亜津馬異国界譚

蟻村観月

序幕

 ひとりが死に、またひとりの命がこの世界から失われた。

「どうなってるんだ!」深海魚ふみおは地団駄を踏んだ。いや、蹈鞴かもしれない。

「深海魚、静かにしなさいよ」弟の言動に苛々したのか芙美子ふみこはヒステリー気味に言う。深海魚は姉を睨め付ける。双子で憎み合っているのも珍しい。遺産が絡むとどれだけきょうだい仲が良かろうと関係ないようだ。

「みなさん、落ち着いてください」

久坂部くさかべ、この状況で落ち着けるわけがないでしょう! もしそんな人がいるなら、そいつが犯人で間違いないわ!」

「そうかしら? 状況をカオスにさせて、ヒステリーを装っているだけかもしれないわよ」

「何が言いたいのかしら?」芙美子は煙管を吹かしている、或子あるこを睥睨する。或子は肩を竦めるだけで相手にしない。余裕を見せているのか痩せ我慢か観察する限りは判らない。「或子姉さんこそ、その冷静さは疑わしいところがありますけどね」

「あら、わたしはずっと冷静よ。この状況を楽しめる気概を持ち合わせてるくらい」

「アバズレが」芙美子は唇を噛む。

「黙れよ! 死人が出てるんだぞ。もう少し、慌てろよ。僕にすれば、ふたりは冷静過ぎるほどに冷静だ! もしかして、ふたりが結託して殺してるんじゃないだろうな」

「はぁ? 愚弟は持つものではないわね。双子であることが恥だわ。私の弟でしょ。もっと確りしなさいよ。情けない。ウェンズデーの垢を煎じて飲ませたいくらい。ねえ、ウェンズデー?」

 芙美子は大広間の隅で気怠げな表情で様相を見守っている年端の行かない少女に視線を向ける。当のウェンズデーは自分に話し掛けるなと言わんばかりに不機嫌な表情にチャンネルが切り替わる。ザッピングしたくなるほどに表情がコロコロ変わるのは十五歳ならではだ。本人は精一杯の大人の振る舞いをしているのが滑稽に映る。

 それもこれも後見人と自称している小説家の所為か顧問探偵が入れ知恵でもしたかのどちらかだ。ちょっと前の彼女であれば絶対にしなかった所作や言葉遣いをしているのが何よりの証拠だ。

 芙美子にすればそれが癪に障る。子どもは子どもらしく振る舞えば良いのだ。変に大人振ろうとするのが気に食わない。逆に深海魚は年齢相応になってもらいたいのだが、ピーターパン症候群でも発症しているのか、十三歳と変わらない態度を取る。

「僕と外国人擬きを一緒くたにするなよ。そいつは偽物だろうが」深海魚は声を荒らげる。情けない姿を惜しげも無く披露してくれると却って清々しい。

「好きで外国の血が混ざってるわけじゃないよ、深海魚。お前こそ口を慎めよ」

「本家の唯一の人間だからって偉そうな口を僕に利くな!」深海魚は言う。

「分家の分際で私に盾突くのか? いいご身分だな。妾の子どもの癖に」ウェンズデーは口汚く言う。緑色の瞳が深海魚を射抜く。「この場にいる全員がそうだ。私より身分が低いのに、良くもまあ大きい顔が出来るものだな。愚かと呼ぶべきは貴様らだ」

「何だと⁉︎」マスタッシュがご機嫌よく上向きになっている。「そもそも兄さんが死ななければこんなことになっていない。莫迦げた状態を作出したのはお前の父親だろうが! 俺らは言ってしまえば茶番に付き合わされてるだけに過ぎない」

「どういうこと⁉︎」毒々しいチャイナドレスに身を包んだおんながご機嫌マスタッシュこと綾曾孫あやひこに訊く。

「どうもこうも今回、亜津馬あづま家が呼ばれたのはご当主様のお披露目会も兼ねてるのさ」綾曾孫は演説するように身振り手振り交えながら話す。「現に久坂部にしろ、当主様の傍を離れる気がない顧問探偵を見れば一目瞭然だろ」

 その場にいる全員の視線がウェンズデーの斜め後ろに佇む、燕尾服にシルクハット、右手に杖を握っている。胡散臭さを隠匿するつもりが微塵もない。

 アルカイックスマイルがさらに不気味さを演出している。

「顧問弁護士はいたが顧問探偵なる者は今の今までいなかったにも拘らず、彼は何喰わぬ顔でこの屋敷に溶け込んでいる。異常な光景と思わないかね?」綾曾孫は講釈垂れる。

「顧問弁護士は代々久坂部家と決まっている。けど顧問探偵はいなかった」芙美子は言う。「綾曾孫叔父さんの言うとおり、今回の話は小癪なおチビさんのお披露目会は納得する」

「そうだろう?」

「そんなのどうでもいいよ!」深海魚が大声を張り上げる。その声に顧問探偵から彼に視線が移動する。「そいつが当主になろうが。それより大事なことがあるだろ。現実を見ろよ」

「深海魚さん、落ち着いてください」久坂部は深海魚を手で制する。

「落ち着けるわけないだろ。どうしてそこまで平然としていられるんだよ。さっきから言ってるけど、死人が出てるんだぞ。遺産如きで」深海魚は半径三センチの範囲を歩き回る。「顧問探偵! 探偵と付いてるんだから、この狂った情況を収めろ」

 顧問探偵は肩を竦めて、当主を見下ろす。隣に立っている小説家は沈黙を守っている。

「どうされますか? 当主」顧問探偵はアルカイックスマイルを崩すさずに尋ねる。

「鎮まれよ」ウェンズデーの反対側で成り行きを見定めていた老女が良くとおる声で場を支配した。自分の尻尾を追い掛ける犬みたいにその場を歩き回っていた深海魚の動きが老女の一声で止まる。

「見苦しい姿を晒すでない」老女は腰をうかせる。「探偵よ、犯人が誰か解っているのだろう? 何故に詳らかにせぬ」

「ばあさん、耄碌しちまったのか」綾曾孫は言う。「顧問探偵だからって、一連の事件の犯人を解明出来るわけないじゃないか。流石に過大評価ってもんだ」

「綾曾孫お前は相変わらず莫迦で思慮深いが欠けているね」老女は曾孫に辛辣な言葉を向ける。「此奴は疾うに真実を暴いておる。その上で儂らを嘲笑っておるのだ」

「買い被りですよ。お婆様」顧問探偵は言う。「お婆様の発言が真実であれば、お望みどおり披瀝しますが、誠に残念ですが真実に辿り着いていません」

 胡散臭い笑顔とともに顧問探偵は言う。

 誰も彼の言葉を信用していない。皆、懐疑的な視線を顧問探偵に向ける。

「嘘は大概にせえ」老女は言う。「清彦きよひこの倅が口止めしておるのはお見通しじゃ」

 老女は杖をウェンズデーに向ける。

「お婆様には敵いませんね」ウェンズデーは微笑みを湛える。

「僕らを欺いていたのか。この期に及んで」綾曾孫は狼狽する。

「そのつもりはありませんよ、綾曾孫さん。ですが、言うに及ばずと思っただけです。だってそうではありませんか? 誰が犯人かなど、美耶子みやこちゃんですら見抜いているのですから」

 次に狼狽するのは小説家だった。唐突に自分の名前を出されてぎこちない笑顔を見せる。隙間から白い歯が覗く。

「要はそれくらい簡単な事件だということです。態々、顧問探偵の頭脳を使わずとも解き明かすことなど造作もありません。彼の代役として、私の保護者であるメアリー・キャッスルが務めます」

「まるで小泉八雲だな」

 顧問探偵の呟きを美耶子は聴き逃さなかった。

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