第17話




「殿下の力を借りることができれば、たしかにもっとずっと早くにあいつらを潰すことができたと思うわ。でもそれだと意味がないでしょう?」

「それ……ずっと言っているけど、どうして殿下の力をお借りしては駄目なの? こんなことを言うのはあれだけど……わたしとしては全力で借りて欲しかったわ! そうじゃないと、二人とも危険な目に遭っていたんじゃないの!?」


 レナはそのことがずっと気がかりだった。今回の顛末の中で、二人は一度たりとも危険な目に遭わなかったのだろうか。人を頼らず自力で成し遂げることは素晴らしいが、それは中身による。一歩間違えればレナを失っていたかもしれないと二人は怯えていたが、そんなのはレナも同じだ。


 だが、レナの心配もよそに二人は同時に冷笑を浮かべる。


「あいつらにそんな知恵はないですよ」

「自滅のいい見本だったわ」


 エリアスとカリンが探していたのは蟻の一穴――リストに名前が載っている貴族の弱みとなるものだった。どんな些細な不祥事でもいい。それを見つけ出し、大穴になるまで広げ、そこに顧客もろとも義家族を突き落とす。その切っ掛けを死に物狂いで探していたのだが、これが笑えるほど簡単に見つかる。


「リーフェル子爵はあいつらの顧客の一人だったんですが、カリンが一人遅くまで図書館に籠もっているのを知って、声をかけてきたんです」

「正確にはご子息のミズロ様、ね。以前から何度も声をかけてきてめんど……鬱陶し……困っていたんだけど」

「え待ってカリンまさかあなたそのくそ息子になにか……」

「大丈夫よお姉様! 昔お姉様が教えてくれた逆関節をキメてやったら一発で大人しくなったから!」

「大丈夫じゃないじゃないー! はーっ!? うちのカリンになにしてくれてんのそのくそ息子ー!! ちょっと殿下! 今すぐ吊してやりましょう!!」

「落ち着け」


 レナの剣幕にクラウドは呆れ顔を隠そうともしない。


「その時点でカリンには密かに護衛を付けていたから指一本触れさせてもいない。カリンに無理矢理触れようとした時点で取り押さえた」

「……じゃあどうしてカリンは逆関節なんて」

「だってあいつお姉様の悪口を言ったんだもの!!」


 婦女暴行の現行犯で取り押さえられるなど、貴族でなくとも社会的には終わりだ。クラウド直属の隠密に捕獲されてなお、子爵令息は身の保身に走った。その時に口にしてしまったのだ「あんな成金で平民女の養い子なんか、興味を持つわけないだろう!」と。

 つれない態度をとるばかりのカリンに業を煮やし、所詮女など無理矢理体を手に入れてしまえば後はどうとでもできると、そんな外道の考えでカリンを襲おうとしたのは誰の目から見ても明らかだった。それでも言い逃れる男は、軽々とカリンの地雷を踏み抜いてしまったのだ。


「取り押さえているはずなのに、どうやってか相手の腕を掴んで、見事に逆関節をキメていたぞ。なんなんだあれは」

「カリンはこの可愛らしさと美しさですからね! 護身術を教え込みました!!」

「お姉様の特技なの! 免許皆伝だってもらったんだから!」


 ついきゃあきゃあとはしゃいだ声をあげてしまうが、エリアスの冷めた眼差しとクラウドの咳払いにレナは我に返り固まる。そんな場合ではなかった。


「リーフェル子爵の息子の愚行のおかげで子爵自身と話をする機会を得て、そこからは……話が早かったです」


 にこりと笑うエリアスはまるでいたずらを告白する子どもの様だ。が、その中身がいたずらの域を超えていることなど考えるまでもない。


「子爵からワギルム侯爵へいき、エルジャーン侯爵とミッツア伯爵、そしてクアンネフェルト公爵まで辿り着くことができました」


 自己保身に走る彼らは同胞を次々と売っていく。買おうとしていた商品自身がその事を断罪しに姿を現すのだから、その恐怖たるや。


「でもその時点で問い詰められるだけの証拠があったんでしょう!? だったらわざわざそんな危険な……」


 さらにエリアスの笑みが増す。まさか、とレナは思わずクラウドに視線を動かした。


「俺はエリアスは騎士よりも詐欺師の方が向いていると思う」

「レナの夫でいる以上、法に触れる真似はできませんね」

「突っ込みどころしかなくてどれから突っ込んだらいいのか分からないんだけど! でもとりあえず先に突っ込むとしたらつまりはハッタリなの!? ハッタリだけで突き進んでいったの!?」


 エリアスが名をあげたのは貴族の中でも屈指の名家として名高い。あげくそこに公爵家の名前まであった。ということは、公爵家までもがエリアスとカリンの客であったのかと、レナの背筋は凍り付く。それほどの権力者まで腐敗しているというおぞましさ。そして、本当に危機一髪のところで兄妹を救うことができたのだという事態への安堵。レナは乱れる呼吸をどうにか落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。


「ここまでくるともうエリアスとカリンだけの問題ではないからな、それから先は王家としても介入させてもらった。だが、お膳立ては全部二人にやり遂げられてしまったよ」


 貴族の腐敗は王家の責任だ。だが、クラウドが動く前にエリアスとカリンで全て話を進めていた。アインツホルン家の当代を逮捕できるまでの中身を。


「足の引っ張り合いは彼らの得意技ですからね。それが自分の身を守るためともなると余計に力も入ったんでしょう、あっという間にあらゆる罪が出てきました」


 冤罪だ! と義両親は叫んでいた。実際取り調べの切っ掛けになったのは冤罪であった。だが、その捜査の段階で本来の――子どもに身売りさせようとしていた事実が判明した。いや、そうなるようにエリアスとカリンが仕向けた。


「でも……それじゃあ……」


 レナは言葉に詰まる。あの家族がやろうとしていたことは断罪に値するものだが、ではその他の人間は? 客として名を連ねていた以上、彼らも罪に問われるべきだ。しかし、話の流れからいってもその罪は見逃されたのだろう。それがどうしてもレナには納得ができない。


「レナ」


 静かにクラウドが名を呼ぶ。レナが顔を上げれば、クラウドは大きく息を吐きながら首を横に振った。


「この二人がそんな殊勝なわけがないだろう」

「……え」

「わたしとお兄様はあいつらをどうしても潰したかったから、たしかに取引はしたわよ? でもそれはあくまでわたしとお兄様とだけの取引でしかないもの」

「え」

「アインツホルン家の現当主……今はもう前当主ですが、彼らについて俺とカリンが調べた報告書を見た殿下が、どうするかはまた別の話です」


 ということは、つまりは、取引に応じて義両親を売った貴族連中を、エリアスとカリンはさらに王家へ売ったという話である。


「ひえ」

「すさまじい怨嗟の嵐だったぞ……なのに二人とも……いや、さすがの胆力だと惚れ直しもしたんだが……それにしたって……」


 裏切り者、と罵る貴族達に対し、エリアスとカリンは眉一つ動かさなかった。


「そもそもからして間違っているのよ。わたしとお兄様にひどいことをしようとしていた連中との約束を、どうしてわたし達が守ると思っていたのかしら」

「俺もカリンも味方だと言った覚えはありません」

「おかげさまで、腐敗貴族の一掃に成功したから……こちらとしても言うことはなにもない」


 あの日助けた幼い兄妹は、レナが知らない間に随分と苛烈に育っていた。


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