1-3「捨てられた子供たち」

 檜神村は九州地方の山奥にある、人口三〇〇人程度の小さな村です。小学校の社会の授業で、先生が口にした言葉を今でもよく覚えている。たしか、自分たちが住む地域に関する授業だったはずだ。


 当時小学校に通っていたのは四十二人で、十歳未満の在校生がぴったり三十人だった。だからきっと、十で区切った年代それぞれに村人が三十人いるのだ。これは大発見だ、と当時は思った。


 しかし、実際は未就学児もいるし、九十代の人間より五、六十代のほうがずっと多い。年齢を重ねるごとにその理論への矛盾を自覚し始め、いつの間にか、僕は自分の間違いを自然に受け入れるようになっていた。


 この日、あのガレージに骨のような少年の姿はなかった。死んだかもしれない、と漠然と思う。


 地面を踏みしめるたびに礫が靴越しに足の裏を圧迫して、痛かった。道という呼称を使うには不完全で、どちらかと言えば「帯状に植物が生えていない場所」という表現のほうが正しい。でも、都会の景色を知らない人ばかりのこの村では、これを道と呼ぶ。


 細い道で、変なエンジン音を立てる車とすれ違った。僕は咄嗟に手に持っていた紙の束を隠し、不自然に見えないようやり過ごす。父が朝から忙しそうにしていたし、もしかしたら修理の予約を受けていたのかもしれない。


 どちらにせよ、家の手伝いをしなくなった僕には関係のないことだった。


 しばらく歩くと、遠くに田沼たぬま商店の輪郭が見えてきた。


 周囲を見回し、人の姿がないことに安堵の息を吐く。以前は閉店間際に訪れた際、隣の家の山畑やまはたさんが残っていて最悪だった。


 彼女は僕を見るなり「煩瑣が出歩くんじゃないわよ」と言い、皺の寄った眉間にそれでも皺を寄せ、ネギの飛び出たビニール袋を持っていない方の手で大袈裟に追い払う動作をした。


 間引かれた子どもは忌むべき存在だ。ある意味では、この村を襲っている不作や疫病の呪いを押し付ける器のようなものなのかもしれない。


 だから捨てられた子どもは名前ではなく、村の癌のような意味を込めて「煩瑣」と呼ばれる。


 山畑さんは昔から仲良くしてくれた近所の人で、幼いころはよく畑で取れたトマトやスイカをご馳走してくれた。彼女が忌々しいものを見る目をするようになったのは僕が間引かれてからだった。


 一年半ほど前、珍しく父が僕の部屋の戸を開けた。そんなことは母が病気で死んでから初めてだった。


「かごめ様の呪いが強くなった。食っていくのが難しい。うちも例外ではなくなった」


 その言葉を聞きながら、僕は、前に父が訪ねてきたときのことを思い出していた。


 東京へ旅行するその日、父は、寝坊しかけた僕を起こしに来てくれた。「仕方がないな」と言って僕を抱き上げた父の、たしかな腕の太さをよく覚えている。


 久しぶりに入ってきた父の後ろから笑顔で覗き込む母はいなかったし、呆れた顔の兄もいなかった。当然、明るい声で「早く行くよ」と言う姉もいない。


「だから、わかるな?」


 それが父と交わした最後の言葉だった。


 個人の力ではどうにもならないことが、人を取り巻く環境に蔓延している。何をしても覆せない、摂理、のようなものがたしかに存在している。そういうものに逆らうのは馬鹿のすることだ。


 無駄な抵抗というのはかえって状況を悪くする。もっと合理的に考えるべきだ。そしてどんな理不尽さえも受け入れることが、最も合理的である。


 田沼商店の前に来たとき、初枝はつえさんがシャッターを閉じているところだった。


「あら、どうだった?」


 年寄りらしくしゃがれた声で、しかしはっきりとした口調で、初枝さんが言う。そろそろ八十を迎えるはずだが、見方によっては父よりも若く感じられた。


「ちゃんと剥がしてきました」


 彼女は値踏みするみたいに僕を見たあと、素早く僕の手から紙の束を奪い取った。先月この村にオープンした、新しい売店のチラシだ。電柱や掲示板に貼ってあるものを剥がしてこい、というのが、廃棄になった弁当を分けてもらう今回の条件だった。


「誰かに見られなかったかしら?」

「昨日の夜中に剥がしたんで、たぶん見られてないと思います」

「まあ、全部あの人が悪いものね」


 悪巧みしているとは思えない華やかな顔で初枝さんは微笑んだ。「はは、ですよね」、と僕は目を伏せて同調する。顔を上げたとき、初枝さんはもう笑っていなかった。


 家族に捨てられた子どもは、家が所有するいかなるものにも手を付けてはならない。僕が最初に遭遇した壁は食糧の確保だった。


 初枝さんに仕事をもらうようになってからは、比較的安定して食事にありつくことができる。最近はライバル店を閉店に追い込むことがトレンドらしい。前は看板を破壊したこともあった。


「ほら、持っていきなさい」

「すみません、ありがとうございます」


 礼を言って受け取ると、米と肉の重みがずっしりと両手にのしかかった。この弁当があれば二日は空腹で苦しまずに済む。


 頭に先日の少年が浮かんだ。きっと腹が減っているだろう。だからといって自分の食糧を与えたり、田沼商店で出る弁当の廃棄のことを教えたりするつもりはなかった。


 初枝さんがこうして「煩瑣」に弁当を与えていることが知られれば彼女の立場が危うくなるし、何より、そうすることで僕の分け前が減る可能性がある。


 このまま戻れば少年の家の前を通ることになるため、家には帰らず、この日は檜神神社の境内で食事をすることにした。


 間引かれてからも部屋を使うことは黙認されているが、家の居心地は決していいものではない。


 猪の肉は空腹の胃によく馴染んだ。この日初めての食事に箸が進む。猪肉以外は、おそらくこの村の食材ではない。過度の不作に見舞われているこの村で、現在、作物はほとんど育たない。


 田沼商店の仕入れは初枝さんの息子である濤司とうじさんがすべて行っている。村外と繋がっている数少ない人間だ。かつての僕たち家族のように、旅行に出かけるほうがこの村では珍しい。


 ふと、仲がよかったころの家族を思い出していることに気づき、慌てて頭を振った。でも、あの頃は楽しかった。母と姉が病気で死んでからすべてが変わった。いや、始めから変わる余地があったのかもしれない。


 半分残った弁当を見つめる。いつまでこんな生活が続くんだろう、と思う。今さら考えたって仕方がないけど、でも強く、思う。


 進んで死ぬには何かが足りなかった。でも死の瞬間がきたら仕方ないと思うだろうし、そのときは受け入れるだろう。


 いつかやってくる死の瞬間をめがけて漠然と生きている。いや、先のことはきっと考えてない。いまを消費するだけの生活が、延々と続いている。

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