織に関わるようなことに協力してもらっているんだ。補償としては足りないくらいだろう」


 確かに、間接的とはいえ危険なことに首を突っ込んでいる自覚はあるが……そんなのは承知の上で彼について来たわけで。

 

 受け取りを拒否するための次の言い訳を考えていると、突然、ジンさんさんが私の背後を指差し……こんなことを口にした。


「……大変だ、メル。後ろに、でかい虫がいる」

「えっ?! どどどどこですか?!」


 バッ! と振り返り、毛を逆立てながら目を見開く。直後……

 ジンさんは私の手をぐいっと掴み、無理矢理紙幣を握らせてきた。

 

 振り返った先には虫の影すらない。

 つまり、彼にハメられたのだ。


「はっ! 騙しましたね?!」

「人聞きの悪い。給与の支払いは雇用主の義務だ。俺は義務を果たしたまで」

「くっ……」

「とにかく、それで少し遊んでこい。俺は講義の準備があるから留守番している。せっかくなら昼食も食べてくるといい」


 そう言って、スタスタとリビングを去って行った。

 残された私は、手の内にある分厚い紙幣を見つめ、


「…………」


 さて、どうしたものかと、暫し立ち尽くした。


 



 * * * *


 



「『羽を伸ばせ』と言われても……やりたいことも、欲しいものもないしなぁ……」


 いつもの仕事用のワンピースから私服のブラウスとスカートに着替え、私は城下町へと繰り出す。

 が、自分の物欲のなさに、早速困り果てていた。


 休日の城下町は、多くの人で賑わっていた。

 煉瓦畳のメインストリートには様々な商店が軒を連ね、老若男女が思い思いに買い物を楽しんでいる。

 

 田舎町で生まれた私にとって、この街の雰囲気は華やか過ぎて、未だに慣れない。

 街行く人々は皆お洒落で、同じ年頃の女の子たちも高そうなアクセサリーやワンピースで着飾っている。

 

 そうしたお育ちの違う人たちに対し、今さら劣等感を抱くことはないが……

 ふと、服屋の窓ガラスに映る自分に、目を向けてみる。


 ハーフアップに結っただけの、くせっ毛な髪。

 化粧っ気のない、幼さの残る顔。

 服には多少気を遣っているが、このスカートももう何年も前に買ったものだ。


(……こんな見た目じゃ、確かに頼り甲斐なんてないよね)


 そう思いながら、亜麻色の髪の先をいじってみる。


 きっとジンさんのお友達には、大人で魅力的な女性がたくさんいるはずだ。前からよく話に挙がる『ご友人』だって、色気のあるお姉様に違いない。

 それに比べて私は……見るからに田舎臭くて、子供っぽい。こんな頼りない見た目じゃ、とてもじゃないが組織との戦いになど関わらせてもらえないだろう。

 

 もっとお色気むんむんな……それこそ、物語に出てくる女スパイのような女性になれれば、ジンさんも協力者として最後まで使ってくれるかな……?

 

 ……と、そこまで考え、私は首を横に振る。

 物事には限度というものがある。こんな私がいきなりセクシー路線に進むのは、流石に無理があるだろう。

 

 でも……

 急に垢抜けることは無理でも、少しずつ……例えば、控えめな色のリップを塗るとか、目尻に色を差すとか、髪に香りの良いオイルを塗って艶を出すとか、そういうところから始めていけば、少しは魅力が上がるんじゃないかな?

 

 ……よし。そうと決まれば、買いに行こう。

 あとは……


(ジンさん、最近生徒の課題の採点や講義の準備で忙しそうにしているから……何か『癒し』になるようなものを買ってあげたいな)


 そうだ、それがいい。

 彼のためにお金を使うのなら、私も罪悪感なく買い物を楽しむことができる。

 

 私は一つ頷き、賑わう街中へと足を踏み出した。


 



 * * * *




 

「結局、夕方近くになっちゃった……」


 城下町が橙色の夕日に染まる頃、私はジンさんのお屋敷へと帰り着いた。

 買い物をし、カフェで昼食を済ませ、また買い物をし……途中、道に迷ったりもしたため、予定よりも遅い帰宅になってしまった。


「……早く晩ご飯の支度をしなきゃ」


 そう呟きながら、私は買い物袋を抱え、お屋敷の玄関扉を開ける――と。

 その途端、私の鼻を、美味しそうな香りが掠めた。

 

 これは……何かを煮込んでいるような匂いだ。

 まさか、ジンさんが火を使った料理を……?


 疑問に思いながら靴を脱ぐと、玄関に一足、見慣れない革靴を見つける。

 それについて考える前に――廊下の向こうから、誰かが歩いて来た。


 

「あっ、おかえりー。もうすぐご飯できるよー」


 

 そんな明るい声と共に笑顔を向けるのは――眩しいくらいに綺麗な顔をした青年だった。

 

 歳はジンさんと同じくらいだろうか。金色の美しい短髪に、翡翠色の瞳。スラリとした細身の長身に軍服のような服を纏っている。

 その堅い服装とは裏腹に、柔和で人懐っこい笑みを浮かべた、爽やかな美男子だ。

 

 つまり……全く面識のない、知らない人。

 それが、お屋敷の中から出て来て、私に「おかえり」と言っている。


 ……えぇと…………つまり、どういうこと??


 私がすっかり混乱していると、金髪の青年の後ろからジンさんがヅカヅカと歩いて来て、その青年の首根っこを捕まえた。


「こら、エミディオ。メルを困らせるな」

「だってぇ、君の言うメルちゃんの『困った顔』がどんな感じなのか見てみたかったんだもん」


 何やら親しげに話しているが……一体、何者?

 私の疑問符まみれの顔を見て、ジンさんは小さく息を吐き、



「……こいつは、エミディオ・アーデルハイト。俺の『復讐』の協力者であり……勝手に飯を作りに来る、昔からの『友人』だ」



 そう、面倒臭そうに言った。

 


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