2-4「いびつな村」

 籠原に連れられてやってきたのは、駅からほど近い場所にあるファミリーレストランだった。


 時間の関係もあってか、家族というより大学生と思しき組や、スーツを着たサラリーマンのほうが多く見られる。「お好きなお席に」と言われたので、何かあったときに逃げやすいよう、僕は先導して入口に近い席に座った。


「好きなもん頼んでいいぞ」


 籠原から差し出されたメニューを受け取り、料理の写真に目を通しながら、視界の端で彼の様子を窺う。どこかに合図を出したり、携帯でメッセージを送ったりする素振りはない。


 たしかに腹は減っていたし、金銭面を気にしなくていいのはたしかにありがたい。僕は一番高いステーキのセットを、かごめはハンバーグのセットをそれぞれ注文した。籠原はそれに、ドリンクバーを付けてくれた。


「先、飲み物持って来ていいから」

「ああ、うん、ありがとう」


 かごめを連れて席を立ち、ドリンクバーのコーナーへ向かう。グラスをかごめに渡してシステムを説明すると、「そんな夢みたいなことがあるの?」彼女は目を輝かせて言った。


「わ、すごい。本当に飲み物が出た」

「温かいのもあるよ」


 かごめがあまりに楽しそうにしていたので、状況も忘れてつい教えたくなってしまった。


「ほんとだ。あとで絶対に飲もう。感動で疲れも吹き飛んじゃった」


 そう言ったかごめは本当に疲れが吹き飛んだような表情だった。


 ドリンクが注がれている間、座席のほうへ視線を送る。籠原はソファにもたれかかったまま、携帯を操作していた。距離があるせいで、その画面を覗き見ることは叶わない。


 よく面倒を見てくれた籠原とはいえ、かごめの命がかかったこの状況では、様々な可能性を考慮する必要がある。


 席に戻ると、籠原は緊張感のない顔で「おかえり」と言った。「ただいま」と返すのも違う気がして、「うん」、つい素っ気ない返事が口を衝く。


「で、お前ら、どこ行くつもりだったの?」

「別に、何も考えてないよ。ただ逃げてきただけ」


 易々と彼に情報を渡すほど僕は愚かじゃない。もし彼が村人と繋がっていたとしたら、ここで逃げたとしても、夕作さんの家で待ち伏せされる可能性がある。


 彼らは、新幹線や飛行機で先回りできる経済力を持っている。


「東京だろ?」


 ニヤニヤと笑いながら言うから、ついグラスの飲み物を頭から被せてやりたくなった。正面を向いていても、かごめが不安そうにこちらを見たのがわかる。


「知ってたなら先に言えよ」


 苛立ちを隠さずに言うと、籠原は困ったみたいに眉尻を下げた。


「駅で訊いたんだよ。高校生くらいの二人組が来なかったかって」


 彼は警官だ。詳しいことはよくわからないが、うまく身分を使えば僕たちの情報を聞き出すどころか、監視カメラを見ることすら可能なのだろう。


「で、なに、『敵じゃない』って」


 僕が問いかけるのとほぼ同時、注文したハンバーグとステーキが到着した。ライスの皿やメインの料理が配膳されるのを、黙って待つ。「ごゆっくりどうぞ」と言って店員がいなくなったあと、籠原はようやく口を開いた。


「俺はお前らを助けに来たんだ」

「助けに?」

「村人が総出でお前らを探してる。柚沙、お前も捕まったらただでは済まないだろうな。だから俺がお前らを東京に送り届けてやる」


 当然ながら、かごめ様への供物を逃がした僕が、安全に村に帰れるとは思っていない。最悪、殺される可能性もあるだろう。だからこうして、かごめと一緒に逃亡している。


 それに対して、籠原が僕たちに手を差し伸べる理由がわからない。


「信用できないな」

「柚沙。檜神村って、おかしいと思わないか?」

「は?」

「お前らに言うのは違うかもしれないけど、明らかに異常だ。普通じゃない。かごめ様っていうのも、よくわからない。俺はもうあんな村にはいたくない」


 かごめ様は僕たちが生まれるずっと前からあの村に存在し、祀られてきた。子どもは悪いことをすれば「かごめ様に連れていかれるよ」と叱られるし、それは僕も例外ではなかった。でも、年を重ねるごとにかごめ様とは空想上の存在であると考えるようになった。


 そしてその考えは、かごめが生贄として殺されるまで、続いた。


「かごめは事故死として処理されることになっている。……俺は、かごめ様ってのは土着信仰の名残だと思ってたよ。でも、違う。今でも村の奴らは深く信仰してるし、外の世界を知ることがないよう、情報が規制されているように感じる。ああ、悪い、食いながらでいい」

「あ、うん」


 籠原が言ってからようやく、僕は自分の前に食事があったことを思い出した。それはかごめも同じだったようで、慌てたように箸を割っているのが見えた。


 意識が目の前のステーキに吸い寄せられ、一気に空腹が押し寄せてくる。


「あ、でも、籠原さんの言うこと、たしかに正しいかも。私も、村を出るのはよくないって言われて育ったし。柚沙の家族が外に出てること、お父さんがよくないって言ってた」

「え、そうなの?」


 予想しなかった場所で自分の名前が出て、すこし戸惑った。


 籠原の視線が下を向く。ビールは最初の一口で半分まで減っていたものの、この話が始まってから一度も口を付けられていない。彼が頼んだポテトも、全く減っていなかった。


「長男長女だけが優遇される制度だって、俺は聞いたことがない」


 制度、と言われると不思議な感覚がする。それは、誰かが口にした「決まりごと」というより、自然の摂理のように感じていた。


 でも、籠原の「あの村はおかしい」という言葉は理解できる。


 僕が他の村人と違うのは、外の世界を多く見てきたということだ。かごめ様というものが檜神村に特有の信仰だということには早い段階で気づいていたし、科学が発展し始めた現代において、呪いというものがどれだけ非現実的な存在なのかもわかっていた。


 だからかごめが生贄になるという話さえ、冗談として片付けてしまった。


 あの村が持つおかしな点は「呪い」だけではない。余所の土地では、兄弟の年齢にかかわらず同じ扱いを受けているように見えた。


 でも、僕が生まれたのはあの村だ。だから生きていくためには、父に、それから村に従うしかなかった。


「お前らは被害者なんだよ」

「まあ、実際にかごめは殺されてるしね」


 僕が言うと籠原は頭を掻き、決まりが悪そうに視線を逸らした。かごめは少し困ったように笑っている。今の言葉は失敗だったかもしれない、と漠然と思った。


 間を誤魔化すためにストローを吸うと、残っていた僅かな飲み物がずるずると音を立てた。


「檜神村がおかしいのは、僕もわかってる。それより、籠原さんが僕たちを助けようとする理由が訊きたい」


 彼の目的は未だにわからないままだ。警官が村を離れるというのは、それだけで不自然さがある。彼の他にも石郡という警官がいるから、出張などという業務に関する嘘は通らない。これだけの危険を冒すのだから、何らかの目的があるはずだ。


「あー」


 籠原はそう呟き、ビールに二度目の口を付けた。それに合わせて、つい止まってしまっていた自分の手を動かす。


「正直俺は人助けとかどうでもいい」


 警察官のくせに何言ってるんだ、と話を遮りそうになった。かごめも呆れたような表情を浮かべている。これでは横にいる巫女のほうが断然正義のヒーローっぽい。


「俺はな、困った人がいても、ある程度平和だったらそれでいいと思ってる。でも、あの村のやり方は、さすがに間違ってるだろ。俺は人殺しに荷担したくない」


 真剣さを隠すみたいに彼はポテトを口に放り込むと、残りのビールを一気に煽った。案外真っ直ぐな理由だったせいで、何も言葉が浮かばない。「なんだよ」、籠原はぶっきらぼうに呟いた。


「助けてくれるなら、頼りたい。だから、ありがとう」


 かごめが礼を言ったので、「まあ助けてくれるなら感謝はする」、僕も似たようなことを口にしておいた。


「お前ら、東京まで夜行バス、使うんだよな?」

「うん、そうだけど」

「俺と同時に村を出たヤツが何人かいる。明日の夕作さん家は警戒されてるからやめとけ」


 おそらく籠原も村から派遣された捜索隊の一人なのだろう。鹿児島中央駅で僕が駅員に相談した内容を他に漏らしていなければ、彼が一人で疑われることなく僕たちに接触できるのも頷ける。


 これだけ探しても見つかりませんでした、というのが僕たちにとって最も平和な解決方法だ。

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