エピソード42 二つの条件

 気配というべきだろうか。地響きを立てて歩く巨大な白い霊に背を向けて戦場をかけていた俺の精神に渦巻いていた感情は「死にたくない」や「怖い」などといった焦りではなかった。それは心の隙間に風が吹き抜けるような喪失感だった。子供の頃に田舎の農村で失恋した時のような何かを失った感覚に似ていた。聖女ヴィクターローズは死んだ後に俺にヒントを残した。彼女が死んだ理由は別にある。師匠は動きの鈍い霊体に踏み潰されるようなレベルの人間じゃない。だが確かに死んだのだ。


 ルミナール・ロバート司教のやろうとしていることは大体掴めた。映写機のようにして記憶を脳内に再生した俺にはいくつかの推理が浮かんでいた。俺は元からエクソシストとは全く別の感覚を持っていた。農民としては対して役に立たない。それどころか大抵は人生の足を引っ張るだけの感覚。

 

 師匠の言葉を思い出した。「お前の率直な行動力に付随する特殊なイマジネーションは素晴らしい。鍛えれば世界を変えることはできなくとも小さな問題を解決することに特化させることができる。私はこれまで弟子を取ったことはなかった。だがそれは私の弟子に相応しい才に満ちた力だ」


「霊の声をそこらの輩の雄叫びのように捉えて煽るように相槌を打つかと思えば、言葉の奥にある真実を聞く、発霊の原因を探るために会話をするだろう。あれはそう簡単にできるものではないぞ。一般のエクソシストはただの化け物退治屋が多いからな。私でさえ一方的な圧力をかけて尋問することしかできないのにな、そう。お前の霊に対する態度は尋問や圧力とは少し違うのだ。なんだお前は霊と友達にでもなりたいのか?自然に身についたか…あるいは元から霊に近い感覚を持っているのか、熟練のエクソシストでも辿り着けない能力だ。だからこそ落ち着いてみることもするのだ。会話の余地などない邪悪なものとやり取りをしようと思うな。速やかに霊の消滅を促することの方がよっぽど自分の命を救うこともあるのだよ。説教が無用な霊や邪悪な人間を目の前にしたときに、怒りに左右されていると反撃されてしまうぞ」


 今俺が取り扱っている案件は決して小さな問題ではない。ヴィクターローズは俺と同じエクソシズムインセンスだった。だが軍人とは思えないほど華奢な体をしていたし非力なタイプだった。彼女は霊害を解決することに特化したタイプのエクソシストだった。変異型怨念霊に対して蒸気を放出するレイピアを用いた戦術を持っていた。俺のように小型のガソリンタンクに熱を加えるのではなく、特殊な素材の手袋に熱を加えることで香を放出する型だった。幻聴ともいうべき師匠の語ったヒント、俺のハンドガンの名前はグリッパー…か。


 墓場事務所を揺らしていた地響きが止まった。遠くでサイレンの音が鳴っている。


「ストーナー。とりあえず今は街に戻らずにこの事務所で待機しろ」

「わかったわ。負けないでねニル」


 ストーナーを振り返ることなく警察署へ続く扉を開いた。先ほどの爆発の影響と思われる電気系統の不具合で墓地管理事務所の向こう側は薄暗い。五十メートルほどある廊下はグレーに近い緑で床には白い線が引かれている。一番奥のエレベーターのボタンに取り付けられた網目の金属カバーが半分開いているのが見えた。カバーには鍵がつけっぱなしにしてあるようだ。


「助力に感謝する、レジスタンスのハイデル」


 ハイデル・モールスは中々に仕事ができる人間だったようだ。胸ポケットに入っているテープレコーダーを取り出して電源を入れた。足早にエレベーターに向かった。動くたびに不吉な気配とプレッシャーが近づいてくるのがわかる。


「現在取り扱っている案件に兆しが見えた。それと同時に俺は死の危険を孕んだ戦いを余儀なくされている。依頼人であるポールドの王子の命を狙ったポールドの王はルミナール・ロバートという名のキリシテの追放者に洗脳されていた。現状の情報だけで推理するとルミナール・ロバートは先の国の発展と王権を維持するために必要なボグトゥナと呼ばれる人口霊体を発霊させることだったようだ。ボグトゥナは未だベルリを彷徨う巨大な霊体と同類のもののようだ。その霊体はおそらく王か、あるいは王子を依代にして生まれるようだ。きっとベルリの戦場にいたヒステラー将軍は自らを依代にしたのだろう。依代になる王は自らの子孫を殺害することで抱く悲しみや業、悔恨を利用してエクソシストの力を借りてボグトゥナへと変化すると思われる」


 エレベーターに乗り込む前にボタンのカバーについている鍵束を引き抜いた。


 エレベーターのボタンにも赤色のカバーがついていた。鍵束を見ると一つ一つにテープが貼り付けられていた。これはこの場所の管理者がつけていたものかもしれない。エレベーターでどの階層に行くか。ヒントはまるでない。だがこの国は極めて平和だ。余程の緊急事態でない限り下層から王城に出向く必要はないはずだ。案の定ボタンはB三階から六階までが擦り切れていた。七階から十二階のうち、八階のボタンはツヤと光沢があった。キーを回したニルは八階のボタンを押した。レコーダーに口を近づけた。


「先ほど死の危険を孕んだ戦いと報告したが、それには語弊があるかもしれない。俺がルミナール・ロバートの手下たちと戦うことはないだろう。ボグトゥナの発霊を達成するのに必要な条件が後一つある」


 エレベーターの動きが止まった。目の前にあるのは壁だった。外にでて左を伺うと白い廊下が続いている。右を見ると天井が円形になったガラス張りになった連絡通路のようなものが伸びていた。


 連絡通路前には黒いローブを着た大柄の男が天井を見て倒れていた。あれがブラウニーと呼ばれる男のようだ。


「…もう一つの条件は数人のエクソシストを生贄にすることだ。恐らく降霊術を行う担当のエクソシスト以外は皆依代となるようだ。現在、ボグトゥナの降霊は完了したと思われる。ルミナール・ロバート司教の部下の遺体を確認した。王のいる部屋は調査していないが、ボグトゥナの存在感は一度経験しているからすぐにわかる。マイクレコーダーをオンにしたままで任務を開始する」


 「おそらく、師匠のヴィクター・ローズは巨大な霊体の生贄メンバーの一人だった。ヴィクターローズのような力を持つエクソシストを生贄にしたとすればヒステラーはジャーマネシアに存在した有力なエクソシスト達数人を拉致して拘束したに違いない。それは未完成だったボグトゥナを生み出すプランの中で唯一完璧にうまくいったことだったようだ。生贄となった死体を見ると額にに奇妙な血の紋様が描かれている。つまり依代となった王がボグトゥナとなった後に生き残るのはルミナール・ロバート、ただ一人のみだったということになる。ボグトゥナとなった王は自らをコントロールすることはできないが、降霊を行なったエクソシストは利用することができるのかもしれない」


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