第17話
車がマンションの駐車場につき、エンジンが止まる。黒谷さんの手をパッと離して先に車を降りる。
そのまま黒谷さん側のドアへ周り外側から開けた。彼女はゆっくりと車から降りた。
「ニコちゃん、怖かったら家へ上がっていく?」
母さんはそっと黒谷さんの背中をさすったが、黒谷さんは気丈に微笑むと
「大丈夫です、おばさん……本当にありがとうございました」
と頭を下げた。
母さんは心配そうにしながらも黒谷さんの意思を尊重して「じゃあお部屋の前まで送るわね」と言った。
母さんを先頭に俺たちはオートロックを自動ドアをくぐり、エレベーターに乗る。車の中とは違って黒谷さんは少し冷静で、涙も出ていなかった。マンションの蛍光灯がやけに明るくて、眩しい。
夜11時。こんな時間にであることはないからか新鮮で少し怖かった。普段ならもうベッドに入っている時間だ。夜風は冷たくて普段は感じない匂いがした。エレベーターを降りるとマンションの外廊下に出る。黒谷さんの家がある9階はびゅうびゅうと風が吹いていてとても寒かった。
ふと、視線を外へ向けると道の方には仕事帰りの人たちがパラパラと歩いている。OLさんだろうか。コンビニ袋を持っている人や大きなエコバッグにたくさんの野菜を入れて持っている人、それぞれが家路についているようだ。
——こんな時間まで働いてるのか
「じゃあ、おうちに入ったら鍵をかけてね」
「はい、あの……おばさん、空君。ありがとう」
黒谷さんがドアの鍵を閉めるのを待ってから、俺と母さんはエレベーターへと乗り込む。
「空、ちゃんと守ってあげなさいよ」
「わかってるよ……って付き合ってないけどな」
「なぁにしっかりしなさいな! 全くもうお父さんにそっくりなんだから」
バシッと強めに背中を叩いて、母さんは先に家へと入っていった。うちの父さんは今単身赴任で九州に住んでいる。肝っ玉は母さんとは違って物静かで無口な男だ。
「一応、
「美香さん?」
「ニコちゃんのお母さん。連絡先を交換しておいてよかった。じゃあ、アンタも早く寝るのよ!」
忙しそうにスマホを触りながら寝室へ入っていく母さんを見送り、俺はシャワーを浴びに風呂場へと向かった。昼からぶっ続けで眠っていたせいで腹は減っているし喉も乾いた。
さっさと済ませて、飯を食おう。
***
ナポリタンをたらふく食って、早々に歯磨きをした俺はベッドに寝転んだ。時刻は0時。昼寝をあんなにしたのにウトウトするのは先ほどの出来事で疲れたからか、それとも成長期だからか?
『(鮎原)大丈夫?』
俺から彼女にメッセージを送るのは地味に初めてだ。いつもは彼女が何かしら話しかけてくれているからこうして既読が着くのを待っているのが新鮮でちょっとだけもどかしい。
数分、メッセージ画面と睨めっこをしていたら既読がついた。
(やっぱり、眠れないよなぁ)
『(黒谷)ううん、怖い』
『(鮎原)バイト、やめとけば』
『(黒谷)さっき店長にメールした』
『(鮎原)そっか、明日の朝は駅まで一緒に行こうか』
もしもあのクレーム野郎がこの辺の人間なら朝でも危険かもしれない。俺がいたところで何の役に立つんだ? という話ではあるが最悪黒谷さんを逃す時間稼ぎのデコイくらいにはなるだろう。
【着信 黒谷ニコ】
突然の着信に飛び上がりそうになりながらも、今は浮かれた気分にはなれなくて静かに通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、空君?」
「うん、落ち着いた? まだ怖い?」
黒谷さんは少しの沈黙のあと
「怖い」
彼女の声が少しだけ薄くなった。
「そっか、1人……だもんな」
「ううん、ベッドで一緒にソラくんと寝てる」
黒谷さんが黒猫のソラくんを撫でたのか「ムナァー」と不服そうな鳴き声が聞こえた。
「そっか、ソラくんが守ってくれるから安心だな」
「普段は一緒に寝ないんだけど今日は特別みたい。猫ちゃんって不思議よね、ママが仕事で辛いことがあると必ず一緒に寝てくれるって言ってたんだけどさ、本当に私たち人間のことがわかるみたい」
「いいな、猫」
「そっちは飼わないの?」
「父さんが単身赴任から帰ってきたら飼うかも。あの人、猫好きだし」
「いいね、そしたら猫仲間だ」
「今はサボり仲間だけどな」
「なんかさ、社会って怖いね」
「変な客……じゃなくて?」
「うん。もしも私が琴美ちゃんみたいに一人暮らしだったら……とか社会人になっていて知り合いがいない場所に住んでいたら……とか想像したら怖いなって」
「ま、確かに……。たまたま俺が全体集会サボっててよかったかも」
「ふっ、ふふふ、確かに。空君と出会ってなかったら私コンビニで徹夜だったかも?」
「笑えないよ。まじで心配したんだぜ」
「後藤にしても今日のあいつにしてもコンビニってやばい客多いのかな?」
「どうだろう? けど、俺がバイト探してる時に見つけたのは【客層の悪いところはやめとけ】だったぜ」
「どゆこと?」
「だから誰でも気軽に入れる安いものが売っている場所は言い換えればやばい奴も入ってきやすい場所ってこと。レストランで想像してみるとわかりやすいぜ」
黒谷さんは「あ〜」と言いながら電話の向こうで想像を膨らませているようだった。
「確かにそれは言えてるかもね」
雑談をしているからか、通話を始めた時よりも少し声が明るくなった気がする。
「まぁ黒谷さんの場合は接客はやめといたほうがいいかも」
「なんで?」
「いや、それはなんていうか……若い女の子だとクレーム言ったりストーカーしたりとかそういうのもあるし」
「確かに……でも私は気が強いほうだよ? 後藤も今日のアイツも最初は琴美ちゃん狙いだったし」
確かに、黒谷さんはギャルなので一番最初に舐められる対象ではないだろう。ただ、俺が言いたいのはそういうことではなくて……。
「うーん、なんていうかさ。黒谷さんはその……」
「何?」
「舐められるとかそういう話じゃない気もする」
「えぇ〜意味わかんないよ」
「だから……かわいい……から」
2人の間に流れる沈黙、普段ならすぐに茶化してくれるのに今日は違うようだった。彼女が黙れば黙るほど俺の頭の中は不安でいっぱいになる。
「ごめん、そういうことじゃなくて」
「そういうことじゃないって可愛くないってこと?」
「違う違う! かわいいのはかわいいけど」
「じゃあ何よ」
「あ〜もう、なんでもない。とにかく、接客のバイトはさ変なやつに狙われるかもだしこう昼間だけにするとか」
「たぶん、ママもそういうだろうなぁ。空君はバイトどうするの?」
「俺はまだ決めてないよ。けど接客以外にするつもり、コミュ障だし」
「コミュ障じゃないと思うけどな? まぁでもちょっと働いただけで変な客いっぱいいたし接客はやめとこ」
「だな……ちょっと元気でた?」
「うん、少しね。ありがとう」
「じゃあ、俺寝るわ」
「えぇ、もう少し話そ? 私が寝落ちしたら切っていーよ」
いい感じに黒谷さんの自分勝手が出てきて俺は安心する。彼女は琴美さんや母さんの前では強がってみたり……けれど俺の前でだけ少しわがままになる。
彼女が「猫系」たる理由だ。本領発揮かな。
「明日寝坊したら目も当てられないんだが」
「いいじゃん、一緒に遅刻してさいこーよ」
「いやです」
「もうちょっと、ね?」
ごそごそと布団が擦れる音がして彼女が体制を変えたのがわかった。
「じゃあ、あと十分だけ……」
「私、イヤホンにするね」
「寝る気満々かよ」
「だって、空君がちょうどよく眠れるいい感じのお話してくれるんでしょ?」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「ふふふ、じゃあクラスメイトの名前当てごっこしよっか」
俺と黒谷さんは互いにイヤホンにして、お互いが眠るまで通話を続けたのだった。
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