15 ひとつしかない椅子


 ――事務局で入館証などを発行し、私は名実共にウエルリリス魔法学院の関係者となった。



 受け取った身分証を何度も眺めながら、私はジンさんに続き、再び外の煉瓦畳を歩く。


 各棟へ繋がるメインの道から外れ、敷地の奥へ進んだ先に、校舎とは造りの違う建物が見えてきた。


 

 鳥かごのような形をした、ガラス張りのドーム……空を反射し青く光るその美しさに、私は思わず「わぁ……」と声を漏らした。


「あれが、今朝話したカフェだ。今日は教員と研究員のためだけに開いている。いつもなら生徒が殺到し、即売り切れるらしいが、今ならスコーンの種類も選び放題だろう」


 言いながら、ジンさんはガラスの扉を開ける。

 中には注文カウンターと、おしゃれなテーブル席がいくつもあった。きっと普段は多くの生徒で賑わう場所なのだろう。

 

 注文カウンターでメニューを確認すると、スコーンの種類は想像以上に豊富だった。


 悩みに悩んだ末、私は『チョコチップアーモンド味』と『紅茶とりんご味』のスコーンを選んだ。

 その横で、ジンさんは『くるみとキャラメルソース味』のスコーンの他に、ローストチキンと野菜がたっぷり入ったサンドイッチを注文した。

 

 支払いをしながら、ジンさんが「持ち帰り用に包んでほしい」と店員さんに言う。私は首を傾げ、小声で尋ねる。


「ここで食べて行かないんですか?」

「先ほどの会議を踏まえ、今後について話がしたい。俺の研究室で食べよう」


 ……ということらしい。



 スコーンの入った袋を受け取り、私たちはカフェを後にして、また別の建物に入った。

 先生方の研究室がある、研究棟だ。

 

 会議室のあった棟とは異なり、研究棟の内装は飾り気のない殺風景な造りをしていた。

 階段で三階まで上り、同じ扉がいくつも続く廊下を進み……突き当たりに行き着いたところで、ジンさんは足を止めた。


「ここだ。研究者として一番キャリアが浅いため、最も不便な場所に研究室が割り当てられている。俺としては、人の往来も少なく、かえって好都合だがな」

 

 そんなことを話しながら、彼は鍵を開け、私に入室を促した。


 そっと入ったその部屋は、今朝目にしたジンさんの自室に少し似ていた。

 壁一面に置かれた本棚と、中央にある大きな机。その他には何もない、研究のためだけの部屋、という雰囲気だ。


「椅子はこれしかないんだ。ここに座って食べてくれ」


 と、ジンさんが自分の研究机の椅子を引きながら言うので、私は慌てて手を振る。


「い、いえいえ。ジンさんが座ってください。私は立ってでも食べられますから」


 が、ジンさんは首を横に振り、すぐに反論する。

 

淑女レディに立ち食いをさせるなど、俺の紳士道ポリシーに反する。俺が立つから、君は座ってくれ」

「私だって雇用主にそんなことさせられません。秘書心が痛みます」

「……どうしてもか?」

「どうしてもです!」

「そうか……ならば、方法は一つしかない」


 ジンさんはスコーンの入った紙袋を机に置くと、背もたれの高い立派な椅子に腰掛け……真面目な顔で、こう言った。



「メル、俺の膝に座れ。これなら二人で座ることができる」

「それはもっと無理ですよ!!」



 ぽんと膝を叩くジンさんに、間髪入れずにツッコむ私。嗚呼、顔が赤らんでいるのが自分でもわかる。

 しかしジンさんは小首を傾げ、不思議そうに聞き返す。


「何故だ? 互いのポリシーを守ることのできる、最善の策だと思うが」

「ポリシー以前にモラルが守れないんですよ、その策じゃあ!!」

「そうだろうか? 俺が椅子に座る。その上に君が座る。それはもはや、君が椅子に座っているのと同義ではないか?」

「そうはならないでしょうよ! いや、なるのか?! もう、頭の良い人に真面目に言われるとワケわかんなくなる!!」

「とりあえず一度座ってみるといい。案外問題ないかもしれないぞ? 大丈夫だ、俺は一切動かないから」


 なんて、至極真剣な表情で言うので……私はゴクッと喉を鳴らし、彼の前に立つ。

 


 黒いスーツに包まれた、ジンさんの長い脚。

 この膝の上に、私が座るなんて……

 そんなことをしたら、お尻や背中からジンさんの温もりが伝わってくるだろうし、頭の後ろや耳元に彼の息遣いを感じてしまうかもしれない。


 そんなの……想像しただけで、もう……もう…………!



「っ……!!」


 あまりの恥ずかしさに、脳みそがパーンッ! と限界を迎える。全身が沸騰したように熱い。


 そうして、ジンさんの膝に視線を落としたまま固まっていると……彼が、「ぷっ」と吹き出した。


「あはは。すまない、冗談だ。君は本当に愉快な反応をするな」


 なっ……この人、また私を揶揄からかって……!?


「も……もう! そうやって人を弄ぶのやめてください! 本当に座っちゃってたらどうするつもりだったんですか?!」

「それはそれで構わない。半分は本気だったからな」

「っ……! そんなこと言ったってもう騙されませんからね! このペテン教師!!」

「ペテンとは心外な。俺は君に不利益が生じるようなことはしていない。風通しの良い職場環境を目指すべく、コミュニケーションを図っただけだ」

「風通しどころか心の扉が全力で閉まりましたけど?!」

「ふむ、俺の君に対する好感度は上がる一方なのだが……両想いになるというのは、なかなかに難しいものだな」

「あなたが変な意地悪しなければいいだけの話ですよ!!」


 はぁはぁと息を荒らげながら吠える私を、ジンさんは満足そうに眺め、椅子から立ち上がる。


「……と、このように君がいくら騒ごうが問題ないくらいに、この研究室の防音設備は優れている。密談をしたところで聞かれる心配はない。食事をしながら、話を進めよう」


 そう言って、机の上に腰掛け、袋からサンドイッチを取り出す。どうやら、そこに座って食べるつもりらしい。

 

 もう……ふざけていたかと思えば、急に真面目モードになって。ていうか、机に腰掛けて食べるなんて、お行儀悪いですよ!

 

 ……という言葉が喉まで出かかるが、そんなことを言えばまた『膝の上に座る・座らない』の不毛なやり取りが繰り返されるに決まっているので……


 私は黙って、空いた椅子に座ることにした。



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