第四話・長い一日

地獄。

地獄に落ちたような苦しみの境界。救いがたい状態。


地獄。

学校に来たら教室の空気が死んでいて、お通夜状態である様子。


教室の扉を開けるべきではなかったのか。

「ふう」

一息付いて冷静になる。

帰りたい。

陰キャ故に学校は基本的に嫌いであったが、秒で帰りたくなるのは初めてだ。

殺してくれ。

「あっ……」

小日向がいて、こっちと目が合う。

立ち上がろうとするが、直ぐに椅子に座り直してうずくまる。

引き摺っているらしい。

彼女には三人の親友がいて、秋月麗奈さんが事情を察してか慰めている。

まあ、俺を睨んでこないあたり、全てを伝えてはいなさそうだ。

ラインの通知が来る。

救世主はやっぱりいるものだ。

白鷺冬華、お前の出番だ。

『地獄だ。助けて』

お前に関してはいつもの敬語使えや!

つか、助けるのはお前だろうがっ!

何で俺に助けを求めて来るんだよ。役割逆じゃないのかよ。

……仕方ない。

この地獄みたいな場面でなんとか連携が組めるのは白鷺くらいだ。

白鷺と連携の相性がいいとは言えないが、多少は意志疎通が出来ると願いたい。

アイコンタクトをする。

なるほどみたいな顔をしていたので大丈夫だろうか。

「東山、話がある。顔を貸せ」

ズカズカと音を立てて詰め寄ってくる。

何で俺がプレッシャーをかけられているんだ?

端から見たら、親友を泣かせたやつを絞めに来た白鷺にしか見えない。

「早く来い!」

「お、おう」

強引に連れ出される。



人気のない屋上近くの階段まで無言で上がり、白鷺は立ち止まった。

「わぁ~!」

言葉に出来ない感情のまま泣き叫ぶ白鷺だった。

ぶちギレるかと思ったが、普通にお嬢様だもんな。

地獄みたいな雰囲気なんか知らずに育っている勢だから、ギャン泣きするのも分からんでもない。

ただ、一番泣きたいのは俺なんだよ。

誰か理解してくれ。

泣きじゃくっている白鷺を宥める。

「待つから、落ち着くまで待つから、な?」

「うん……」

とりあえず白鷺が落ち着くまで待ち、何があったのか話すことにした。

主観が入らないように淡々と状況を説明して、今後どうすべきか相談する。

「風夏と時間を作りちゃんと話すべきではないか?」

「ああ、昼休みにでも話そうとは思っている。タイミングが合うのはその時間帯くらいだから申し訳ないが、その間は地獄のままで頑張ってくれ」

白鷺は宇宙ねこみたいな形容し難い表情をしていた。

「いや、駄目だ! あの地獄のまま四限も授業は受けたくない!」

「でも他にタイミングないし」

俺だってあんな空気など味わいたくもないよ。

「そうだ! いい案が浮かんだ! 学校を抜け出して話し合ってこい!」

「どこがいい案なんだよ。授業放棄してるじゃん」

「他に何かあるか? あの教室で授業を受けたいのか?」

「そうだけどさ。正論だとは思うさ」

話し合うべきなのは確かだろう。

だが、どこで話し合うべきなんだ?

校舎裏とかは嫌だしな。

人が集まる場所は避けたい。先生に見つかってしまいそうだ。

そういえば、直ぐそこにスタバとかあったな。

スタバが地獄みたいになるけどまあいいか。

ちゃんと話せる場所そこくらいだし。

「白鷺、すまない。呼んで来てくれるか?」

「ああ、ちゃんと話すんだぞ!」

「分かってるって」

白鷺は駆け足で階段を降りて呼びに行く。

白鷺にも迷惑を掛けているんだよな。本来なら日曜日のイベントまで楽しみにしたまま過ごさせたかったんだが……。

「本当にすまない」

お前もいいやつだよな。本当。



小日向とスタバに来て、わだかまりがある部分を解消するために話し合うことにした。

席を確保してから注文する。

「小日向、注文は何がいい?」

「キャラメ……アイスティートールでお願いします。無糖で」

「いや、飲みたいの飲めよ」

「甘い気分じゃないから大丈夫」

「俺はホットコーヒー。サイズは……」

あんまり来ないからサイズがよく分からない。

SMLじゃないのなんで?

洒落た店あるあるなのか、陰キャの俺には横文字は対応出来ない。

「グランデがいいよ。大きいから」

「そうなのか? じゃあグランデでお願いします」

小日向が半ば強引に奢ってくれた。

鬼気迫る形相だったので普通に怖かったです。

席に着いて、話し合いが始まる。

「時間取らせちゃってごめんなさい。飲み終わるまでには切り上げるからよろしくね」

「ああ、」

目の前のホットコーヒーを見る。

サイズ知らずに頼んだ俺の飲み物、500mlくらいにデカい。

小日向に合わせながら飲まないとやばいのか?

飲み終わるの一時間以上かかりそうだけど。

「昨日は本当にごめんなさい。謝って済む話ではないことだけど、ちゃんと謝らなきゃって思ってて」

「ああ、こっちこそごめん。あの時に気を遣っていれば、小日向が悲しむこともなかったと思う」

「ううん、私が」

「いやいや、俺が」

二人とも謝っているだけだった。

話が一向に進まない気がする。

何か言いたそうにしているけど、全然話さないなこいつ。

もじもじしているだけだった。

「とりあえず、パソコンのデータが残っているかは昼休みに確認できるから、それ次第だな」

不幸中の幸いか、絵を描く道具であるペンタブは壊れていなかった。

パソコンより小さかったから衝撃が加わらなかったのだろう。

ペンタブが生きていたのはまじで助かる。

パソコンだけなら保険の対象なので、安く済むかもしれない。

両親には土下座して修理料金もらったし。

「えっと、データは大丈夫かな……?」

「まあ対衝撃テストはしているはずだし、HDDが簡単に壊れるとは思えないから大丈夫だろ」

パソコンの外装や画面は全壊していたが、あれだけ階段から転げ落ちたら壊れていても仕方ない。

「HDD?」

「データを保管している部分だよ。そこが無事なら全部の絵が無事だってことだ」

「じゃあ部室にいこっ! 早く確認しないと」

「いや、漫研の部長が昼休みにパソコン置いといてくれるっていっていたから、今行ってもあんまり意味ないかな……」

出席率は悪いし適当な部長だが、俺の為にパソコンまで用意してくれるあたり普通にいい人なんだよな。

昼休みに部長のパソコンにデータを全てコピーしてバックアップし、放課後に駅前の家電屋に修理を出して今日のノルマは終了だ。

最悪のケースとしてデータが壊れていても、先に述べたように小日向が怪我するよりかはマシだしな。

パソコンが壊れただけでも地獄なのに、それ以上って考えただけで寒気がする。

「今日一日、私も付き合う!」

小日向は鋼の意志を見せている。

テコでも動かなそうだ。

「それは構わないけどさ。修理に出すだけでも数時間かかると思うぞ」

テーブルに座ってから、数時間受付する感じになるのは目に見えている。

ただでさえ落ち着きがない小日向が我慢できるとは思えない。

「大丈夫。本当は私がやらなきゃいけないし、せめて一緒に居ないと」

「面倒臭い生き方してんなぁ……。俺と小日向の仲なんだから、気を遣うなよ」

普通に本音が出た。

あ、コーヒー美味いな。

「許してくれるの?」

「そもそも怒っていないけど」

「だって普通は怒るよ」

「反省していてビクビクしている相手に怒るわけないだろ。故意の過失ならまだしも、事故で壊れただけだし、何なら小日向の化粧品だって壊れてただろ?」

「そうだけど、値段が違うよ。プチプラだし」

プチプラ。

安いって意味だけっか。

マニキュアの絵を描いた時に千円ちょっととか言っていたから、プチプラはそれくらいの値段なのだろう。

「俺にはよく分からん」

「陽菜ちゃんいるんだから、見たことあるでしょ?」

久しぶりに名前が出てきたから一応説明しておく。

陽菜とは中学生の俺の妹だ。

「あいつに興味がないからなぁ……」

「お兄ちゃんなんだから大切にしてあげてよ」

「一人っ子には分かるまい。兄妹がいるやつの面倒さを」

「え~、可愛いのに」

飯を食べてクソもするんだぞ。

可愛いだけで何とかなるわけじゃない。

定期的にデザートを与えないと発狂するしな。

「あ、そうだ! 今度陽菜ちゃん呼んでよ。またタピオカ飲みに行こうよ」

「構わないけどさ……」

「タピオカに唐揚げが合うんだよ、マリアージュってやつ?」

楽しそうにテンションが上がってきた。

テーブルに乗り掛かりながら、ずっと喋っていた。

「あ! 私達もマリアージュだね!」

タピオカと唐揚げと同等なのかよ。

「そうかもな」

凸凹コンビの方が相性がいい場合もある。

ただ、カロリーやばそうだけど。

時間を確認する。

二限目が始まっていた。

「ねえ聞いてよ。この前の仕事でね、」

ぬるくなったコーヒーを飲みながら、小日向のたわいない普通の話を聞く。

飲み終わるまで付き合うと決めていたし。

もう少しくらいならいいか。

昼休みの時の雰囲気になってきたことの方が重要だからな。



コーヒーを飲み終え、三限目には教室に戻ってきた。

色々と察してくれてか、白鷺や高橋がノートを貸してくれて、抜け出した授業内容を写していた。

二人には時間がなくて軽くしか感謝ができなかった。ちゃんと時間を作らなくてはならないだろう。

そして、昼休みには部長が準備してくれていたノートパソコンにHDDを繋げて、無事にデータをバックアップできた。

長い一日だな。

放課後になるまで疲れっぱなしだ。

何なら昨日よりもヤバイかも知れない。

鞄に荷物を仕舞い、帰り仕度をする。

「じゃあ行こっか」

普通に小日向が目の前にいる。

朝の一件もあり、注目の的である。

「みんな見ているが?」

「朝も同じだったでしょ」

「それもそうか?」

こいつに言葉で争っても負ける。

クラスで目立ちたくないので、早めに退散するに限る。

「みんな、バイバイ!」

「大声出すなよ!」



駅前。

修理に出すだけでも時間が掛かり、すっかり遅くなってしまった。

隣で座って待っている必要はなかったのだが、小日向なりのけじめなのか。

眠そうにせずちゃんと起きていた。

「遅くなってすまないな。どっか寄りたい場所でもあるか?」

「カフェでもいかない? ごはんでもいいよ?」

「あー、流石に遅いからそれは無理だろ。何時間も居るつもりだろ?」

「そっか」

「それに女の子なんだから、夜遅くに出歩くのは危ないだろ」

うちの陽菜も、基本的には六時過ぎたから外出禁止になっている。

そのせいで夜遅くのコンビニに駆り出されるのは俺になるんだけどさ。

駅前周辺の治安が悪いとは言わないが、住宅街が多いので危ないとは思う。

小日向レベルの美人となると、悪い意味でも目立つ。

男とすれ違えば百人が百人、小日向に見惚れるくらいだ。

「うーん。そうかな。あ、でも、その時は送ってくれるでしょ?」

「距離による」

「ありがと。なら遊んでも大丈夫だね。送ってもらえるからまだまだ遊べる~」

「時間は作ってやるけど、三十分だけだ。本屋に寄るくらいならいいけど、飯は家で食べるから無理だぞ」

パソコンぶち壊して飯食って帰ってきたら、俺の親じゃなくても激怒する。

俺の親なら半殺しにしてくる。

特に母さんが。

「じゃあ本屋さんだけ寄ろっか。新しい雑誌出てるから見てみよ」

制服の袖口を掴まれ、引っ張られた。

大きな本屋さんに入って、女性誌やファッション雑誌が並んでいるエリアで立ち止まる。

「あ、これ見てみて。ちょっと前に撮影したやつが載っているんだよ。めっちゃ頑張ったやつ!」

男の俺に女性誌を渡すのやめてほしいが。

犬みたいに褒めてほしそうにしているので、ファッション雑誌を開いて小日向が写っているページを探す。

「これだろ?」

「見付けるの早いね」

「あ~、押し出してるモデルは、大体最初の方にいるだろ? 探すの難しくないし」

「そだよ、よく知ってるね」

こいつには言っていなかったが。

妹からファッション雑誌はよく渡されるし、小日向のツイやフォロワーから出ている雑誌の情報をもらっている。

だから、小日向が出ている雑誌の情報は向こうから入ってくるのだ。

それを説明するのも恥ずかしい。

「それにあれだ。小日向のイラスト描いている人間なんだから、本人くらいすぐに見付けられるだろ」

「この号だと、モデルさん100人以上いるけど?」

追い打ちかけてくるなよ。

その中から見付けたなんて思われていそうで嫌なんですけど。

ワクワクすんなよ。

「……まあ、それでも分かると思う」

「ぱあぁぁ」

クソムカつく顔している。

せっかく褒めてやっているんだから、素直に喜んでくれよ。

「小日向風夏ちゃんだからね! 可愛いもんね」

「ああ、そうかい」

元気は元気でうざい。

そもそも顔面の評価はあんまりしてないんだけど。

読者モデルとしての小日向は凄いやつだし尊敬しているが、教室のやつみたいに可愛いから付き合いたいとか思ったことなどない。

少しも恋愛感情はない。

仮に付き合いたいと思ったとしよう。

四六時中こいつの相手をするとか、無理ゲーである。

「今度、撮影あるけど来たい?」


「え? マジ? めっちゃ行きたい!」


「食い付き早くない?」

「いやだって、撮影ってことは生の小日向見れるじゃん」

「私も生だが?」

学生バージョンしか知らないって意味だよ。

撮影衣裳を着ている空気感は知りたい。

「読者モデルの撮影って知らないからさ。機会があるなら色々と知っておきたいだろ?」

「生の私の方が貴重だけどなー」

「毎日のように顔を合わせているのに貴重か?」

「感覚ぶっ壊れてるだけだよ。普通に有名人だからね、私」

え? そうなの?

有名人って言われてそういえば。

美人は三日で飽きるって言葉もあるから、慣れてしまっているのか?

普通の同級生としての認識が強すぎたのか?

ファッション雑誌に載っている読者モデルと見比べてみる。

みんな雑誌に名を連ねるほどの美人で、その上でフォトショップなどで写真加工されていても、段違いで目の前の小日向の方が美人である。

写真一つを取ってみても、芸能人としてのオーラも全然違う。

でも性格が……。



「読者モデルの風夏ちゃんですよね! サインください! いつもインスタとツイ見てます!」

他の学校の女子に話し掛けられる。

見た目的に高校生みたいだ。

「有名人の生風夏ちゃんだ。めっちゃ可愛い!」

女子二人にサインを要求される。

そこは気前よく対応するのが小日向の良さだ。

「うんうん。有名人の生風夏ちゃんだからね、サインは制服でいい?」

悪いやつじゃないんだが、やっぱり性格がなぁ……。

制服にサイン書こうとするなよ。

完全に浮かれていやがる。

「鞄にサインください」

「わたしも!」

「しょうがないなぁ」

スクールバッグにサインをする。

迷うことなくサラサラと書いてみせるあたり、かなり手慣れているのだろう。

何十回も同じサインを書いていないと出来ないはずだ。

「ありがとうございました」

「ありがとうございます。彼氏さんお邪魔してすみませんでした」

彼氏じゃないけど、女子達のテンションについていけないので手だけ振っておく。

二人組はサインをもらってかなり嬉しそうにはしゃぎつつ、本屋さんから出ていった。

「私って人気だから! 凄いでしょ」

「ああ、凄いな」

「もっと褒めてもいいんだからね」

「わかったわかった」

頭を撫でる。

「よく頑張ったな」

なでなで。

思った以上に小さな頭だ。

「ーーッ! それは違うと思うよ!」

顔を赤くして慌てる小日向だった。

「褒めるって頭を撫でることじゃないのか?」

「合ってるけど違うよ!」

「でも妹である陽菜の場合はこんな感じだし」

「ほら、可愛いとか綺麗とか、カッコいい…とかあるでしょ……」

「いや、それは恥ずかしいから嫌です」

「頭なでなでのが恥ずかしいから! えっちだから!」

えっちではないやろ。



小日向を家の近くまで送って、八時過ぎになってしまったが、なんとか帰宅できた。

疲れた。

落ち着いたら、いつもの日課をこなそう。

ああ、パソコン壊れているから、絵は描けないんだっけか。

ごはん食べたら直ぐ寝よう。

「あら、ハジメちゃんお帰りなさい~」

母さんが現れた。

口調や目元ふくめておっとりした人だが、普通に怖いので注意が必要である。

門限とかルールにはかなり厳しく、修理の申し込みに時間がかかり夜遅くなるのを伝えていなかったら死んでいた。

母さんと思うからいけないのだ。

魔王みたいなもんだ。

「あら~、何だか失礼なこと考えいたでしょ?」

「いや、疲れていただけ」

「ごはん温めておくから、先にお風呂に入ってきなさい」

どっちかというと先に晩御飯食べたいが。

逆らうと後が怖いので風呂に入る。


風呂もご飯も済ませ、後は寝るだけである。

『電話していい?』

小日向から連絡が来た。

『なんで』

書いてる途中に、問答無用で通話してくるやつ。

「なんだよ。まだ一時間経ってないぞ」

「うん。ちょっと伝えてなかったことがあって。撮影の仕事、見に来てくれるよね?」

「ああ、空いている時間なら全然行くよ」

「よかった。今度言っておくね」

「すまないが頼む」

「楽しみにしてるね」


そして長い一日は終わりを告げた。

深夜二時に愛の唄が届くまではぐっすりと寝ていたのであった。

白鷺は空気が読めない。

まあ、それが持ち味だしな。

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